第147話 持って帰りたいもの
商会の机に、ミナが渡してきた報告が並んでいた。
川沿いで採った葉。繊維にする植物。高地へ運んだ試料と、その後に確かめた処理の結果。
いちばん上には、昨日納めた根茎の受領書が置かれている。
担当の女性が、依頼の控えと一枚ずつ照らし合わせた。
ミナは机のこちら側で待ちながら、最初の紙へ目を向けた。
ルガンへ入って間もない頃の字だった。
「根茎の残りの注文は、地元の採取人へ引き継ぎます。ミナさんにお願いした採取と記録は、昨日の分で受領済みです」
女性は次の紙をめくった。
「加工場からの確認も揃いました。追加でお願いした分も含めて、これで依頼はすべて完了です」
最後の欄へ印が押された。
ミナは、その印を見た。
場所ごとに仕事を終えるたび、紙へ名前を書いてきた。それが、今は一つにまとまっている。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。予定より長くなりましたね」
女性が、タルカへ到着した日付を示した。
ミナは記録帳の最初を開いた。
リュネールを出てから、ふた月半近くになる。
移動や処理の確認にかかった日だけではなかった。魔物が出て、採取を待った日もある。昨日も、天候を見て予定より早く戻った。
仕事をする日を自分だけで決められないことを、何度も覚えた。
「その分、こちらで過ごす時間も増えました」
「待ってもらう間に、作業場へ随分通っていたそうですね」
「採った後が気になってしまって」
女性は笑い、報酬の明細を寄せた。
すでに受け取った分と、今回精算する分。立て替えた費用も確認する。
ミナは数字を追ってから、受け取る欄へ名前を書いた。
「この後も、ルガンを回りますか?」
ミナは少し考えた。
知らない土地は、まだたくさんある。
行ってみたいところを聞けば、きっとまた増える。
けれど、袋の底には使い終えた記録帳が入っていた。靴の踵は減り、針で直した布もある。
帰ってから作ってみたい料理が、何ページにもわたっていた。
「一度、リュネールへ帰ろうと思います」
口にすると、少し寂しくなった。
それと一緒に、下宿の台所が思い浮かんだ。
「その前に、川沿いの町へ寄れますか。お世話になった方がいるんです」
「では、そちらへ向かう便から調べましょう」
女性が別の帳面を開いた。
今度は、帰るための相談が始まった。
*
宿へ戻り、ミナは机に硬貨を並べた。
町を出るまでの宿代。
川沿いへ戻る移動の費用。
タルカから先、アルセリアへ向かう商隊への支払い。
商会で教わった見込みの額を、紙へ書く。
食費を加え、予定どおり動けない日があったときの分も残した。
その後で、土産に使える額を決める。
思っていたより、小さな山になった。
ミナは硬貨を見つめた。
昨日までは、仕事を終えて受け取ったお金だった。
今は、それで歩く道と、泊まる夜の数が見えていた。
少し迷い、土産の方から一枚を帰り道の分へ戻す。
袋を三つに分けて収めた。
机の端に、まだ何も書いていない紙がある。
ミナはそれを手前へ引いた。
ガルヴァンさんへ。
名前を書いてから、一度筆を止めた。
何から伝えようかと考え、帰国することに決めた、と続けた。
依頼をすべて終えたこと。
山を越えた町で、土の下に伸びる薬草の採り方を教わったこと。
危ないこともあったが、今は怪我もなく、帰りの準備をしていること。
書きたいことは幾つもあった。
けれど、手紙一枚に旅の全部を入れることはできなかった。
ミナは、エナの家で食べた豆の料理を思い出した。
柔らかい豆を匙ですくうガルヴァンの手。昔、食堂で向かい合ったはずの大きな人。
あの頃は、故郷を思って泣いていたのだと知らなかった。
『おじさんのお料理のお話を聞かせてくださって、ありがとうございました。私が覚えていなかったことを、ガルヴァンさんが覚えていてくださって、嬉しかったです』
筆を持ち直す。
『教えていただいたお料理は、リュネールでも作ってみます。いつか私の店へ来ていただけたら、そのときには、ほかにも食べていただきたいものが増えていると思います』
最後に、また会える日を楽しみにしています、と書いた。
帰国後に手紙を受け取れる下宿の住所も添える。
読み返しているうちに、お腹をすかせて行こう、と言ってくれた声を思い出した。
ミナは小さく笑い、紙を畳んだ。
*
「もう買い物へ行ける?」
宿の入口で、イェルカが手を上げた。
今日は大きな荷を背負っていなかった。肩に掛けた小さな袋から、買い物に使う布が覗いている。
「はい。手紙を出してからでもいいですか」
「もちろん。ガルヴァンさん?」
ミナが頷くと、彼女は商会へ続く道を示した。
高地の集荷所を通す宛先は、窓口で確かめられるという。
手紙を預け、配送の料金を払った。
自分は川の方へ戻る。手紙は、ガルヴァンのいる方へ運ばれていく。
封筒がほかの便りと一緒に収められるまで見届け、ミナは窓口を離れた。
「帰りの便は?」
「三日後に、川沿いへ向かう荷が出るそうです。途中の乗り継ぎも確認していただいています」
「その荷なら、私も話を聞いた。向こうまで案内の仕事を受けられそうだよ」
ミナは顔を上げた。
「また、ご一緒できますか」
「うん。その先は私の次の仕事があるから、川の町までだけど」
「よろしくお願いします」
イェルカは頷き、それからミナの手元を見た。
「今日は、何を買うつもり?」
ミナは紙を開いた。
イェルカの視線が、上から下へ動く。
「……これ、全部?」
「候補です」
「よかった。もう一人、荷運びを頼むのかと思った」
*
雨の後の市場は、人で賑わっていた。
屋根の布を張り直す音がして、通りの端では濡れた籠が日に当てられている。足元の窪みに残った水を避けながら、人々が店先を覗いていた。
干した実の店で、ミナは立ち止まった。
岩爪獣の頬を煮たときに使った、赤茶色の実がある。
隣には、もっと丸く、色の薄いものが並んでいた。
「こっちは、甘いんですか」
「食べてみる?」
店の女性が、小さく割った欠片をくれた。
ミナは礼を言い、口へ入れた。
甘いと思ったのは、最初だけだった。
すぐに強い酸味が来て、頬の内側がきゅっとした。
隣でイェルカが笑った。
「その顔、今度は見られた」
「……色では、分かりませんね」
「そのまま食べるなら、こっちだよ」
店の女性が別の籠を示した。
ミナは水を一口飲んでから、煮込みに使った方を少量頼んだ。
袋の口をしっかり閉じ、湿らせないようにと言われる。
帰るまでの日数を伝え、持ち歩くときの置き場所も聞いた。
次の店には、豆が何種類もあった。
エナの家で食べたものに似た豆を見つけたが、店の人に聞くと、別の土地のものだった。
粒の大きさだけで選ばず、煮えるまでの時間と、皮の残り方を教えてもらう。
「両方買う?」
イェルカに聞かれ、ミナは二つの籠を見比べた。
「今日は、こちらだけにします」
書いた候補へ、一本線を引いた。
なくなったわけではない。
今度来たときに、食べたいものになった。
*
乳酪の店では、丸い塊が棚へ並んでいた。
そのまま運ぶものもあれば、切り分けて売るものもある。
ミナは値段を見て、次に大きさを見た。
イェルカが、その顔を横から覗く。
「それは、帰る前に食べ終わる大きさじゃないね」
「削って使えば、長く食べられると思って」
「長く背負うことにもなるよ」
ミナは、今日買った豆の袋を持ち上げた。
まだ軽いつもりだったのに、手へ重さがかかった。
店の人に相談すると、旅の日数や保管の仕方によっては、味も硬さも変わるという。
結局、小さく切ってもらったものを一つだけ買った。これは、帰り道で食べる分にする。
「持って帰らないんだ?」
「もう少し国境に近いところで、改めて探します。今日食べるものも、要りますし」
「うん。それがよさそう」
ミナは残った硬貨を確かめた。
買わなかったものの方が多い。
それでも、袋には違う匂いのする包みが増えていた。
市場の出口には、薄い木の匙を売る台があった。
ミナは一本を手に取り、指で柄の丸みを確かめる。
少し迷ってから、元へ戻した。
「それも、川の町?」
「はい。トビアスさんのところで、見てみたいです」
イェルカが笑って、通りの先へ歩き出した。
*
夕方、宿の中庭で配信を始めた。
机には、買ってきた包みを並べてある。人の出入りする方へは水晶を向けず、イェルカにも声が入ることを確かめた。
「ルガンでお願いされていた仕事が、全部終わりました」
文字板へ、言葉が届いた。
〈夕餉係:お疲れさまでした。いろいろな場所へ行きましたね〉
〈木の匙:では、次の町へ?〉
「川の方へ戻ってから、一度アルセリアへ帰ります。魔物が出て待つこともあったので、予定より少し長くなりました。こちらへ来て、ひと月半くらいです」
言いながら、豆の包みを開いた。
「今日は、お土産を探してきました。これは、教わった料理を帰ってから作るための分です」
〈石畳:あの豆の料理、また見たいです〉
〈夕餉係:酸っぱい実を使った煮込みも、材料が違うとどうなるか気になります〉
〈木の匙:乳酪を削っていた料理もお願いします〉
ミナは机の上を見た。
それから、椅子の脇へ置いた袋を見た。
「……全部は、入らないかもしれません」
「だから言ったでしょう」
隣からイェルカの声がして、ミナは笑った。
「作り方は、持って帰れます。材料が違ったら、できるかどうか、試してみます」
〈夕餉係:帰ってからのお楽しみですね〉
ミナは頷いた。
リュネールで手に入るものを、頭の中で並べてみる。
同じにならない料理もあるだろう。
それでも、どこから試すかは、来る前より分かっていた。
「こちらにいる間も、まだ何回かは配信できると思います。帰り道では、つけられない日もあるかもしれません」
〈石畳:道中お気をつけて。また見られるときに〉
ミナは礼を言った。
机の上に置いた小さな乳酪を切ると、イェルカが皿を寄せた。
「それは、お土産じゃないんだよね」
「はい。今日の分です」
「よかった」
彼女が一切れつまんだ。
ミナも口へ入れる。塩気の後に、乳の匂いが長く残った。
買ったばかりのものを、もう誰かと食べている。
それも、持って帰れることの一つだった。
*
配信を終え、包みへ名前を書いた。
同じような袋でも、中身を間違えないようにする。湿気を避けたいものは、別にまとめた。
帰国を知らせる手紙も、下宿と姉へ書いた。
到着はまだ先で、道中の都合によって変わる。分かったところまでの日程を添える。
最後に、地図を広げた。
来た道へ指を置くと、その途中に顔が浮かんだ。
工房で木を削るトビアス。
川辺で足を置く場所を示してくれたゼル。
明日もこの町で仕事をするハンノ。
帰ると決めても、すぐに国を出るわけではない。
会える人には、ちゃんと顔を見て礼を言いたかった。
荷物を袋へ戻して背負うと、朝より少し重かった。
ミナは立ったまま肩紐を直した。
歩ける重さだった。
机の上には、商会から受け取った依頼完了の書類が残っている。
それを折れないように収め、ミナは袋の口を閉じた。
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