第140話 また、お腹をすかせて
同じ坂でも、二度目には目を向ける場所が増えた。
曲がり角の石が濡れていること。
荷を下ろせる平らな場所が、もう少し先にあること。
ミナは前を行くイェルカの足元だけでなく、道の向こうも見ながら歩いた。
「今日は、あの木の陰から採ろう」
区画の入口で、地元の採取人が手を上げた。
前回と同じ人だった。
挨拶を済ませ、依頼の条件を一緒に確かめる。
ミナは最初に、木枠を置く場所を決めた。
風が直接当たらず、作業をする足の邪魔にもならないところ。
布を広げ、覆いを片側へよけておく。
「それなら、採ってから慌てなくていいね」
「はい。今日は、先に用意してきました」
枝を切る前に、株と札を照らし合わせる。
採取人にも採ってもらい、束を分けた。持ち帰った後、同じように処理して比べる分だった。
手を動かしていると、風が木の葉を鳴らした。
ミナは採った枝を覆いの内側へ入れ、次の株へ移る。
今日は、葉の縁が反り始める前に収められた。
イェルカが、少し高いところから戻ってきた。
「あと、どれくらい?」
「この束を包んだら、終わりです」
「分かった。下の道も使える。帰りはそっちを見ていこう」
ミナは刃を収め、札の紐を結んだ。
前回より、持ち帰る量は少ない。
けれど、何を確かめるための一束なのかは、前よりよく分かっていた。
*
結果を聞くまでの数日は、町で過ごした。
図鑑の借りられる窓口で、今回扱った植物の項目を読み直す。
道具を乾かし、布を洗い、商会へ途中の報告を出した。
エナの家にも顔を出したが、毎日台所へ通ったわけではなかった。
ある午後、通りでセナに会った。
籠には根菜と、あの薄茶色の粉が入っている。
「麺、また作ったよ」
ミナは足を止めた。
「どうでしたか?」
「幅を少し広くした。切るのは楽になったけど、厚いところは煮えるまで待つね。そこは気をつけてる」
朝に手伝いが来る日を選び、一班だけに出したという。
粒を煮るいつもの食事も、続けている。
「また、何か変わったら教えてください」
「次に通るとき、食べていきな。あんたが作ったものと違っているかもしれないけど」
「それも、楽しみです」
セナは笑い、籠を持ち直した。
ミナは別れた後、買い物に出た人の列へ戻った。
自分が火の前にいなくても、あの食事は作られている。
そう思うと、歩きながら口元が緩んだ。
*
集荷所から知らせが来たのは、その翌日だった。
作業台の上に、処理の済んだ葉が並んでいた。
担当者はミナの記録を脇へ置き、札を一つずつ確かめる。
「今回は、地元の方の分と大きく違うところはありませんでした。どちらも、この注文へ使えます」
ミナは枝の先を見た。
細いところは残っている。欠けたものも少しあり、別の器に分けてあった。
「では、運ぶときの覆いは、あの使い方でいいんですね」
「今回の天気と量なら。ただ、もっと詰めたり、雨の日に同じようにしたりすれば、また違うでしょう」
「はい」
担当者は、前の採取で風に当てた束の札も出した。
「こちらも、間違えて混ぜずに残してくれて助かりました。採った後の扱いまで分かるから、こちらでも確かめやすかったよ」
失敗した分を分けたときには、余計な手間を増やしてしまったと思っていた。
それが、次にどこを確かめるかを相談するために使われていた。
ミナは帳面へ結果を書き足した。
商会の担当者も、今後の依頼には束の大きさと覆いについて説明を添えると言った。
採取人には、実際の束を見せて相談するという。
「全部、紙に書くだけでは伝わりませんからね」
セナと一緒に生地を触ったことを思い出し、ミナは頷いた。
報告を渡し、受領の印を確かめる。
延びた滞在分も含めて精算すると、今回の仕事が終わった。
窓口を離れる前に、ミナは次の依頼について尋ねた。
「山の向こうへ行くお話を、もう少し聞いてもいいでしょうか」
*
机へ広げられた地図には、いくつかの行き先があった。
来た川へ下り、別の岸で試料を採る仕事。
高地の町に残り、次の荷が来るまで加工の手伝いをする仕事。
そして、尾根を越えた先の盆地で、地下茎を採る仕事だった。
ミナは最後の紙を手元へ寄せた。
植物の絵には、地面の下へ太く伸びる部分が描かれている。
「これは、私が採ったことのないものです」
「現地で見本と、採ってよい区画を確認してもらいます。最初は地元の採取人と一緒に。単独で掘りに行ってほしいという依頼ではありません」
担当者が条件の書かれたところを示した。
薬や加工品へ使うもので、掘り上げた後の傷み方も見たいという。
葉を切る仕事とは、道具も持ち帰り方も違いそうだった。
横で地図を見ていたイェルカが、道へ指を置いた。
「私は、この町までなら案内できる。向こうにも仕事の相手がいるから、到着した後に予定を合わせよう」
「道は、何日くらいですか?」
「天気が持てば二日。途中は宿を使う。尾根の様子が悪ければ、その手前で待つ」
水を補える場所も教わった。
川へ下りていたときと違い、途中で好きなだけ汲める道ではない。
宿泊と案内の費用、到着が遅れたときの連絡先を確かめ、ミナは紙の余白へ書き込んだ。
「こちらへ、行ってみたいです」
同じルガンの中でも、土地が変わるたびに知らないものがあった。
今度は、地面の下を見て採る。
何を食べている町なのかも、まだ知らない。
担当者は頷き、向こうへ渡す書類をまとめ始めた。
*
出発は、二日後の朝になった。
その前の夕方、ミナは宿の庭で荷物を広げた。
イェルカに背負ったところを見てもらい、水の分を増やしたときの重さを確かめる。
使わない道具まで、取り出しやすい場所へ入れすぎないようにした。
荷を下ろした後、二人の座る場所だけを映して配信を始めた。
ほかの宿泊客の荷物や、道の書かれた紙は先に片づけてある。
「こちらでのお仕事が終わりました。次は、山の向こうへ行ってみます」
〈夕餉係:また違う食材に会えそうですね〉
「はい。採るものも、今度は葉ではないんです。着いてから教えていただきます」
イェルカが、ミナの袋を片手で起こした。
「まずは、そこまで運ぶ練習。水が増えると、同じ袋でも違うから」
少しして、文字板に別の名前が出た。
〈やまみち:今度は、荷物を背負いすぎていないようだね〉
ミナが読み上げると、イェルカの手が止まった。
「……誰、その話したの」
ミナは返事をしかけ、配信用の水晶へ目を向けた。
名前を声に出す代わりに、手元の紙へ「ロゼッタさんです」と小さく書く。
映らない手元でイェルカにだけ見せると、彼女の丸い耳が動いた。
「ああ、なるほど。……見てたの?」
ミナは紙を伏せ、水晶とイェルカへ交互に顔を向けた。
「お知り合いなんですか?」
「昔、道で何度か世話になった。私がまだ、自分の荷物の重さも分かっていなかったころ」
〈やまみち:持てる量と、歩き続けられる量は違うからね〉
「分かってる。今は分かってるから」
いつもより返事が速かった。
ミナが笑いをこらえると、イェルカは横目でこちらを見た。
「笑っていいよ。実際、あのときはひどかった」
〈やまみち:今の案内も見たよ。相手が片づける時間を、ちゃんと残していたね〉
イェルカは口を開きかけ、閉じた。
膝に置いた手で、杖の紐を一度撫でる。
「……急がせて落とされたら、もっと時間が掛かるから」
〈やまみち:うん。それを、自分の経験で分かっている人なら安心だ〉
今度はすぐに返事をしなかった。
ミナは、坂で歩幅を小さくするよう教えてもらったことを話した。
「自分では、脚が動くから大丈夫だと思っていました。呼吸の方を見ていてくださって」
「そこまで話さなくていい」
イェルカが言い、照れたように笑った。
文字板にも短い笑いの言葉が並ぶ。
〈やまみち:帰ったら、その土地の話を聞かせて。二人ともね〉
「はい」
「分かった。昔の話は、少なめで頼むよ」
イェルカが水晶へ指を立てた。
ミナは笑って、次に映してよいものが見つかったら紹介すると話した。
*
ガルヴァンへ挨拶できたのは、出発前日の午後だった。
集荷所の向かいの茶屋で、少しだけ時間を取ってもらった。
彼の上着の裾には、白い土がついていた。
今日も道を見てきたところだという。
「仕事は、済んだか」
「はい。結果も聞けました。明日の朝、山の向こうへ出発します」
ガルヴァンは頷いた。
ミナはエナに教わった料理のことと、炊事場で短い麺を試した話をした。
最初の五人へ多くよそいすぎたところで、彼の口元が緩んだ。
「よく食べる連中だからな」
「はい。けれど、同じだけ食べるわけでもなくて。セナさんに教えていただきました」
「あそこでは、その方が詳しい」
ミナは頷き、膝の上で手を揃えた。
「少しは、お役に立てたでしょうか」
「遅い組まで温かいものが出たと聞いた。セナは、使えるやり方が増えたと言っていたよ」
ガルヴァンは杯を卓へ置いた。
「道を直す者が、今日も食べて働けた。ありがとう、ミナ」
ミナは顔を上げた。
大きなことをしたつもりはなかった。
一班分の食事を、皆で作っただけだった。
けれど、その一回を覚えていてもらえたことが嬉しかった。
「私も、たくさん教わりました」
ガルヴァンは、しばらく町に残るそうだ。
重い荷を通せるか、確認の終わっていない道があるという。
ミナが行く先の話になると、知っている町の名をいくつか挙げてくれた。
「ただ、私が歩いたのは少し前だ。今の道は、案内役に聞いてくれ」
「はい。イェルカさんと確認します」
次の予定を知らせる人が、茶屋の入口へ来た。
ミナは椅子から立ち上がった。
「また、お会いできたら」
そこで一度、言葉を止める。
いつか、と思っているだけでは、伝わらない。
「次にお会いするときは、私が作ったものも食べてください」
ガルヴァンが、ミナを見た。
「この町で教わった料理でも、これから覚えるものでも。まだ、お店はありませんけど」
「店がなければ、食べられないわけではないだろう」
「……はい」
彼は灰色の目を細めた。
「では、腹をすかせて行こう」
ミナも笑った。
次は腹が減る前に寄れ、と言ったおじさんを思い出した。
そんなに待たせないで出せるように、もっと手際よくならなければ。
ガルヴァンは通りへ出て、仕事の人たちと歩いていった。
ミナはその背を見送り、宿へ向かう坂を上った。
*
夜、荷造りの最後に帳面を入れた。
葉の絵の後には、斑のある豆が描いてある。
麺の作り方は、セナへ渡したものを自分の分にも残した。
次の頁は、まだ白かった。
木枠の布を付け直し、留め具を引く。
乾いた布は、初めて使ったころより少し柔らかくなっていた。
窓際の青い髪紐も、忘れずに取った。
明日の道では、髪をしっかりまとめておこう。
その横へ上着を置き、水筒を並べる。
窓の下を、帰宅する人の話し声が通り過ぎた。
共同浴場の灯りは、まだついている。
あそこで教わった広場への道を、今は自分でも歩ける。
ミナは窓を閉めた。
明日の朝は、違う方向へ石段を下りる。
入口の脇へ靴を揃え、寝台の上へ腰掛けた。
★いつも読んでいただきありがとうございます。レビュー、応援コメント、評価等いただけますと励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。




