↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
141/226

第141話 新しい山と新しい食材

 朝の石段には、まだ家の影が長く落ちていた。


 ミナは宿の入口で袋を背負い、肩紐を引いた。

 昨日確かめた位置で留める。水筒の栓へ触れ、腰の包丁と盾も、歩くときに当たらないことを確かめた。


「忘れ物は?」


「大丈夫です」


 イェルカが頷き、杖を持ち直す。

 宿の人へ礼を言うと、向こうも手を上げてくれた。


「また、お風呂に入りにおいで」


「はい。今度も、広場まで行ってみます」


 石段を下りる足音が、二人分重なった。

 市の開かれる通りでは、まだ台を出しているところだった。紐を買った店の前を通ると、ミナは無意識に髪へ触れた。

 今日は青い紐で、後ろの髪をしっかりまとめている。


 町の外れで、道は二つに分かれた。

 来たときの川へ下りる道と、山の肩を越える道。

 イェルカは後者へ足を向けた。


     *


 畑の石垣が途切れると、土の道になった。


 靴の下で小石が鳴る。

 低い木の間を、風が右から左へ抜けていった。背中に日が当たっていても、指先には少し冷たさが残る。


 ミナは上り坂の手前で、歩幅を小さくした。

 脚へは弱く魔力を通す。足が軽くなっても、前へ大きく出しすぎない。

 息を吐き、もう一歩進む。


 先を歩いていたイェルカが振り返った。


「今日は、言う前に変えたね」


「この前、大きく歩くと途中で苦しくなったので」


「うん。そのくらい。後ろを急ぐ人が来たら、広いところで先に行ってもらえばいい」


 ミナは頷いた。

 いつも誰かの踵へ、同じようについていく必要はなかった。


 しばらく歩いてから、平たい岩のそばで休んだ。

 袋を下ろすと、肩の周りへ風が入る。

 水筒を出し、口をつける前に残りの重さを確かめた。


「次に水を汲めるのは、お宿ですか?」


「その手前の小屋でも汲める。けど、今日はそこの分を当てにして減らしてこなかった」


 イェルカは道の続く方を見た。


「使えない日もあるし、先に荷の人が重なることもある。水を背負うのは重いけど、ここで足りない方が困るから」


 ミナは少しずつ飲み、栓を戻した。

 イェルカにもらった道の説明には、水場の印の横へ、小さく注意が添えてあった。

 印があるだけで、いつでも同じように使えるとは限らない。


     *


 昼前、道の片側が開けた。


 ミナは歩きながら顔を上げかけ、いったん足を止めた。

 イェルカが、先の広くなった場所を示す。

 そこまで進んでから、二人で谷の向こうを見た。


 低い木の続いていた斜面が、その先では薄い茶色へ変わっていた。

 草は生えているが、木々のように地面を覆ってはいない。

 遠くの畑には、細い緑の帯が曲がりながら伸びている。


「同じ山なのに、こんなに違うんですね」


「向こう側は雨が少ない。こっちで降っていても、あっちは晴れていたりする」


 イェルカが空へ杖の先を向けた。

 背後の尾根には雲が掛かっていたが、進む方には明るい空が広がっている。


「あの緑のところは、川ですか?」


「水を引いている畑だね。町へ着いたら、近くから見られる」


 ミナは、乾いた斜面と緑の畑を見比べた。

 川沿いで見た葉の重なりとは、ずいぶん違う。

 あちらでは、何を採り、何を食べているのだろう。


 昼食は持ってきた保存食と、宿で包んでもらった焼き根菜だった。

 イェルカは食べ終えると、包みを畳んで袋へ戻した。


「ここからは下りが増える。楽だと思って飛ばすと、膝へ来るよ」


「はい」


「私も来た」


 付け足された言葉に、ミナは笑った。

 イェルカは真面目な顔で、下り坂へ杖をついた。


     *


 その日の宿は、街道沿いの小さな集落にあった。


 石の壁は厚く、扉の奥へ入ると、外よりひんやりしている。

 中庭には長い庇が出ていて、旅人たちがその下で荷をほどいていた。

 ミナも袋を下ろし、まず靴の中へ入った砂を払った。


 水場で手を洗おうとすると、宿の人が小さな桶を示した。


「汲む方は上。洗うのは、こちらで頼むよ」


「はい」


 ミナは言われた場所へ移った。

 隣では、別の旅人が布の泥を先に落としてから水を使っている。

 水槽へ直接布を入れる人はいなかった。


 夕食は宿で頼んだ。

 干した野菜の入った汁と、穀物を固めたものが出てくる。

 熱い汁を少しずつかけると、硬かった表面がほぐれていった。


「これは、こうして食べるんですね」


「そのまま噛んでもいいけど、汁があるならね」


 イェルカは自分の分を割り、器の端へ沈めた。

 ミナも真似をし、柔らかくなったところから食べた。


 食事が落ち着いてから、少し気になっていたことを尋ねる。


「ロゼッタさんとは、昔からご一緒されていたんですか?」


 イェルカの匙が止まった。


「……昨日、本人の前で聞かなかっただけ偉いね」


「聞いてはいけないお話でしたか?」


「いいよ。ずっと組んでいたわけじゃない。私が道の仕事を始めたころ、同じ一行になったことがあったんだ」


 山を越えて荷を運ぶ途中だったという。

 若いイェルカは道を覚えたばかりで、近道も、よい休憩場所も知っているつもりだった。


「早く着けば、喜ばれると思った。自分は歩けるから、後ろも歩けるだろうって」


「疲れてしまったんですね」


「私じゃなくて、同行していた人がね。休もうって言われて、そこで初めて、ずいぶん離れていたのに気づいた」


 イェルカは匙を置いた。


「ロゼッタさんは、私に休憩を任せたんだ。何をするか、見ていたんだろうね」


「何をされたんですか?」


「ここからなら、あとどれくらいで着けるって説明した」


 ミナは少し考えた。

 今日の休憩で、最初にしたことを思い出す。


「……お水は?」


「そう。それと荷を下ろす場所。足が痛い人はいないか。到着時刻より、先に聞くことがあった」


 イェルカは苦笑して、汁を飲んだ。


「あの人、後で私の荷物も見た。自分の方も、余分なものを詰めすぎていたからね。人のことを見られる余裕なんて、なかったんだと思う」


 ミナは椅子の脇の袋へ目を向けた。

 出発前、何度も背負ったところを見てもらった。

 そこには、イェルカ自身が困った時間も含まれていたのだ。


「教えていただけて、助かっています」


「じゃあ、明日も遠慮せず言って。靴が痛いとか、休みたいとか」


 イェルカは空の器を少し押した。


「私は、もう少し食べたい」


 ミナが笑うと、彼女は宿の人へ追加を頼んだ。


     *


 翌朝、上着を着て宿を出た。


 日が上がるにつれて、道の色が明るくなる。

 ミナは途中で上着を脱ぎ、袋の外側へ留めた。汗はかいていたが、川辺のように服へ湿りが残り続ける感じではなかった。

 風が吹くと、乾いた草が一斉に倒れる。


 下り道の終わりに、畑が見えてきた。

 低い畝の間へ、水路が通っている。

 水を分ける板を持った人がいて、別の畝へ流れを変えていた。


 町へ近づくほど、荷車が増えた。

 袋を積んだ車の脇を、空の桶を持つ人が歩く。

 建物の窓は小さく、道に面した庇が深い。日陰から次の日陰へ進むと、首の後ろの熱さが少し和らいだ。


「宿へ荷物を置く。それから商会。先に、市を回り始めないでね」


「分かりました」


 ミナが答えると、イェルカは露店の方を見た。


「帰りには通れるから」


 先に言われてしまい、ミナは頬を緩めた。


     *


 商会では、紹介状と依頼の紙を見せた。


 担当者は到着を確かめ、翌朝、地元の採取人に会う場所を教えてくれた。

 案内を頼むイェルカも、そこで自分の予定を話す。

 こちらで受け渡す荷の確認があるが、採取に出る日は合わせられるという。


「最初の区画へは、私も行ける。その後は、天気と仕事を見て相談しよう」


「お願いします」


 担当者が、浅い箱を開けた。

 土の色を残した、節のある地下茎が数本入っている。

 細い根がついたものと、途中で切り分けられたものがあった。


「この太さのものを、全部掘ればいいわけではありません。残すところも、明日教わってください」


 ミナは手を伸ばす前に、触ってよいか尋ねた。

 見本の表面は乾いていたが、切り口には傷みやすそうな部分が見える。


「葉だけでも、見分けられますか?」


「似たものがあります。図も見ておいてもらえますが、現地で確かめるまでは採らないでください」


 借りられる図鑑を教えてもらい、窓口で手続きをした。

 背表紙には、擦れて読みにくい文字があった。

 何人もの手を通った本を、ミナは布で包んで袋へ入れた。


     *


 帰りの市場には、乾いたものが多かった。


 細く切った野菜が籠に山盛りになり、貯蔵用の根菜は土をつけたまま並んでいる。

 布の上には、淡い黄色の硬そうな塊が置かれていた。


「石みたいですね」


「乳から作るものだよ。削って使う」


 イェルカが答えると、売り手が端を少し削ってくれた。

 小さな欠片を口へ入れる。

 塩気の後から、濃い匂いが広がった。


「少しでも、味が強いです」


「薄く削って、温かいものへ載せてもいい。買うなら、この小さい方からだね」


 ミナは量を聞き、今日は見るだけでもよいか尋ねた。

 売り手は構わないと言い、近くの食事処でも使っていると教えてくれた。


 夕食は、その店へ入った。

 日陰の通りに面した卓へ座ると、焼いた根菜の皿が運ばれてくる。

 大きく割った断面へ、薄い乳製品が重なっていた。

 緑の細かなものが混じった油が、その上から少し掛かっている。


 ミナは、まず根菜を崩した。

 中は柔らかく、外側には香ばしいところがある。

 乳の塩気と一緒に食べると、甘みがはっきりした。


「……これだけで、おいしいです」


「焼くのを待たされる日はあるけどね。今日はちょうどよかった」


 イェルカは自分の皿を寄せた。

 ミナは店の人へ油について尋ね、刻んだ香味葉を加えていると教わった。

 知らない葉だった。明日、同じものを道で探そうとはせず、まず市場で名前を聞こうと帳面に残す。


 皿の底へ残った油を根菜につけ、最後まで食べた。

 派手な飾りはなかったが、空になった皿を見ると、もう十分だと思えた。


     *


 宿へ戻り、ミナは図鑑を窓辺で開いた。


 昼の熱が、まだ壁に残っている。

 外では水桶を置く音がして、誰かが次の人へ順番を譲っていた。


 目当ての頁には、葉と茎の絵があり、その下に、地面の中の様子も描かれていた。

 横へ伸びる太い部分と、そこから出る芽。

 箱で見たものだけでは、どちらが次に育つところか分からなかった。


 ミナは、明日尋ねたいことを紙へ書いた。

 採る場所。残す部分。掘った後の穴。

 今までの包丁だけでなく、どんな道具を借りるのかも聞いておきたい。


 窓の向こうには、低い屋根と、薄茶色の斜面があった。

 あの地面の下にも、図鑑の絵のように伸びているものがあるのだろう。


 ミナは本を閉じる前に、もう一度、芽の位置を見た。

 明日は、それを土のついたまま見せてもらえる。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。