第133話 川を離れる道
作業台の上に、三本の紐が並んでいた。
同じ長さに切られ、端には番号の書かれた札が結んである。
ミナは椅子を寄せ、それぞれの表面を見た。
一本は滑らかで、もう一本には短い繊維が少し飛び出していた。
「こっちは、長く取れた分。こちらは途中で切れたものを合わせてある」
加工場の女性が、順に指を置いた。
「切れた方も、紐になったんですね」
「なるよ。ただ、継ぐ手間が増える。それに、何に使っても同じというわけじゃない」
女性は小さな籠を持ってきた。
縁を留めるところに使われている紐を示し、それから荷を縛る太い縄を引き寄せる。
細かく分けて使う場所と、長さを揃えて撚りたいもの。
ミナは二つを見比べながら、帳面へ書き足した。
商会の担当者も、採取場所の札と結果を照らし合わせていた。
「全部を同じ品として頼むから、使うときに分け直すことになるんですね」
「少なくとも、今回持ってきてもらった分ではね。長いものが欲しい注文なら、ここを切らずに届けてもらいたい」
女性が依頼の紙へ印をつけた。
短くてもよい用途は別にする。そのうえで、産地ごとのばらつきをもう少し確かめることになった。
ミナは、自分がまとめた報告へ目を落とした。
採ったときには、傷のある一本も、札をつけて持ち帰るものだった。
今はそれが、次の注文を分けるために使われている。
「次に採る方には、こちらの条件を伝えるんですね」
「ええ。現地で分ける手間の分も含めて、採取を頼む人と相談します」
担当者が答えた。
ミナは頷き、依頼完了の書類へ名前を書いた。
*
次の仕事は、高地の集荷所へ届ける試料の採取だった。
商会の机に広げられた地図では、町の北東へ道が伸びていた。
川を離れ、段々に高くなる土地を越える。
目的の植物は、薬や香油に使われる葉だったが、川沿いで扱ったものとは別だった。
「採る時期と場所は、向こうの案内役に確認してください。この見本と同じ状態のものを、まず少量ずつ」
紙に包まれた乾燥葉と、依頼の条件を受け取る。
報酬と宿泊先、途中で天候が崩れた場合の連絡先も確かめた。
今回も、予定どおり採れないときには、その理由を報告すればよいという。
ミナは、地図の坂の線へ指を近づけた。
「ゼルさんとは、ここでお別れですか?」
「集荷所までは一緒だ。俺は、別の荷の護衛を受けた」
ゼルが机の隣に置かれた木箱を示した。
中身は修理に使う金具と道具だという。大きな荷車の通れない区間では、人が背負って運ぶ。
「道は別の案内役に任せる。高い方は、その人の方が詳しい」
「途中から、その方にお願いするんですね」
「ああ。明日の朝、荷を出す場所で会う」
ミナは出発の時刻を書いた。
ゼルと歩く日が、もう少し続くと分かり、少し安心した。
*
工房では、トビアスが椀の内側を削っていた。
ミナが出発の挨拶をすると、手を止めて立ち上がる。
注文した枠と仕切りは、この数日で何度か使っていた。乾かした後も袋の口を通り、留め具の紐も邪魔にはなっていない。
「使っていて、変わったところは?」
「今のところ、大丈夫です。枠を乾かすときは、布を外すようにしています」
「うん。濡れたまま袋の底へ入れなければ、持つと思う」
トビアスは角の継ぎ目を見てから、ミナへ返した。
彼の指先には、今日も細かな木の粉がついていた。
「次は高い方か。朝、冷えるって聞くよ」
「上着を出しやすいところへ入れておきます」
ミナは枠を袋へ戻し、棚の鳥を見た。
少し前より、羽の縁が細かくなっている。
「進んでいますね」
「少しずつ。仕事が終わってからだから」
トビアスは鳥を持ち上げた。
窓から入った光が、削った面へ順番に当たった。
「次に会うときは、完成させておくよ」
「楽しみにしています。私も、道具を使った様子をまたお知らせします」
「無理して遠回りしなくていいから。手紙でも」
工房の宛先を書いてもらい、帳面へ挟んだ。
町の名だけだったところに、手紙を送れる相手ができた。
「煮込み、ありがとうな」
「こちらこそ。食べていただけて、嬉しかったです」
ミナが頭を下げると、奥から親方も手を上げてくれた。
外へ出る。通りの端で、荷車の車輪が木屑を踏んだ。
初めて来たときから聞こえていた削る音が、今日はどの窓から聞こえるのか分かった。
*
翌朝、荷を集める庭には、三人の運び手がいた。
木箱を背負子へ固定し、紐を締め直している。
その間を、長い杖を持った女性が歩いていた。
「重い方を下げすぎ。背中へ寄せて。そう、その位置で一度立ってみて」
白灰色の毛に、黒い輪のような斑点が散っている。
丸い耳の下には短くまとめた灰色の髪。太く長い尻尾が、荷に触れないよう体の後ろで曲がっていた。
短い上着と膝の動かしやすそうなズボンを身につけ、腰には短剣と細い紐を下げている。
ミナに気づくと、女性は杖を立てた。
「ミナだね。私はイェルカ。今日から上の道を案内する」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。まず、荷物を背負ったところを見せて」
ミナは挨拶のために下ろしていた袋を背負った。
イェルカは横へ回り、肩紐と袋の底を見た。
「歩くと、ここが腰に当たらない?」
「坂では、少し」
「じゃあ、今直そう。途中で擦れてからだと痛いから」
ミナに断ってから紐を持ち、位置を少し上げる。
庭を歩いて戻るよう言われた。
数歩進むと、袋の揺れ方が変わった。
「こちらの方が、歩きやすいです」
「よし。苦しくなったら言って。締めればいいってものでもない」
イェルカはゼルへ向き直った。
「川の水は?」
「増えてはいない。下の渡しも動いている」
「分かった。上は昨日、雨が降った。石の道は使うけど、崖沿いの近道はやめる」
ゼルが頷く。
ミナは二人の話を聞きながら、袋の中の地図を思い出した。
線が引いてある道のうち、今日は通らないものが決まった。
*
町を出てしばらくは、水路沿いの平らな道だった。
やがて家が途切れ、道は石垣の間を登り始めた。
低い畑が段々に重なり、葉の短い作物が風に揺れている。
川の音は、曲がり角を越えるたびに遠くなった。
先頭をイェルカが歩き、その後へ運び手たちが続く。
ミナはその後ろ、ゼルは列の最後だった。
荷を背負った人に追いつきすぎないよう、少し間を空ける。
脚へ弱く魔力を通した。
膝を持ち上げる動きが軽くなる。
けれど、いつもの歩幅で登り続けると、ほどなく息が短くなった。
前方でイェルカが振り返った。
「ミナ、歩幅を半分にして」
「はい」
「速くしなくていい。そのまま、小さく」
ミナは次の足を、少し手前へ置いた。
続けて、もう一歩。
大きく上へ体を引き上げなくても、進んでいける。
「そう。それなら上まで持つ。魔法で脚が動いても、息は先に切れるからね」
ミナは頷いた。
イェルカが見ていたのは、足の速さだけではなかった。
曲がり角の先に、濡れた平たい石があった。
彼女は杖で石の端を示す。
「そこは土の方へ。一見歩きやすいけど、滑る。私も一度、尻もちついた」
「イェルカさんもですか?」
「つくよ。急いでたから、余計に派手に。荷物が無事でよかった」
先を行く運び手が笑った。
ミナも笑い、言われた側へ足を置いた。
*
少し登ると、道の片側が開けた。
木々の向こうに、川が見えた。
町の屋根は茶色い塊のように集まり、水に浮かんでいた材木も、ここからでは細い線だった。
ミナは足を止めかけ、慌てて前を向く。
「見たいなら、こっちへ寄って」
イェルカが道の広い場所を示した。
「休憩。先に水を飲んで、それから景色。私はもう腹が減った」
運び手たちが、石へ背負子を預けた。
ミナも袋を下ろす。肩から重さが離れると、背中へ風が入った。
川沿いにいたときより、汗の冷えるのが早い。
上着を取り出して羽織り、水を飲んだ。
息は、座っている間に落ち着いてきた。
ふくらはぎは張っていたが、立ち上がれなくなるような重さではない。
「あそこから、歩いてきたんですね」
ミナが町を指すと、ゼルが隣で頷いた。
「今日の宿は、この先だ」
「あと、どれくらいですか?」
「もう少し」
「説明、短すぎ」
イェルカが保存食の包みを開きながら言った。
「坂を二つ越えて、昼にもう一度休む。その後、小さい畑が見えたら集落。疲れたなら、手前でも休める」
「ありがとうございます」
「この人の『もう少し』は、当てにしすぎない方がいいよ」
ゼルは否定しなかった。
ミナは口元を緩め、もう一度、遠くの川を見た。
*
集落へ着いたのは、午後の日差しが傾き始めるころだった。
家の壁は低いところまで石で作られ、屋根の端に薪が積んである。
軒下には干した葉と、細い根菜の束が下がっていた。
川辺の大きな葉は、道沿いからほとんど見えなくなっていた。
荷物を宿へ入れた後、ミナはイェルカと売り台を見て回った。
明日の昼は外で食べる予定だった。
小ぶりの芋を手に取り、煮る時間と、皮をむいて使うのかを尋ねる。
「皮は薄いから、よく洗えばそのままでも。水から煮て、割れる前に上げるんだよ」
売り手が一つを切って見せた。
白い断面に、細かな水の粒が浮いた。
「朝、宿で火を使わせてもらえたら、茹でて持っていけそうです」
「相談してみよう。ここの朝は早いから、場所が空く時間も早い」
イェルカが答えた。
ミナは三人分の量を相談し、塩漬けの肉も少し買った。運び手たちはそれぞれ昼食を用意していると、先に確認してあった。
宿では、朝の支度が一段落してから、脇の火床を借りられることになった。
食材を涼しい場所へ置き、道具をまとめる。
今夜は、宿で出してくれるものを食べるつもりだった。
*
夕食は、豆を潰した濃い汁と、干した肉をほぐして和えた野菜だった。
汁には小さな油の粒が浮き、匙を入れると、ゆっくり筋が閉じる。
ミナは一口飲んでから、鼻へ抜ける香りを確かめた。
川沿いで食べた酸味のあるたれとは違う。香ばしく、後から少しだけ苦みが残る。
器を運んできた宿の人に尋ねると、炒った実を砕いて加えていると教えてくれた。
「最初から、豆と一緒に煮るんですか?」
「仕上げだね。煮すぎると香りが薄くなる。細かくした分は、底へ残りやすいから混ぜながら食べて」
ミナは匙を器の底へ通した。
次の一口は、先ほどより香りが強かった。
同じ卓で、イェルカがゼルへ顔を寄せた。
「熱心な採取人だとは聞いたけど、食べる方にも熱心なんだね」
「明日の昼に分かる」
「それ、期待していいってこと?」
ゼルは、ミナが宿の人へ礼を言っている方を見た。
「俺は、楽しみにしている」
イェルカは少し眉を上げ、それから笑った。
「あんたが食事を楽しみだって初めて聞いたよ」
ミナが顔を戻すと、二人とも普通に食事を続けていた。
「何か、お話しされていましたか?」
「明日の昼飯の話。手伝えることがあったら言って」
「では、朝、お芋を洗うのをお願いしてもいいですか?」
「任せな」
イェルカはすぐに頷いた。
食後、ミナは部屋で靴の泥を落とした。
袋から仕切りを出して乾かし、明日使う分の布を畳む。
窓の外では、暗くなる前に家へ戻る人の声がしていた。
帳面を開き、今日の道と、宿で教わった実の使い方を書いた。
川の町から、坂を登っただけだ。
それでも、買えるものも、鍋から立つ匂いも変わっていた。
ミナは明日の依頼の紙をその隣へ置いた。
まだ見ていない葉の絵を確かめ、朝は上着を着て出ようと思った。
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