第11話 盾を持つ、その前に
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ギルドの講習室には、椅子がいつもより多く並んでいた。
ミナは入口で名前を伝え、空いている席へ座った。
手袋は袋の中。包丁も、鞘に収めてある。
今日は採集に入らない。
岩背ガマに遭ってから、二週間ほどが過ぎていた。
あれから何度か、別の採集路を歩いた。
決めた休憩所で戻れた日も、茸が少なくて、帰りに少し迷った日もある。
迷ったのは道ではなく、もう少し採るかどうかだった。
結局、増やさず帰った。
その途中では、魔物に遭わなかった。
それでも、低い茂みの向こうで音がすると、足が止まることはあった。
前の席で、若い男が隣へ顔を向ける。
「本当に盾冠が教えるんだってな」
「王都の方、もう人がいっぱいらしいぞ」
講習室の前では、大きな閲覧水晶の準備が進んでいた。
ミナのものより台座も大きい。
光が壁の映写布へ広がり、王都の訓練場が映った。
人が、たくさんいる。
盾を持った人。持っていない人。
同じ服装でも、体の大きさはずいぶん違った。
その前へ、ひときわ大きな男が出てきた。
濃い髭と、顔の傷。
肩には、重そうな鎧。
大盾を片手で動かし、脇の台へ立てかける。
ミナは、膝の上で手をそろえた。
盾冠バルド。
この人が、先生だった。
『全三回だ。今日だけで、全部できるようになれとは言わん』
低い声が、講習室へ届いた。
『それと、俺の速さをまねしなくていい。今の自分の足で、できるところからやれ』
リュネールの講習担当者が、映写布の横へ立つ。
「こちらでは、見たあとに実習します。痛いところがある人は、始める前に教えてください」
ミナは、もう痛まない手首を確かめた。
*
初めにやったのは、立ち方だった。
足をそろえすぎず、広げすぎず。
相手を見る。
動ける場所も、見る。
画面の中で、バルドの補助役が一歩動いた。
避けたあと、両足がそろう。
次に動くには、もう一度踏み出さなければならなかった。
『一度避けて、終わりじゃない』
バルドが補助役の横へ立った。
『次の一歩を出せるところまで、戻れ』
ミナは、その足を見た。
ガマが跳んだあと、木に手をついていた自分を思い出す。
避けられた、と安心した。
次にどうするかは、決めていなかった。
実習では、二人ずつ組んだ。
相手役が、ゆっくりと布を巻いた棒を動かす。
当てるためではなく、動く方向を見るための道具だった。
ミナは、床に引かれた線へ足を置いた。
右へ、一歩。
足を戻す。
「下を見すぎてるね」
担当者に言われ、顔を上げた。
今度は相手役を見ていたが、自分の足がそろった。
「急がなくていい。まず止まった形を確かめよう」
足を置き直す。
顔を上げる。
もう一度。
相手役も、待ってくれた。
終わる頃には、ゆっくりならできた。
速く動こうとすると、まだ元の立ち方に戻る。
ミナは袋から小さな紙を出した。
避けたあと、足。
そう書いてから、少し考えた。
次に動けるように。
下へ、もう一行足した。
*
二回目までには、二日あった。
ミナは下宿へ戻り、部屋の床を見た。
椅子と寝台の間では、あまり動けない。
廊下なら広いが、人が通る。
管理人に相談すると、裏の物干し場を使わせてくれた。
「洗濯物の下には入らないこと。足元の籠も、先に片づけな」
「はい」
初めに覚えた形だけを、少しずつ繰り返した。
たくさんやれば早く覚えると思ったが、疲れると足が近くなった。
紙を見て、そこで終える。
次の朝には、ふくらはぎが少し張った。
習った先生の動きは、小さく見えた。
自分がやると、思ったより脚を使った。
*
二回目の講座で、バルドは盾を持った。
相手役との間へ置き、動く。
盾だけを伸ばして、体を置いていかない。
後ろに誰かいる場合は、その人の動く場所も残す。
ミナは紙へ書き留めた。
自分は盾を持っていないが、後ろの人のことを見るのは、台所でも必要そうだった。
そこで、バルドが盾を下ろした。
『次は、盾を持っていない場合だ』
講習室で、何人かが姿勢を変える。
『荷物を離せるなら、離す。ただし、外せたことで安心するな』
補助役が袋の留め具を外した。
袋が床へ落ちる。
その場で止まっていると、避ける足を袋に邪魔された。
『外したあと、どこへ離れるかまで決めておけ』
ミナは、袋の肩ひもへ目を落とした。
部屋では何度も外す練習をした。
そのあとは、いつも拾い上げていた。
離れるところまでは、やっていなかった。
『小さな刃物しか持っていない場合も、同じだ』
バルドが続ける。
『例えば、包丁だ』
前の席で、男が振り向いた。
「……包丁?」
隣の男も、首を傾げた。
「なんか、だいぶ限定されてね?」
「そんなやつ、いるか?」
ミナは、袋の口から手を離した。
包丁は見えないところに収めてある。
別の席から、小さな声がした。
「採集の人にも覚えてほしいんだろ。ほら、茸とか切るし」
「ああ。なるほど」
「さすが盾冠だな」
ミナは映写布へ向き直った。
自分にも必要な話だった。
バルドは、包丁に似た形の木製の道具を補助役へ渡した。
『刃を向けようとして、足を止めるな。届かせるために、相手の前へ残るな』
補助役が手を伸ばす。
胸が前へ出て、足が遅れた。
バルドは、その姿勢を一度止めさせた。
『道具があることと、その相手に使えることは別だ。知らない相手なら、まず距離を取れ』
ミナは、紙へ目を落とした。
包丁を持っているから、近づけるわけではない。
あのとき知っていた形が、次もそこにいるとは限らない。
実習では、本物の刃物を出さなかった。
木製の道具を持ち、袋を外し、顔を上げる。
空いている方へ、一歩離れる。
ミナの一回目は、手順を気にして遅れた。
二回目は、離れたあとに袋を振り返った。
「荷物の確認は、落ち着ける場所まで行ってからね」
「……はい」
三回目。
袋を置いて、離れる。
拾いたくなる手を、自分のそばへ戻した。
*
三回目の実習では、床の線が変わっていた。
訓練用の柱と、岩に見立てた台。
入口にした場所と、出口にした場所。
間には、人が通れる隙間があった。
ミナは最初の順番で動こうとした。
右へ避ける。
柱の方へ移る。
そこで、出口が反対側にあると気づいた。
止まった。
「覚えた順番と、違った?」
担当者が尋ねる。
ミナはうなずいた。
「右へ動くつもりでした」
「右へ動くために習ったんだったかな」
ミナは柱を見た。
その向こうに、相手役がいる。
出口までは、左の方が近い。
「……帰るところを、残すためです」
「そう。初めに、そっちも見ておこう」
映写布の中でも、バルドが同じことを説明していた。
『木や岩があれば、間に置ける。ただ、向こうが見えなくなったからといって、安全になったとは限らん』
盾を持たずに、柱の横へ立つ。
『自分も動けなくなる場所へ入るな。相手だけ見て、帰る方を忘れるな』
ミナは、自分の足を置く場所を見た。
柱のすぐ脇には寄りすぎない。
台をまたがず、隙間を通る。
相手役が動く。
ミナは袋を離した。
顔を上げ、左へ一歩。
柱を間に置いて、出口の線へ向かう。
最後に足が近くなったが、途中では止まらなかった。
「今のは、帰る方を見て動けたね」
担当者が言った。
ミナは息を整えて、うなずいた。
もう一度やると、柱を回るところで大きく踏みすぎた。
毎回同じようにできるわけではない。
それでも、何を直したらいいかは、最初の日より分かった。
*
その夜、共同台所で、ミナは皿を洗っていた。
「ちょっと通るよ。熱いからね」
管理人が、鍋を持って来る。
ミナは後ろへ下がりかけた。
そこには、洗った器を載せた台がある。
横は、空いていた。
小さく一歩ずれ、管理人の通る場所を空ける。
鍋は、すぐ脇を通っていった。
「ありがとう」
ミナは、自分の足を見た。
ぶつからなかった。
慌てて踏み直さなくても、動けた。
「……今の」
「どうした?」
「いえ。講習で習ったことが、少しできました」
管理人は鍋を置いた。
「そうかい。それはよかった」
台所では、すぐに次の仕事がある。
ミナは洗いかけの皿へ戻った。
けれど、さっきの一歩は覚えていた。
*
部屋へ戻ってから、短い配信を始めた。
今夜は料理ではない。
講習で使った紙を机へ置き、水晶の向きを確かめる。
「こんばんは。今日は、三回目の講座でした」
灰ねこから、少しして言葉が届いた。
〈灰ねこ:お疲れさま。三回とも行けたんだね〉
「はい。最初の日は、足元ばかり見てしまいました」
紙には、消して書き直したところがある。
右、という字を消し、帰る方、と書いたところもあった。
「でも、今日は出口が違っていても、そちらへ動けました。ゆっくりですけど」
〈灰ねこ:自分で方向を選べたんだ〉
「はい」
針しごとも来ていた。
〈針しごと:荷物を外したあとは?〉
「離れるところまで、練習しました。拾うのは、落ち着いてからにします」
文字板へ目を向ける。
数字は三だった。
〈こぐま:脚は痛くないか〉
「今日は、少し疲れました。最初の次の日は、後ろのここが張りました」
ふくらはぎを示しかけ、机の下では見えないと気づいた。
「……脚の、後ろです」
〈こぐま:今夜は休め〉
「はい。今日は、採集には行っていません」
ミナは紙をそろえた。
「盾冠の先生、最初は怖そうだと思ったんですけど。私たちにも、できるところからでいいと言ってくれました」
こぐまの返事は、すぐには来なかった。
「包丁しか持っていない人のお話もあって、助かりました」
〈針しごと:あそこまでやってくれるとは思わなかったね〉
〈灰ねこ:うん。いい講座だった〉
ミナはうなずいた。
「台所でも、一つ使えたんです」
熱い鍋を持った管理人が来たこと。
後ろには台があって、横は空いていたこと。
ミナは、自分の手で場所を示しながら話した。
針しごとの言葉が届く。
〈針しごと:へえ、やってみてよ。さっきの足の動き〉
「今ですか?」
〈針しごと:疲れてなければ、一回だけ。道具は置いてね〉
ミナは脚を確かめた。
何度も繰り返すのでなければ、大丈夫そうだった。
「はい。ゆっくり、やります」
水晶を持ち、足元が映る角度に直す。
部屋は広くない。
机と椅子の位置を見て、動くところだけを空けた。
鍋も包丁も、棚へ置いてある。
「管理人さんが、こちらから来たので」
入口の方を示す。
「後ろではなく、こっちへ」
ミナが、一歩動いた。
*
バルドは、口元を緩めて見ていた。
講座が終わると、王都の訓練場でも質問が続いた。
袋が外れない場合。
仲間と一緒にいる場合。
小さな盾を買うなら、まず何を確かめるか。
地方の担当者からも、実習の報告が届いている。
すぐできた者も、繰り返しが必要な者もいた。
こなべも、三回とも通ったらしい。
小さな足が、画面の中を動く。
後ろの椅子を避ける。
空いた横へ移り、上半身が通り道に残らないよう、向きを変えた。
バルドの笑みが消えた。
水晶へ、少し身を寄せる。
大きく逃げすぎてはいない。
狭い場所に合わせて、一歩の幅を変えていた。
台所の人を避けた話を、自分の部屋でも同じ幅のまま繰り返したのではなかった。
最後に、足が少し近くなる。
少女は下を見て、一度置き直した。
まだ、崩れる。
もう少し速く動けば、今の形は保てないだろう。
相手に押されたことも、続けて追われたこともない。
それでも、どこへ足を置くかは、見て選んでいた。
「……センスはある」
低く、独り言が漏れた。
「体さえ、追いつけば」
その声は、少女には届かなかった。
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