第12話 帰すための仕事
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山道の向こうで、石が落ちた。
グレンは馬を止めた。
乾いた音のあとに、細かな土が斜面を流れる。
崩れた場所そのものは、曲がり角の先で見えなかった。
後ろを振り返る。
「ここで待って。荷車は、まだ進めないで」
同行のギルド職員が、手を上げた。
後続の馬車が止まる。
北の峠道へ向かう、点検と試験運用の一行だった。
冠位会議で提案した退避場所を、現場で確かめる。
同時に、新しい留め具や、搬送用の道具も試す予定だった。
バルドの講座が終わって、数日。
グレンは現地で、リゼとバルドに合流していた。
試作品を積んだ荷車のそばから、リゼが顔を上げる。
「崩れた?」
「少し見てくる。バルド、後ろを頼める?」
大盾を背負った男がうなずいた。
グレンは馬を下り、手綱を職員へ渡した。
剣の柄を確かめる。
曲がり角へ進むと、土煙の向こうで、人が手を振っていた。
「こっちに来るな! 道が――」
言葉の途中で、別の音が響いた。
獣が、石を踏み砕く音だった。
*
崩れた土に、一台の荷車が傾いていた。
先行していた輸送隊だった。
車輪の片方が道の縁を外れ、荷台が斜面側へ落ちかけている。
荷車の向こうには、三人。
こちら側に、御者と、腕を押さえた護衛がいた。
道の奥で、角が動いた。
岩角獣。
厚い肩と、硬い額。前へ伸びた一本の角。
山道で遭遇したら、まともに進路へ立ってはいけない相手だった。
だが、今は避けられる幅がない。
グレンは足元を見た。
斜面側の土は、新しく崩れている。
山側には、古い石積み。
背後の曲がり角まで戻れば、少し道が広がる。
「動ける人は、こっちへ。石積み側を通って」
御者が、荷車を振り返った。
「向こうに、まだいる!」
「分かってる。まず、こっちの道を空けてほしい」
グレンは、手の中に小さな光を作った。
獣の顔の前ではなく、横の岩肌へ放つ。
光が弾ける。
岩角獣の頭が、そちらを向いた。
御者が動いた。
腕を押さえた護衛の肩を支え、石積み側を通る。
獣が、グレンへ顔を戻した。
グレンは剣を抜いた。
額へは打ち込まない。
横へ回り込み、前脚を狙う角度を見せる。
岩角獣が体をひねった。
狭い道で、進む向きを変えようとする。
その間に、グレンは一歩退いた。
引きつける場所は、選べる。
ただし、一人で全部はできなかった。
「バルド!」
返事の代わりに、重い足音が来た。
*
大盾が、道の中央へ下りた。
グレンは、その横を抜ける。
バルドは追わず、奥の獣を見ていた。
「後ろ、何人だ」
「こっちに二人。荷車の向こうに三人」
「向こうを出せ。こっちは止める」
岩角獣が、前脚で土を掻いた。
バルドは盾の角度を変えた。
まっすぐ受ければ、獣は止まるかもしれない。
その後ろにいる者が、押し込まれた盾や跳ねた石に耐えられるとは限らない。
「俺の真後ろには立つな。曲がり角まで下がれ」
御者が、護衛を連れて離れる。
岩角獣が突っ込んだ。
地面が鳴る。
硬い角が、盾の面に当たった。
バルドの靴が、わずかに滑る。
次の足は、崩れた縁には置かなかった。
石積み側の、締まった土へ。
盾の面を斜めに逃がす。
獣の進む向きがずれ、肩が山側の岩へぶつかった。
欠けた石が、道へ散る。
バルドは、足を置き直した。
盾を前へ戻す。
講座なら、そこで一度止めて説明できる。
ここでは、相手が待ってくれない。
岩角獣が頭を振った。
盾の縁に角がかかる。
バルドは、持ち上げさせなかった。
腕だけで押し返さず、体ごと位置を変える。
獣の正面を外しながら、人のいる方への道を塞ぐ。
彼の背後で、グレンが荷車へ走った。
*
「そこ、触らないで」
リゼの声がした。
荷車を起こそうとした男が、手を止める。
車軸に、小さな割れ目があった。
「荷物を引いたら、その軸が折れる。先に車体を留める」
リゼは、職員に巻いた綱を渡した。
自分は金属の枠を、荷車の梁へ当てる。
試験運用に持ってきた、搬送用の補助具だった。
「山側の杭へ。巻く場所は、こっち」
綱が張られる。
リゼは留め具を締め、枠の魔石へ触れた。
細い線が光り、枠が梁を支える。
傾いた荷台の動きが止まった。
「長くは持たせない。人を先に」
グレンが荷車の脇へしゃがむ。
向こう側に、若い護衛と、運び手が二人いた。
一人は足首を傷め、立てない。
「下をくぐれる?」
「俺は行ける。でも、こいつが」
グレンは、荷台の下を見た。
這って抜けるだけなら、隙間がある。
怪我人を引けば、傾いた梁に体が当たる。
「リゼ、板を一枚ほしい。滑らせて通す」
リゼは荷車の後ろへ回った。
荷を押さえていた板のうち、外しても崩れないものを選ぶ。
金具の留まり方を確かめ、一つずつ外した。
「これを使って。端の金具は取った」
布を重ねた板が、向こうへ渡る。
怪我人を載せ、梁にぶつけないよう、低いまま動かした。
グレンは、先に来た護衛へ言った。
「俺の合図で、こっちの端を持って。持ち上げるのは、抜けてから」
板が、荷台の下を通る。
傷めた足を支えたまま、こちらへ出た。
リゼは、枠の光を見た。
魔石の残りは、減っている。
「あと二人」
足元を示す。
「そこへ手を置かない。車輪が動くと挟まる」
運び手が、手を引いた。
代わりに板へつき、身を低くして抜ける。
最後の一人が出るまで、リゼは梁の継ぎ目から目を離さなかった。
*
「全員、出た!」
グレンの声が届いた。
バルドは、獣の額を見た。
先ほど岩へぶつけた場所が、わずかに欠けている。
ただ、まだ突進できる。
グレンが盾の横へ戻った。
「後ろは空いた。右へ回れる」
「分かった」
岩角獣が、また体を低くした。
バルドは半歩退く。
獣が進み、角が盾へ触れた。
今度は、その力を横へ流すだけではなかった。
角が滑った直後、盾を押し込む。
岩角獣の肩が上がり、前脚の踏ん張りが崩れた。
そこへ、グレンが入った。
小さな光ではない。
短く組んだ術式が、獣の足元の土を押し上げる。
浮いた足を戻す前に、剣が走った。
岩角獣が膝を折る。
グレンは離れず、向きを変えて次の一手を入れた。
獣の体が、道へ沈んだ。
バルドは盾を下げなかった。
グレンが動きの止まったことを確かめ、周囲を見渡す。
「ほかには、見えない」
「こっちもだ」
二人はそこで、初めて息をついた。
バルドが崩れた縁を見る。
「荷車を置くなら、もう少し奥へ退避場所が要る」
グレンはうなずいた。
「地図に足しておく」
*
怪我人は、曲がり角の手前まで運ばれていた。
街道の救援班へ連絡は届いている。
迎えが来るまで、風の弱い場所で待つ。
同行の職員が傷の手当てをし、輸送隊の人数を確かめた。
リゼは荷車の枠を回収して戻った。
荷物は残してきた。
道を確かめてから、別の班が取りに行く。
「綱は張ったまま。誰も近づかないよう、札を付けた」
「ありがとう」
グレンは、怪我をした運び手のそばへしゃがむ。
「寒くない?」
男は、首を振りかけた。
しかし、指先は震えていた。
職員が毛布をかけ、リゼが小さな保温器を持って来る。
掌に収まる、平たい魔道具だった。
布袋に入れて、毛布の内側へ置く。
「熱くなったら言って。直接、肌には当てないでね」
少しして、男の肩の力が抜けた。
別の職員が、水筒から温かい飲み物を配っている。
出発前に沸かした湯だった。
グレンは、保温器の魔石を見た。
「これ、まだほとんど減ってないね」
「営生冠の研究所から届いたものです」
職員が、道具の箱へ手を置く。
「熱を保つために使う魔力を、抑えてあるそうで。救援班でも試しています」
リゼが、小さくうなずいた。
「温め直す分を減らせる。待つ時間が長いと、こういう道具が助かるね」
派手な光は出ない。
獣も倒さない。
けれど、震えていた男が、両手で器を持てるようになった。
バルドは、毛布のそばへ座った。
鎧の肩が、休んでいる者の目線に近くなる。
「迎えが来るまで、ここにいる」
運び手は器を持ったまま、何度も頭を下げた。
*
日が落ちる前に、救援班が着いた。
人数を、もう一度確かめる。
怪我人の状態を伝える。
崩れた場所と、残した荷車の位置を記録へ書き込む。
最後の馬車が動き出しても、三人の仕事は終わらなかった。
リゼは、使った枠の留め具を点検した。
一つは、荷車の傾きで曲がっている。
「ここは強くする。でも、強くするだけだと、外す人が困るな」
紙へ、別の形を描く。
バルドは盾の面に残った深い傷を見た。
裏の留め具に緩みはない。
綱を外した職員へ、道の幅について尋ねた。
グレンは地図へ、退避場所の候補を書き加えた。
今日、空いていた場所が、雨のあとも使えるとは限らない。
次は、斜面の水の流れも調べる必要があった。
剣と盾だけで、帰せたわけではない。
板を運んだ手も、綱を張った手も、温かい器を渡した手もあった。
グレンは、報告書の人数の欄へ目を落とした。
全員、引き渡し済み。
そこに印を付けてから、紙を閉じた。
*
同じ頃、遠く離れた山地で、討伐隊が足を止めていた。
霧の向こうに、倒れた木がある。
その幹を押しのけ、長い胴が動いた。
大蛇だった。
重なった鱗が、濡れた岩のように光っている。
道を塞いだ頭が持ち上がり、隊の先頭へ向いた。
「下がって」
女が言った。
声は低く、静かだった。
後ろの隊員が動き始める間に、一人だけ前へ出る。
武冠セリカ。
冒険者たちが、白刃と呼ぶ剣士だった。
大蛇の頭が落ちてきた。
顎が閉じ、地面の石を砕く。
セリカは、その横を抜けていた。
細い足場へ靴を置く。
振り戻された尾が、背後の木を薙ぐ。
木が倒れきる前に、セリカは幹を踏んで跳んだ。
刃が、鱗の重なりへ走る。
硬い鱗ごと、断った。
大蛇が体をねじった。
胴が岩へぶつかり、霧の中に重い音が広がる。
セリカは着地と同時に向きを変え、振り上がる頭へ踏み込んだ。
二度目の刃が、深く通った。
長い体が、道へ落ちる。
土と落ち葉が舞った。
セリカは剣を構えたまま待った。
動きが止まってから、隊員へ顔を向ける。
「怪我は」
「ありません、白刃殿」
「先の道を確かめて。二人で」
指示を出し、刃を拭いた。
隊員が見ている前では、息も乱れていなかった。
*
休憩地では、連絡担当の隊員が報告をまとめていた。
セリカは、内ポケットから封筒を出した。
角が擦れている。
開くと、中には折り目のついた手紙があった。
芋を薄く切ると、早く火が通るようになったこと。
香草を入れすぎて、店主に味見をしてもらったこと。
妹の字だった。
いつ帰るのか、とは書かれていない。
その代わりに、今度帰ってきたら食べてほしい、とあった。
セリカは最後の一行を読み、紙を折った。
妹を預けた食堂は、もう閉まっていた。
その知らせを受けてから、町のギルドへ照会を出している。
転居先についての返答は、まだ届いていなかった。
「町への照会、進展は」
担当者は、手元の記録を確かめた。
「今朝届いた連絡には、ありません。次の中継で、こちらからも確認します」
「お願い。私宛ての手紙が預けられていないかも」
セリカは、今後の連絡先を書いた紙を渡した。
遠征隊は移動する。
返答が前の宿営地で止まらないよう、次の中継地も記してあった。
担当者が受け取る。
「帰還の日程も、変更が決まればお知らせします」
「うん」
セリカは手紙を、元のポケットへ戻した。
今度帰ってきたら。
その言葉に、まだ応えていなかった。
*
街道沿いの宿へ着いたときには、食堂の席が半分埋まっていた。
グレンは、食事を頼んでから部屋へ上がった。
先に報告書を送る。
剣を拭き、泥を落とす。
閲覧水晶には、見習いの新しい記録が一つあった。
今日は、見ていない。
仕事の途中で開く余裕はなかった。
グレンは、短い記録を再生した。
宿の共同台所。
ミナが、摘んできた香草を小皿へ分けている。
『今日は、休憩所までで戻りました。茸は少なかったですけど、こちらが採れました』
葉を一枚、見せる。
残りを包む。
『明日は、少し練習してから、お買い物に行きます』
終わりまで見て、グレンは返事を残した。
〈灰ねこ:こなべさん、お疲れさま。決めたところで帰れたんだね。こちらも、仕事を終えて夕飯です〉
その日のうちに読まれるかどうかは、分からない。
記録を閉じ、食堂へ戻る。
バルドは、もう席にいた。
リゼも、鞄を椅子の下へしまっている。
運ばれてきた煮込みから、湯気が上がった。
「冷める前に食べよう」
グレンが言うと、二人がうなずいた。
今日は、それぞれ守った人がいる。
次の仕事も、待っている。
まずは、三人とも温かい夕飯を食べた。
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