第146話 もう一度、採取へ
修理された盾には、傷が残っていた。
縁の金具は直され、緩んでいた留め具も締め直されている。けれど、木の表面を斜めに走る跡は、明るいところへ向けるとよく見えた。
「全部削ると、そこだけ薄くなるからな」
店の男が言った。
ミナは左腕を通し、握りを確かめた。 前より少し、手に馴染む位置が違う。
「紐を替えた。使う前に合わせてくれ」
「ありがとうございます」
盾を傾けても、留め具は鳴らなかった。 修理代を払い、店先へ出る。
日よけの端から落ちる光が、通りを白く照らしていた。水売りの荷車が通り、人々が壁際へ寄る。細い水路の向こうでは、干した布がほとんど動かずに垂れていた。
岩爪獣と遭遇してから、四日が過ぎていた。
*
その間、ミナは商会の作業場へ通わせてもらった。
納めた根茎は、土を落として洗い、状態を確かめてから切り分けられる。
乾かすための棚には、細い木枠が何段も重なっていた。窓から入る風が直接当たりすぎないよう、布が掛けられている。
「これが君の持ってきた分だね」
作業をしていた女が、一つの籠を示した。
曲がった根茎に、見覚えがあった。
土の中で先が分からなくなり、周りから少しずつ掘ったものだ。
「折れていないと、洗うときにも持ちやすいんだ。切り分ける場所も選べるし」
女はそう言って、刃を入れた。
傷つけた方も捨てられてはいなかった。ただ、傷んだ部分を除き、ほかと分けて処理されている。
ミナは二つの籠を見た。
自分が掘っている間には分からなかった仕事が、その先にあった。
「乾いたものも、見ていいですか」
「いいよ。触る前に手を拭いてね」
乾かした根茎は、生のときより軽く、切り口の色も変わっていた。
ミナは記録帳に短く書き足した。
もう一度、自分で採ってみたかった。
*
イェルカとは、宿の中庭で会った。
彼女は別の荷運びの仕事を終えたところだった。肩の紐を緩め、水を飲んでから、ミナの盾へ目を向ける。
「戻ってきたね」
「はい。留め具も直していただきました」
ミナは盾を膝へ置いた。
話そうと決めていたことが、口の中で少し重くなった。
「イェルカさん。採取が再開されたら、もう一度、行きたいです」
イェルカは水筒の蓋を閉めた。
「どこまで聞いてる?」
「道の確認は続いているそうです。入っていいと言われるまでは、待ちます」
「うん。それで、どうして?」
ミナは、膝の盾へ指を置いた。
「採ったものを処理するところを、見せていただきました。傷をつけずに持って帰ると、次の方も扱いやすいんだと分かって……ハンノさんに教わった採り方を、もっと覚えたいです」
イェルカは黙って聞いていた。
ミナは顔を上げた。
「途中になった仕事も、できるところまで続けたいです」
「怖くなかったことにするためなら、付き合わないよ」
すぐには返事ができなかった。
岩の上から爪が見えた瞬間を思い出す。
「怖くなくなったわけでは、ないです」
「そうだね」
イェルカは、ミナの隣へ座った。
「あんたは、十四の採取人としてはかなり戦える。……戦えてしまうんだよね」
「それは、いけないことですか」
「助かったよ。あのときは、本当に」
彼女の声は、はっきりしていた。
「ただ、次もミナなら大丈夫って、周りが思い始めたら困る。あんた自身もね」
ミナは盾の傷を見た。
もう一度あの魔物が現れたとして、同じように動けるかは分からなかった。
「私も、あんたが残ると言ったとき、任せた。だから、あんただけに気をつけろとは言えない」
「……次は、私が戦わなくても帰れるように、ですか」
「まずはね。それでも必要になったら、その力を使えばいい」
中庭の向こうで、宿の人が敷物を払った。
乾いた音が二度、響いた。
ミナは盾から手を離した。
「どうしたら行けるか、相談したいです」
イェルカが頷いた。
「よし、それなら、商会へ行こう。私も話したいことがある」
*
商会では、ほかの採取人からも仕事を再開したいという声が出ていた。
根茎を使う店は、町の外にもある。
今ある在庫でしばらくは足りるが、採らなくてよくなったわけではなかった。
「再開するなら、人数をまとめるつもりです」
職員が説明した。
採取する者が四人。
警戒と道の確認に二人。イェルカのほかに、現地の護衛を一人つけるという。
「その分、費用は増えます。受け取り先と相談して、今回は商会側で手配します。ただし、次も同じ条件とは限りません」
ミナは紙を確かめた。
道具の貸し出しと、採った分の買い取り。同行する者の役割も書かれている。
イェルカは帰路と集合の仕方を確認した。
採取人がばらばらに移動しないこと。警戒役から声がかかったら、返事をすること。
ミナも、前の採取を思い出しながら聞いた。
「片づける時間も、先に伝えた方がいいですか」
職員が顔を上げた。
「掘っている途中だと、すぐには歩き出せないので。残す芽へ土を戻して、道具を収めて……」
「それは分かると助かる」
イェルカが答えた。
「採り終わった、が、そのまま出発できるって意味とは限らないもんね」
ハンノにも聞き、次に集まったときに全員で確かめることになった。
ミナは参加する欄へ名前を書いた。
前より人が多い。
その中で、自分が何をするかも前より分かっていた。
*
再開の知らせが出たのは、さらに二日後だった。
入れるのは、調査を終えた南側の区画だけ。 岩爪獣と遭遇した岩場と、その奥へ続く道は引き続き避けるようにと、地図へ印がついていた。
朝、ミナが集合場所へ着くと、ハンノは籠の紐を結び直していた。
「おはようございます」
「おはよう。今日は、道具を忘れてないな」
ミナは袋を確かめかけ、彼の顔を見た。
「前も、忘れてはいません」
「そうだったな」
ハンノが笑った。
少し緊張していた肩が緩んだ。
ほかの採取人は、布を頭へ巻いた女と、ミナよりずっと背の高い男だった。
護衛には短い弓を背負った冒険者が加わり、イェルカと地図を見ている。
空は薄く霞んでいた。
遠い山の輪郭だけが、青黒く見えた。
ミナは位置の共有と記録を確かめ、盾の紐を締めた。 町を出る一行の中へ入り、歩き始めた。
*
南の採取地は、低い斜面が幾つも重なる場所だった。
くぼみにだけ草が密に生え、斜面の上には白っぽい石が顔を出している。
道中で渡った溝には水がなく、底の砂に細い筋が残っていた。
「雨が山へ入ると、ここにも流れてくる」
イェルカが説明した。
「帰りに水が増えていたら、勝手に渡らないで。上の橋へ回る」
ミナは、橋へ向かう道の分かれ目を見ておいた。
採取を始める前に、四人で範囲を確かめた。 互いの姿が見えるところまで。
次の場所へ移るときは、一人で先へ行かない。
ハンノが掘る場所を選び、ミナも隣で葉を確かめた。
包みを置く場所を空ける。
土の表面を少しずつ除く。
根茎の向きが見えてから、その外側へ道具を入れた。
前と同じように、先が分からなくなるところはあった。けれど、そこで引っ張らずに済んだ。
「こっちへ曲がってます」
「そうだな。なら、どっちから掘る?」
ミナは反対側の土を示した。
少し見てハンノが頷く。
一本を採り終え、残す芽へ土を戻した。
立って腰を伸ばすと、ほかの二人はもう次の株を掘っていた。
早い。
思わず手を速めそうになり、ミナは一度、水を飲んだ。
イェルカが見回りから戻ってくる。
「そっちは、あとどれくらい?」
「もう少し」
背の高い男が答えた。
布を巻いた女も、手元を見たまま同じように言った。
ミナは二人の作業を見た。
男は根を切り離していたが、女の方はまだ土の中へ道具を入れている。
「こちらは、包めば終わりです。向こうは、先を掘っているところで……私は、あと土を戻せば動けます」
イェルカがそれぞれを見た。
「分かった。じゃあ、次の場所へはまだ移らない」
ハンノがミナの包みを寄せた。
「土を戻しておいで。こっちは一緒に包む」
「ありがとうございます」
ミナはしゃがみ直した
誰かに全部任せてもらったわけではない
それでも、伝えたことで次の動きが決まった。
*
昼前、風が変わった。
首の後ろへ当たっていた空気が、頬へ吹きつける。
イェルカが山を見た。
朝には見えていた尾根が、灰色の雲へ隠れていた。
弓を持つ護衛が戻り、彼女と短く話した。
イェルカは四人へ声をかけた。
「今日は、ここで終わり。早めに戻るよ」
背の高い男が籠を見た。
「あと一束くらいいいか、そこの株で」
「掘る時間と、戻る時間が要る。山の方は、もう降ってるかもしれない」
男は雲へ目を上げた。
それから道具を収め始めた。
ミナの前にも、よく育った株があった。
葉の色もいい。
でも、土の下でどれくらい伸びているかは、掘るまで分からない。
道具を入れず、袋へ戻した。
「ハンノさん、こちらの包みは私がまとめます」
「頼む。こっちは土を戻してくる」
布を巻いた女の根茎は、まだ片側が土へつながっていた。
ミナはそちらを見た。
「何か、お手伝いできますか」
「ああ、ありがとう。残す方へ土を寄せておいて。切れたらすぐ戻せるように」
ミナは木の道具で土を集めた。
女が根茎を切り離す。二人で芽の周りを埋め、踏み固めすぎないよう手で押さえた。
「採る作業は終わりました。あと、この包みを袋へ入れます」
ミナが伝えると、イェルカは帰り道の方へ顔を向けた。
「じゃあ、こちらへ。紐は歩く前に確かめて」
ハンノが女の籠を持ち上げ、背負いやすいよう支えた。
ミナは地面に道具が残っていないかを見た。
先ほどまで四人が屈んでいた場所に、包みも刃物もなかった。
雨の匂いがした。
*
町への道で、最初の雫が落ちてきた。
ミナの手の甲へ、丸い跡ができる。
続いて肩へ二つ。
乾いた地面の色が、点々と濃くなっていった。
前を歩く護衛が溝へ下り、対岸と上流を確かめた。
まだ流れはなかった。
イェルカの合図で、一人ずつ渡る。
砂の底を歩きながら、ミナは籠を背負った女の足元を見た。
段差のところで手を貸し、自分も岸へ上がる。
最後のイェルカが渡り終えた頃、溝の底へ細い水が流れ始めた。
雨粒が跳ねるだけだった砂の上を、濁った筋が伸びてくる。
「もう一本、掘っていたら遅かったね」
イェルカが言った。
ミナは水を見た。
まだ渡れそうに見える。
けれど、次の角からどれくらい来るのかは、ここからでは分からなかった。
袋の口へ雨よけの布を掛け直し、歩く。
町へ着く頃には、靴の先がすっかり濡れていた。 商会の日よけの下へ入った直後、屋根を打つ音が大きくなる。
通りの人たちが駆け出し、露店の布が急いで畳まれた。
六人は顔を見合わせた。
「危うく、上の橋まで歩くところだった」
背の高い男が籠を下ろした。
「次は、もう少し空も見るよ」
「採ってると、下ばかり見るからね」
イェルカが答えた。
「だから、次は声をかけたら聞いてよ」
男は素直に頷いた。
*
納品した量は、最初の目安に届かなかった。
職員は帰還を早めた理由を聞き、採取物の状態を確かめた。
雨が染み込んだものはなかった。
包みを開くと、曲がった根茎が、その形のまま並んでいた。
「今日の分は、これで受け取ります。残りは天候を見て、改めて組みます」
秤へ載せた分が記される。
ミナは自分の採った量と金額を確かめ、受領の欄へ名前を書いた。
借りていた掘り道具は、泥を落として乾かし、刃の状態を見てもらって返した。
道具箱へ収まるところを見ていると、ハンノが隣へ来た。
「最初は、一本を掘るので精いっぱいだったのにな」
ミナが振り向く。
「今日は隣まで見てた」
「ハンノさんが、包むのを手伝ってくださったので」
「お互いにな」
彼はそう言って、空になった籠を背負った。
イェルカは職員との話を終え、入口で雨を眺めていた。
ミナも隣へ立つ。
水路には朝より多くの水が流れ、濡れた石壁から、土の匂いがした。
「今日は、戦いませんでしたね」
イェルカが顔を向けた。
「うん。一番いい結果だよ。よく働いて帰ってきた」
ミナは頷いた。
盾は背中にあり、槍も持っている。
どちらも、今日は使わなかった。
それでも、できたことは幾つもあった。
雨が弱まるのを待ちながら、ミナは報酬を袋へ収めた。
この町で引き受けた仕事が、一つ終わった。
記録帳には、まだ乾かした根茎の匂いが少し残っていた。
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