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151/228

第151話 今日は、私がお作りします

 ラグは、台の上に並べた器を見た。


 一つは、今夜の自分の分。

 もう一つは、明日の分。

 それでも、鍋にはまだ芋が残っていた。


「……人数の見積もりだけは、なかなか上達しないな」


 宿の台所で、独り言が落ちる。

 潰した芋には、炒めた玉ねぎと刻んだ肉を混ぜてある。料理屋で教わったときは、店の大きな鍋で作っていた。

 量を減らしたつもりだったが、芋を一つ足したのがよくなかった。玉ねぎも半端を残さないよう全部使ったので、結局、少しずつ増えていた。


 ラグは布を敷いた台へ器を寄せ、右手の匙で芋を詰めた。

 表面をならし、削ったチーズを散らす。

 器を押さえる手がなくても、台の縁に置いた木の枠へ収めれば、簡単には動かない。大きな鍋から一度に移そうとせず、小さく分けて運ぶことにも慣れてきた。


 かまどを借りて焼いていると、宿の者が覗き込んだ。


「今日は何人呼ぶんだい」

「今から、食べてくださる方を探すところです」

「順番が逆だねえ」


 もっともだった。


 焼き上がったうちの二つを、蓋のある籠へ入れる。

 ラグが近くの修理工房を訪ねると、戸を開けるより先に、中から声がした。


「この前の器、洗ってあるぞ」


 作業台の端に、見覚えのある器が伏せてあった。

 革紐を切っていた職人が手を止め、今度の籠を見る。


「今日は?」

「芋です。温かいうちに召し上がれればと思いまして」

「ありがたいけど、また作りすぎたのか」

「少々」


 職人は笑い、奥にいたもう一人を呼んだ。

 仕事の区切りを待ち、二人が手を洗ってから蓋を開ける。表面のチーズが、匙を入れたところで薄く割れた。


「この焦げたところ、うまいな」

「塩、前より控えた?」

「はい。肉にも味がありましたので」

「これくらいが好きだ。あと、俺にはもう少し胡椒があってもいい」


 ラグは頷いた。

 同じものを食べても、先に気づくところが違う。その返事を聞くのが、近頃は楽しみだった。


 空になった前の器を籠へ戻すと、職人が言った。


「今度は、うちの夕飯にも来いよ。持ってこなくていいから」


 ラグは少し目を細めた。


「では、お言葉に甘えて」


     *


 ルガンを出てから、いくつもの宿に泊まった。


 雨を待った朝も、荷を積み替えるため昼まで動かなかった日もある。

 エルディアの内陸では、通りの店から漂う香辛料の匂いに、サハルを思い出した。

 けれど、商隊は海へ向かわず、アルセリアへ続く道を進んだ。


 ミナは道中で一度、帰る予定を書き足して送った。

 手紙を出した日からも、まだ何日もかかった。


 リュネールの門が見えたとき、ミナは荷車の縁へ手を置いた。

 初めてここへ来たときには、門をくぐった後にどちらへ行けばよいのかも、よくわからなかった。

 今日は、荷物を受け取る場所から下宿までの道が、頭に浮かんでいる。


「ここで降ります。ありがとうございました」


 世話になった商隊の人へ礼を言い、袋を背負う。

 肩に重さがかかった。

 行きには入っていなかった豆や果実、木の匙が、中にある。


 門の中は、昼の買い物へ出た人で賑わっていた。

 荷車を避けて壁際へ寄ると、店先の白い袋が目に入る。口を折り返した袋には、小麦粉が盛られていた。

 その隣には、いつも使っていた乾燥した香草。

 値札を見てから、ミナは店の奥を覗いた。


「いるかい?」

「いえ、今日は……すみません。見ていただけです」


 まだ下宿に着いてもいない。

 袋の隙間も、あまりなかった。


 少し先の肉屋では、店の人が客と話しながら肉を包んでいる。

 パンを運ぶ籠が通り過ぎ、焼けた皮の匂いがした。

 ルガンで探したときには、すぐには見つからなかったものが、いつもの場所にある。


 ミナは歩みを緩めた。

 今なら、こちらで買えるものを使って、あの煮込みを作るにはどうすればよいか考えられる。

 けれど、答えを出す前に、背中の袋を担ぎ直した。

 まずは、帰ろう。


     *


 下宿の扉を開くと、階段の下に洗った敷物が立てかけられていた。


「あら」


 管理人が、桶を持ったまま振り向いた。

 ミナは戸口で立ち止まり、背筋を伸ばす。


「ただいま、戻りました」

「おかえり。そろそろかと思っていたよ」


 その返事を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。

 まだ袋を背負っているのに、少し軽くなった気がする。


「途中で、予定が少し変わってしまって」

「手紙は届いているよ。まず荷物を下ろしなさい。話は座ってから聞けるから」


 階段を上がり、部屋へ入る。

 窓を開けると、向かいの屋根が見えた。通りから聞こえる声も、旅先で聞いていたものとは少し違う。


 ミナは袋を寝台の脇へ置いた。

 食材を出し、湿っていないか確かめる。布を広げ、折り目に溜まった細かな土を払った。

 明日の朝、全部をもう一度袋へ戻す必要はない。


 記録帳を机へ置く。

 包丁は決めた場所へ。木の匙は、洗うものと一緒に。

 いつもなら出発の順番に並べる道具を、今日は使う場所へしまっていく。


 空になった袋を見て、ミナは寝台の端へ座った。

 窓の下を誰かが笑いながら通り過ぎる。


「……帰ってきた」


 言ってみると、もう一度、嬉しくなった。


     *


 午後、ギルドで帰着の報告を済ませた。

 旅先で終えた依頼の書類を確かめてもらい、ラグへ戻った知らせを届けてもらえるよう頼む。

 すぐに会えるとは限らないので、下宿へ戻ることも伝えた。


 帰りに、夕飯用のパンを少し買った。

 今日は手持ちの食材と合わせて、簡単なものにしようと思っていた。


 ところが、手袋を洗って干しているうちに、階下から名前を呼ばれた。


 降りていくと、ラグが立っている。

 右手には籠を提げていた。


「おかえりなさい、ミナさん」

「ただいまです。ラグさん、お元気でしたか」

「はい。そちらも、無事に戻られて何よりです」


 ラグの視線が、ミナの顔から立ち姿へ移った。

 怪我を探しているのかもしれないと思い、ミナは手を少し広げた。


「大丈夫です。帰りも、何事もなく」

「それを聞けて、安心しました」


 ラグは籠を持ち上げた。


「夕飯は、もうお決まりですか」

「パンは買ってきたんですけど、まだ作っていなくて」

「でしたら、私に作らせていただけませんか」


 籠には、包まれた鶏肉と玉ねぎ、それにりんごが入っていた。

 ミナが覗くと、ラグは少しだけ得意そうな顔をした。


「食べていただきたいものがあります」


     *


 台所を借りると、ミナはいつものように布を濡らした。

 作業台を拭き、芋へ手を伸ばす。


「今日は、座っていてください」

「でも、皮くらいは」

「お願いしたいことができたら、お呼びします。まずは、お客さまで」


 ラグが椅子を示したので、ミナは布を畳んで腰を下ろした。

 それでも、手元が気になった。


 ラグは芋を茹でている間に、籠から小さな木枠を取り出した。

 台に置いた枠の中へ器を収め、柔らかくなった芋を移して潰し始める。

 力を入れても器が横へ逃げない。


「それ、作ってもらったんですか」

「道具の修理を頼んでいる方に相談しました。器の底に合わせただけだ、とおっしゃっていましたが」


 匙を置く場所も、鍋を寄せる場所も、右手で届く範囲にまとまっている。

 使い終えたものを先に脇へ移してから、次の器を持つ。

 ミナは膝の上で手を重ねた。

 手伝おうと立つ前に、ラグの方で次の準備ができていた。


 鶏肉を鍋へ入れると、皮の焼ける音がした。

 すぐには動かさず、端に色がついてから返す。

 玉ねぎを加えて火を弱め、薄く切ったりんごと少量の水を入れて蓋をした。


「りんごも、一緒に煮るんですね」

「最後に入れる分も残してあります」


 皿の上には、厚めに切ったりんごが数切れあった。


「薄い方は汁に溶けるように。こちらは、食べたときに残るように、と教わりました」

「どなたに?」

「町の料理屋です。食べて気になったので尋ねたところ、仕込みのときに見せてくださいました」


 その日、ラグは頼まれた薪を運び、店の者と同じ昼食を食べたという。

 それから時々、空いている時間に顔を出すようになったらしい。


「先日は、芋を少し多く作りすぎまして」

「どれくらいですか」

「自分の夕飯と、翌日の分と、近くの工房のお二人の分ができました」


 ミナは顔を上げた。


「……少し、でしょうか」

「私も、そこは考え直しているところです」


 ラグが真面目に言うので、ミナは口元を押さえた。

 笑うと、長く荷車に揺られていた疲れまで、少しほどけた。


 蓋を開ける頃には、甘い玉ねぎと焼けた肉の匂いが台所へ広がっていた。

 ラグは厚切りのりんごを加え、肉の中まで火が通ったことを確かめる。

 肉を取り出した後の汁を少し煮詰め、皿へ盛った芋と鶏肉にかけた。


「お待たせしました」


 ミナの前へ、温かい皿が置かれる。

 パンを分けることだけは任せてもらい、管理人も誘って食卓についた。


     *


 最初に、肉を小さく切って口へ運んだ。


 皮に残った香ばしさの後で、柔らかな甘みがした。

 甘いだけではない。りんごの酸味と玉ねぎの味が、肉の汁に混ざっている。

 次に添えられたりんごを食べると、こちらには形も香りも残っていた。


「……おいしいです」


 ミナはもう一度汁をつけ、それからラグを見た。


「これ、りんごの種類で味が変わりますよね。お店でも同じものを使っているんですか?」

「同じものがない日は、量を変えるそうです。私が最初に作ったときは、少し甘くなりすぎました」

「そのときは、どうしたんですか」

「食べました」


 ミナが瞬きをする。

 管理人が先に笑った。


「次は直したんでしょう?」

「はい。まず、りんごを味見するようになりました」


 ミナも笑いながら頷いた。

 旅先で覚えた料理の話を、たくさんするつもりだった。

 けれど今は、ラグの話をもっと聞きたかった。


 料理屋で見せてもらった道具のこと。

 胡椒を少し増やしてほしいと言った職人のこと。

 空の器を返しに行ったつもりが、お茶を出されて話し込んだこと。


 ミナが知らないリュネールでの日々が、食卓の上に増えていった。


 食べ終えてから、ミナは部屋から小さな包みを持ってきた。

 乾いた果実と豆、それに木の匙。

 記録帳は、汁がつかないよう拭き直した机の端へ置く。


「こちらが、ルガンで教えていただいた煮込みに使う実です。酸っぱいので、少しずつ」


 ラグは欠片を口に入れ、しばらく黙った。

 耳が、わずかに動く。


「……なるほど。少しずつですね」

「私も、最初はびっくりしました」


 ミナは笑って、記録帳を開いた。

 イェルカは焼き目のついたところを好み、ゼルは酸味を後から足した。そう書いた頁を見せながら、二人で食べに来てくれた夜のことを話す。


「お二人とも、よく召し上がったのですね」

「はい。待っている間から、楽しみにしてくださって」


 尻尾が床を叩く音まで思い出し、ミナはまた少し笑った。


「今度は、私がルガンで教わったものを作りますね」

「では、こちらで材料を探すところからですね」


 窓の外で、店じまいをする戸板の音がした。

 明日はこの町の店を回れる。夕方には、またこの下宿へ帰ってこられる。


 ミナは記録帳を閉じ、空になった皿を重ねた。


「ごちそうさまでした。……ただいまです、ラグさん」


 ラグは、右手に持っていた匙を置いた。


「おかえりなさい、ミナさん」



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

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