第142話 土の下は見えません
掘り道具は、思っていたより細かった。
ミナは商会の裏庭で、渡された道具を両手に持った。
短い柄の先に、幅の狭い鉄の刃がついている。土をすくうというより、固まったところへ差し込むための形だった。
「先を、株の真下へ入れないようにね」
道具を貸してくれた男性が言った。
ハンノという地元の採取人だった。短い髪には白いものが混じり、爪の際には、洗っても落ちきらない土の色が残っている。
「こちらの細い棒は?」
「最後に土を外す方。鉄で全部やろうとすると、傷をつけるから」
ミナは先の丸い木の棒も受け取った。
昨日借りた図鑑は部屋へ置き、必要なところだけ紙へ写してきていた。
葉の形と、その下へ横に伸びる地下茎。
絵では、地面がきれいに切り取られ、中まで見えている。
「これを見ながら、確かめてもいいですか」
「もちろん。ただ、絵と同じ向きに生えているとは限らないよ」
ハンノは紙を見て頷き、自分の籠を背負った。
*
門の近くでは、イェルカが巡回から戻った人と話していた。
行くのは、町から歩いて戻れる採取区画だった。
畑の水路を離れ、低い岩の多い斜面へ向かう。許可された区画は杭で分かれていて、今日はその手前側を使うという。
「上の岩場には寄らない。昨日の巡回では、下の道に魔物は出ていない」
イェルカはそう言ってから、ミナとハンノを見た。
「ただ、いないと決まったわけじゃない。呼んだら作業を止めて。荷物より、先に立つこと」
「はい」
ミナは槍を持ち直した。
盾の留め具も確かめる。掘っている間、槍をどこへ置くかは、着いてから決めるつもりだった。
「この辺りには、どんな魔物がいるんですか?」
「岩爪獣。岩へ前足を掛けて上がる。低い石垣くらいなら、向こうに回ったから安全とは思わない方がいい」
イェルカは片手を開き、指を少し曲げた。
「正面ばかり見ていると、横へ来る。見かけたら、まず知らせて」
ミナは頷いた。
ハンノも、採取地へ向かう道で爪の跡を見たことがあるという。
「私は、走るのは速くないからね。見張ってくれる人がいる日に出る」
「今日は私が見る。二人は、採る方を頼むよ」
イェルカが先へ立った。
ミナはその後へ続き、最後にハンノが門を出た。
*
同じころ、アルセリアの練習場で、キリルは火を消していた。
的にした焼き物の板には、黒い丸がついている。
狙った印より、ひと回り大きかった。
「当たってるんだけどな……」
横に置いた課題の紙を見直す。
決められた範囲へ、同じ強さで三度。
一度だけならできた。二度目に小さくしようとして、今度は火が弱すぎた。
見てもらっていた指導役が、板の端を指した。
「試験では、大きく焼けばよい課題ばかりではないよ」
「分かってます」
答えてから、キリルは杖を下ろした。
分かっていることと、できることは別だった。
水を飲み、少し離れた腰掛けへ座る。
ミナに魔法の話をしたときのことを思い出した。
急に力を増やさず、小さく確かめるようなことを、自分でも言っていたはずだ。
「……言うだけなら、簡単なんだよな」
立ち上がり、まず小さな火を出した。
大きくする前に、形が崩れないところを探す。
さっきより時間が掛かった。
それでも、次に板へ残った跡は、印の内側に収まった。
キリルは声を出しかけ、もう一度、杖を構えた。
まだ、一回だ。
もしミナに見せるなら、たまたまできた一回だけでは、少し格好がつかない。
三つ目の跡まで揃ったところで、ようやく口元が緩んだ。
「よし」
紙の隅へ、小さく印をつけた。
次は、少し距離を変えてやってみる。
*
採取地の土は、表面だけを見ると硬そうだった。
ところどころにひびが入り、その間から細い茎が伸びている。
日陰に入ると、草の葉先が靴へ触れた。町の外から眺めたときより、いろいろな形の葉が混じっていた。
ハンノは区画の杭を確認し、ミナを一株の前へ呼んだ。
「まず、これと隣を比べて」
ミナは紙を開き、葉の裏を見た。
似た形でも、筋の分かれ方が違う。茎へつく位置も、片方は少しずれていた。
ハンノが、採ってよい方を示す。
「下に太いものがあっても、何でも同じには使えない。今日は、この株を覚えよう」
ミナは二つをもう一度見比べてから、頷いた。
作業を配信してよいか尋ねると、ハンノは顔を映さないことと、区画の詳しい場所を言わないことを条件に許可してくれた。
イェルカにも確認し、肩の水晶の向きを調整する。
槍はすぐ手を伸ばせるところへ置いた。
「今日は、土の下にある部分を採ります。ハンノさんに、掘り方から教わります」
〈夕餉係:おはようございます。今日は道具が違いますね〉
「はい。まだ使ったことがないので、先に見せていただきます」
ハンノは株から少し離れたところへ、鉄の刃を入れた。
土を割り、その外側へよける。
次に木の棒を使うと、薄茶色の太い部分が、少しずつ顔を出した。
「ここが、残す方だ」
小さな芽を示される。
そこから続く古い部分を確かめ、必要なところだけ切り分ける。
残す方へ土を戻し、軽く押さえた。
手の中には、昨日の見本に似た地下茎が載っていた。
細い根はついているが、表面に大きな傷はない。
「やってみる?」
「はい」
ミナは道具を握った。
順番は、見ていた。
同じようにできると思った。
*
最初の土は、思ったところで割れなかった。
刃を起こした途端、内側へ崩れた土が株元を覆った。
見えていた茎の付け根が、分からなくなる。
ミナは慌てて指でよけようとし、ハンノに止められた。
「今、どちらへ伸びていたか、見えていた?」
「……まだ、見えていませんでした」
「なら、押さえないで。芽が下にあるかもしれない」
ミナは手を引いた。
土を少しずつ外すと、ようやく太い部分が見えた。
今度は、それを持ち上げたくなる。
けれど、ハンノは首を横に振った。
「まだ、向こうが埋まっている」
持ったところは動いても、その先は土に押さえられたままだった。
引けば、途中で折れていたかもしれない。
ミナは口を結び、木の棒へ持ち替えた。
周りを広く掘り直す。
ハンノが簡単そうに外した土が、何度も同じところへ落ちてきた。
「こっちへ、よけてごらん。掘る側に積むと、戻ってくるから」
「はい」
ようやく一本を出せたときには、膝の前が土だらけだった。
表面に、細い擦り傷がついている。
使えなくなるほどではないが、傷のない見本とは分けることになった。
ミナは札を置いた。
最初の一本、と書く筆に、少し力が入った。
〈石畳:下が見えないと、難しそうですね〉
「……難しいです」
思っていたより、はっきりした声が出た。
ハンノが顔を向ける。
「もう一本、やってみてもいいですか」
「もちろん。今日は、そのために来たんだよ」
*
次は、道具を入れる前にしゃがみ直した。
茎の付け根を見る。
目へ弱く魔力を通すと、表面の細かなひびや、土の粒の隙間は追いやすくなった。
けれど、その下まで見えるようにはならない。
どこへ伸びているのかは、出して確かめるしかなかった。
「最初は、もっと外からですね」
「そう。近づくのは、見えてからでいい」
ミナは鉄の刃を少し遠くへ入れた。
腕へも、弱く魔力を通す。
力を増やして一度に掘るのではなく、道具が急に深く入らないよう、握る位置を短くした。
表面の硬いところを割る。
崩した土を、これから掘らない側へよける。
木の棒へ替え、露出したところの周りを外す。
薄茶色の線が、横へ曲がっていた。
図鑑の絵のように、まっすぐではなかった。
「こちらへ続いています」
「うん。その先を見よう」
ミナは体の向きを変えた。
見つけた芽を土で隠さないようにしながら、古い部分へ手を進める。
最後に細い根が残った。
引っ張らず、切ってよい位置をハンノに確かめた。
刃を入れる。
掌の下で、地下茎が少し浮いた。
持ち上げると、今度は途中で引っかからなかった。
「……できました!」
ミナは顔を上げた。
思わず声が大きくなり、少し離れたイェルカまで振り返った。
ハンノが受け取り、裏側と切り口を見る。
「うん。残すところも傷めていない。これなら、次の株も任せられる」
「ありがとうございます」
笑ってから、ミナは慌てて足元を見た。
まだ、穴を戻していない。
ハンノも笑い、残した芽の方を示した。
「そっちを済ませたら、本当に一本終わりだね」
〈夕餉係:できたときのお顔が見たかったです〉
手元だけの画面へ、その文字が届いた。
ミナは土を戻しながら、口元を隠すように俯いた。
まだ、少し笑っていた。
イェルカが、水を飲むよう声をかけた。
ミナは道具を置き、膝を伸ばす。立ってみると、片方の脚ばかりに重さを掛けていたことが分かった。
「ずいぶん真剣な顔してたね」
「最初の一本が、うまくいかなかったので」
「悔しかった?」
ミナは水筒を持ったまま、少し黙った。
ハンノの手では簡単そうだった。それを、自分にもすぐできることだと思っていた。
「……ちょっと、悔しかったです」
「そっか」
イェルカは笑ったが、それ以上からかわなかった。
ハンノが、自分の道具についた土を落としながら言う。
「私も、最初からきれいに出せたわけじゃないよ。今日全部覚えて帰られたら、教えることがなくなる」
「まだ、たくさんあります」
思わず答えると、二人が笑った。
ミナも笑い、水筒の栓を締めた。
*
何本か採ると、同じ太さでも形が違うことが分かった。
石に沿って曲がったもの。
二つに分かれていて、片方を先に出さなければならないもの。
一本できたからといって、次も同じ手順では済まなかった。
それでも、最初のように引き上げようとはしなかった。
見えないところが残っていれば、その周りの土を外す。
迷うところでは、ハンノを呼ぶ。
木枠へ並べた分を見て、ミナは必要な数に近づいていることを確かめた。
この区画では、印のある若い株は残す。
使っていない奥の区画にも、勝手には入らない。
「手前だけで、全部採ってしまわないんですね」
「以前、奥へ出られない時期に、近いところへ人が集まったからね。今は順番を決めている」
ハンノが、道の下に見える畑へ顔を向けた。
「畑の仕事もある。こちらを採れば、買うものの足しになる。どちらも、来年まで続かないと困るんだ」
ミナは残した芽を見た。
採取のやり方は違えどちゃんと残す、という部分は同じなんだ、と改めて思った。
イェルカが近づいてきたので、ミナは顔を上げた。
作業が進んだところを見てもらおうと、口を開きかける。
「刃を収めて」
声が短かった。
ミナはすぐに包丁を鞘へ戻した。
*
イェルカは、少し上の岩を見ていた。
白く削れた筋が、三本並んでいた。
その下に、乾いた土の欠片が落ちている。
「岩爪獣の跡。新しい」
ミナは息を止めた。
朝、開いて曲げられたイェルカの指を思い出す。
「今日は終わり。ハンノさん、道へ戻るよ。ミナ、立って」
ミナは槍を取った。
残っている道具を拾いかけた手を止め、先に足を揃えず立つ。
ハンノも籠を肩へ掛けたが、イェルカは重ければ置くように言った。
「まだ、いるとは限らない。けど、確かめるために近づくことはしない」
ミナは頷いた。
肩の水晶には、まだ配信の灯りがついていた。
「魔物の跡があったので、戻ります。コメントは、今は読めません」
それだけ話し、文字板から目を離した。
下の道までは、岩の間を抜ける短い坂がある。
来るときにも歩いた道だった。
イェルカが先に向きを変え、ハンノを内側へ通す。
ミナは槍の先を人へ向けないようにしながら、後ろへ続いた。
小石が落ちた。
一つだけではなかった。
道の先へ、乾いた粒がぱらぱらと転がる。
ミナは顔を上げた。
岩の縁へ、長い爪のある前足が掛かった。
続いて、低く伏せた頭が出てくる。
「止まって」
イェルカの声と同時に、ミナは盾を前へ寄せた。
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