第13話 帰り道の分まで
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朝、ミナは物干し場の籠を端へ寄せた。
昨日洗われた布が、頭の上で揺れている。
その下へ入らない場所を選び、足を置いた。
一歩、横へ。
次に動ける幅へ、戻す。
足元を見て確かめてから、顔を上げる。
もう一度。
講座の紙は、窓の内側へ置いてある。
右、という字を消して、帰る方、と書き直した紙だった。
何度か繰り返すと、脚が少し重くなった。
最後の一回で、足が近くなる。
ミナは、そこでやめた。
籠を元の場所へ戻し、管理人へ声をかける。
「お借りしました。今日は、ここまでにします」
「買い物に行くんだろ?」
「はい」
部屋へ戻って、小銭を分けた。
宿代に使う分。
資格のために残す分。
食べるものを買う分。
配信で受け取った支援も、そこへ足した。
あの日から、すべてを一度に使わずに置いてあった。
新しい水晶の値段は、紙の隅に書いている。
今あるお金で届くところには、まだなかった。
ミナは小さな布袋を一つ出した。
今日の買い物と、必要な分を引いても残せる硬貨を入れる。
音は、少しだけだった。
袋の口を結び、棚へ置いた。
残った買い物の分を、上着の内側へしまう。
今日は、チーズを買える。
*
市場では、店先に大きなチーズが置いてあった。
ミナは値札を見て、足を止めた。
丸いままでは、とても買えない。
けれど、横には切り分けたものも並んでいる。
「小さくても、分けてもらえますか」
店の女が、包丁を取った。
「どのくらい?」
ミナは買い物に使う硬貨を示した。
「こちらの分だけ。芋に包んで、焼こうと思っています」
「それなら、こっちが溶けやすいよ」
店の女は別のチーズを持ち、一口分ほどを切り分けた。
それをいくつかに分けて、紙で包む。
「細かくして入れれば、少しでも味が出る」
「ありがとうございます」
受け取った包みは、小さかった。
買い物袋の底へ入れると、ほかのものに隠れてしまう。
それでも、ミナは一度持ち上げて、もう一度確かめた。
白っぽいチーズ。
次に作るとき、中へ入れよう。
下宿へ戻り、共同台所の保冷箱へしまった。
棚へ置いた布袋には、買い物のあとでも、硬貨が残っていた。
*
翌日、採集路の休憩所へ着く頃には、袋に香草が入っていた。
茸は、あまり見つからなかった。
その代わり、道から少し離れたところに、買い取りに出せる葉がある。
よく育ったものが、いくつか見えた。
ミナは近づきかけ、止まった。
地面に、細いひびがある。
草の下は、道より低い。
前に雨が降ったとき、水が通った跡だった。
葉の方を見る。
次に、自分の足を置こうとしたところを見る。
そこへ立つと、帰りにどこへ足を戻すだろう。
ミナは、少し横へ移った。
道の上から見えるところだけを確かめる。
離れた場所にも、同じ香草があった。
量は少ない。
けれど、根元まで行かなくても、必要な葉へ手が届く。
袋を道の端へ置き、腰を下ろした。
育った葉だけを切る。
最初に見つけた方は、そのまま残した。
採れなかったわけではない。
採る場所を、変えられた。
袋へ入れた葉を見てから、ミナは配信水晶を持った。
今日は、記録だけにする。
近くの標識と、足場の悪いところを映した。
「休憩所の手前です。こちら側は、草の下が低くなっています」
言い終えて、水晶をしまう。
帰ったら、ギルドで見てもらおう。
背後から、靴の音がした。
*
若い男が、大きな袋を抱えて歩いてきた。
入口で、何度か見た顔だった。
正式な資格を取る前の見習いだと、講習室で聞いたことがある。
ミナは、道の横を見た。
さっき確かめた、低い場所がある。
反対側は、平らだった。
そちらへ一歩ずれ、男が通れる幅を空けた。
「こちら側、少し低くなっています」
男が止まった。
袋を持ち直し、草の下を見る。
「……あ。本当だ」
足の向きを変え、道の上を通った。
「ありがとう。袋が邪魔で、見えてなかった」
「はい。私も、最初は葉ばかり見てしまいました」
そう言うと、男は少し笑った。
休憩所では、二人とも袋を下ろした。
ミナは水を飲み、持ってきたパンを出す。
男は袋の口を開き、中の茸を確かめた。
「今日は、結構あったな」
ミナの袋へ目を向ける。
「茸、あまりなかった?」
「はい。こちらの葉は、採れました」
見せると、男はうなずいた。
「それも売れるんだよな。帰りに、もう一袋くらい採れそうだ」
ミナも、道の向こうを見た。
途中に、まだ見ていない場所がある。
寄れば、何か見つかるかもしれない。
帰る前に、もう少し。
その気持ちは、分かった。
ミナは袋を持ち上げた。
今の重さなら、入口まで運べる。
男の袋は、それより大きかった。
「帰る分の力も、残しておいた方が……」
言いかけて、相手の顔を見る。
「すみません。私も、増やしたくなるので」
男は、自分の袋を見た。
「確かに、ここまでで一回休んだんだった」
背負ってみる。
肩ひもを直し、ため息をついた。
「これでも、帰りは重いな」
ミナは、地図を広げた。
戻る道と、次の標識を指でたどる。
「私は、この道で帰ります。入口へ戻る時刻も、伝えてあります」
「俺も。じゃあ、採り足さずに行くか」
男は袋の口を結んだ。
少し休んでから、二人とも立つ。
途中で足元を見たいときは、止まった。
歩きながら、草の向こうをのぞき込まないようにした。
入口が見えたとき、ミナの脚にはまだ力が残っていた。
*
買い取りを終えたあと、ミナは受付で記録を見せた。
標識が映る。
次に、道の脇の低いところ。
職員は、場所を地図へ書き込んだ。
「ありがとう。道の上まで崩れているわけではなさそうだけど、確認に回しておくね」
「はい」
「そこへ下りずに採れたんだ?」
「別のところに、同じ葉がありました」
職員がうなずく。
「場所を変える判断ができたんだね。採集の記録にも書いておくといいよ」
ミナは、袋から記録帳を出した。
採ったものと、量。
入った時刻と、帰った時刻。
そこへ、今日選んだことも書ける。
「あの、資格の試験は、次はいつになりますか」
職員が、机の横から日程表を出した。
「来月。この日が、見習いからの受験日だよ」
ミナは数字を見た。
これまでも試験があることは知っていたが、自分が受ける日として見るのは、初めてだった。
「申し込む前に、受講の確認をしようか。必要な講習が終わっているかと、採集記録の書き方を見てもらって」
別の紙を、差し出してくれる。
「足りないところは、講習担当者と相談できる。試験の費用も、ここに書いてあるよ」
ミナは、両手で受け取った。
「ありがとうございます。確認して、また来ます」
日程表を折る。
今度は、いつか、ではなかった。
その日までに何を確かめるか、紙に書いてある。
*
夕方、ミナは芋をゆでた。
採集の葉は買い取りに出し、料理には残してあった香草を使う。
茸と玉ねぎを炒め、水気を飛ばす。
小皿へ広げて冷ます間に、チーズの包みを開いた。
細かく分ける。
思ったより、小さくできた。
芋をつぶし、少しの粉を混ぜた。
具を載せる。
前より少し少なくして、その上へチーズを置く。
縁を合わせると、きちんと閉じた。
鍋へ並べ、両面を焼く。
今日は、焼いている途中には配信を始めなかった。
道具を洗い、台を拭き、管理人の分を取り分ける。
自分の皿を用意してから、水晶を置いた。
短い配信にする。
「こんばんは。今日は、チーズを入れてみました」
文字板の端に、一と出た。
ミナは皿を少し前へ寄せた。
言葉が届くのを待たずに、木の匙を取る。
「前に作った、茸を包んだお芋です。中に、少しだけ」
割ると、湯気が上がった。
茸の間に、溶けたチーズが見える。
文字板は、光らなかった。
ミナは味を見た。
前より少し塩気があり、芋にもよく合った。
「おいしくできました」
数字は、一のままだった。
水晶の横にある小さな一覧を開く。
閲覧名が、一つだけ出ていた。
湯のみ。
見覚えのない名前だった。
灰ねこさんでも、針しごとさんでも、こぐまさんでもない。
ミナは一覧を閉じた。
誰かが、見てくれている。
「それと、今日は採集に行ってきました」
机の端に、記録帳を置く。
細かな場所は映さず、閉じた表紙へ手を添えた。
「足場の悪いところに葉があったんですけど、別の場所でも採れました。足場のことは、ギルドで確認してもらいます」
文字は、来なかった。
ミナはそのまま続ける。
「帰りも、採り足さずに戻れました。まだ脚が疲れきっていなかったので、帰ってから料理ができました」
皿へ目を落とす。
残りの芋焼きにも、チーズを入れてある。
今夜の分は、ちゃんとあった。
「今日は、帰る分も残せました」
もう一口、食べる。
画面の端の数字は、変わらない。
いつもの人たちが来ていないと、文字板は静かだった。
けれど、料理の音も、自分の話も、誰かのところへ届いているらしい。
ミナは、皿を元の場所へ戻した。
「今日は、ここまでにします」
最後に、もう一度だけ数字を見る。
一。
「見てくださって、ありがとうございました。おやすみなさい」
配信を切るまで、コメントは来なかった。
水晶の光が落ちる。
ミナは温かいうちに、残りの芋焼きへ匙を入れた。
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