第128話 葉っぱを開くと
小麦粉の並ぶ棚を通り過ぎ、ミナは穀物の袋の前にしゃがんだ。
この前、値段を聞いた小さな袋は、今日も棚の奥にある。
けれど、今朝探しているのは、ここで買い足しながら旅を続けられる食材だった。
二人分の夕食と明日の朝食。それに、予定どおり進めなかった場合の予備。
必要な分を頭の中で数え、隣に並んだ豆と穀物を見比べる。
宿で食べた豆の煮込みは、少ない量でもお腹にたまった。
「この豆なら、予備の分まで買えそうです」
「晩飯にするのか」
「そのつもりです」
「今からなら、別のものにしろ。そいつは水に浸しても、煮るのに時間がかかる」
ミナは豆をつまむ手を止めた。
下宿なら、前の晩から水に浸しておけた。食堂なら、別の鍋で煮ている間に次の仕事もできる。
今日は、歩いてから火を起こすのだ。
「薪も、たくさん要りますか」
「乾いた薪があればな」
ゼルの視線が、川の向こうの低い雲へ動いた。
店の女性が、二人の間へ小さな木皿を置いた。
薄く割られた粒が、皿の底に広がっている。
「旅なら、こっち。粒のままのものより早く煮えるよ。底へつくから、放っておかないでね」
ミナは必要な水の量と、二人で食べるならどれくらいかを尋ねた。
いつも使う麦とは、膨らみ方も違うらしい。
教わった量を買い、干し肉と玉ねぎ、それに火を使わず食べられる保存食を分けて包む。
予備の食事まで、煮炊きができることを当てにするわけにはいかなかった。
「おいしくできるか、まだ分かりませんけど」
「初めて使うんだろう」
「はい」
「なら、食えるところまでできればいい」
ゼルは自分の分の代金を出し、保存食の包みを引き取った。
ミナも財布を閉じる。
ミナは包みを持ち上げ、重さを確かめた。
宿の台所で煮るなら、あの豆も使ってみたい。
今日の袋には、短い時間で火が通るものと、火がなくても食べられるものを入れた。
*
舟が岸を離れると、待ち小屋の屋根が少しずつ遠ざかった。
川面の光が、荷物の間で揺れる。
低い岸には幅の広い葉が重なり、その隙間から細い水路が奥へ続いていた。
ミナは袋を膝の間へ置いた。
採取したものを乾かして持ち帰るための布も、今日の食材も入っている。水を吸わせたくないものは、包みを分けてあった。
「あそこで降りる」
ゼルが、川の曲がり角に立つ杭を示した。
「町までは、この舟では行かないんですね」
「採取地へ寄る。今夜はその手前だ。明日、仕事を済ませて道を進めば町に出る」
材木や工芸品が集まる町だと、商人から聞いていた。
ミナは空いた袋の隙間を見た。軽い仕切りに使えるものも、そこで探せるかもしれない。
昼前に降りた船着き場では、屋根の下から湯気が上がっていた。
葉で包まれた四角いものが、籠に積まれている。
「ラウマ、まだ温かいよ」
呼び声に、ミナは足を止めた。
「これも、ラウマですか?」
「これも?」
「タルカで食べたものは、お皿に盛ってあって……」
「ああ。あっちはそういう店もあるね。ここは舟で食べる人が多いから」
二人分を買い、荷揚げの邪魔にならない腰掛けへ移った。
ミナは細い紐をほどいた。
折り重なった葉を開くと、豆の混じった穀物が現れる。温かい湯気と一緒に、青いような、少し甘いような匂いが上がった。
「……ドランさんが言っていたの、こっちかもしれません」
「知り合いか」
「サハルで会った、ルガンの方です。葉で包んだご飯の話を聞いたんです」
添えられたたれを、まず少しだけかける。
香ばしさの後から酸味が来た。タルカの店よりとろりとして、豆の間にもよく絡む。
同じ名前の食事なのに、一口目から違った。
売っていた女性が空の籠を運んできたので、ミナは葉について尋ねた。
「そのまま包んで蒸すんですか」
「洗って、しんなりさせてからね。そのまま折ると割れるんだ。ほら、角のところ」
女性はミナが開いた葉を取り、空の包みを作って見せた。
硬い筋を避けて折ると、四隅が重なる。
「香りをつけるためかと思いました」
「それもあるよ。粒が落ちにくいし、売るときに一つずつ渡せる。舟の上で皿を返してくれってわけにもいかないからね」
ミナは包みの角を指で押さえた。
手に持っても、底が開かない。
「葉なら、道でも見かけました」
「似ていても違うものがあるよ。裏を見せてごらん」
女性は葉の裏と縁を示してくれた。
採る場所も、使う葉の育ち具合も決まっているという。ミナは、その場で覚えたつもりにならず、見本を見ながら記録した。
「包んであれば、明日まで持ちますか?」
「それは当てにしないで。うちは作った日のうちに食べてもらってる。暑い日は特にね」
「はい。持ち運べるのと、長く置けるのは別ですね」
女性は頷き、ミナの記録帳をのぞいた。
「自分でも作るの?」
「いつか。まずは、葉のことをちゃんと教わってから」
「だったら、次に来たときは蒸す前に寄りな」
包みを閉じる練習をしている間に、ゼルは食べ終えていた。
ミナが慌てて匙を持つと、彼は空になった葉を折り畳んだ。
「急ぐほどの時間じゃない。食え」
ミナは頷いて、まだ温かいところへ匙を入れた。
*
午後は川から離れた道を歩いた。
水辺で聞こえていた舟の音が消え、足元で乾いた葉が鳴る。
道の両側に木が増えても、背中には湿った空気がまとわりついていた。
野営地に着いたのは、まだ明るいうちだった。
低い柵の内側に、踏み固められた平地と石組みのかまどがある。管理をしている男へ料金を払い、水場と使ってよい薪を教わった。
「川が近い方が、楽そうですけど」
ミナが斜面の下を見ると、ゼルは幹に引っかかった枯れ草を指した。
「水が来た跡だ。寝ている間に荷物が流れる」
川面は、そこからずっと下に見える。
ミナは枯れ草の高さと、自分が立つ場所を見比べた。
指定された区画へ戻り、石や枝を取り除く。
風の通り方を確かめてから、テントを広げた。
棒を通し、布を張る。入口の前に水が集まりそうな窪みがないかも見ておく。
ゼルが自分の荷物を下ろしたときには、ミナは最後の紐を結んでいた。
「慣れているな」
「最初は、立てるだけで大変でした」
結び目を引いて確かめる。
初めて練習した日のことを思い出すと、少し頬が緩んだ。
「今も、ときどき広げておいてよかったです」
「そこの紐は、もう少し内側に寄せろ。夜に水場へ行く道になる」
「あ、はい」
自分が出入りできれば、それでよいわけではなかった。
ミナは杭の位置を直した。
*
夕食の前に、ミナはゼルへ水晶を見せた。
「今日は、ゼルさんも映っていただいて大丈夫ですか。案内してくださっている方ですって、ご紹介できたらと思って」
「俺を見せるのか」
「嫌でしたら、今までと同じように手元だけにします」
ゼルはしばらく水晶を眺めた。
「何か話すのか」
「ご挨拶だけでも。あとは、普段どおりで」
「なら、構わん」
ほかの利用者や道の目印が映らないように向きを決め、配信を始める。
今夜泊まる場所の名前は出さず、今日は川を下ってきたことを話した。
〈夕餉係:今日は外なんですね〉
「はい。テントも立てました。こちらが、案内と護衛をお願いしているゼルさんです」
画面に、深い緑の鱗と、縦に細い瞳孔が映る。
ゼルは水晶へ顔を向けたまま、口を開いた。
「ゼルだ」
少し待ったが、続きはなかった。
〈石畳:声だけのときより、ずっと頼もしい方だった〉
「道のことも、荷物の運び方も教えていただいています」
ミナが言うと、ゼルは小さく頷いた。
怒っているわけではない。けれど、初めて見る人には分かりにくいかもしれなかった。
ミナは鍋へ視線を戻した。
薄く切った玉ねぎを少しの油で炒め、細かくした干し肉と水を加える。煮立ってから、今朝買った割り穀物を入れた。
「いつもの材料があまりなくて。今日は、お店で教わったものを使います」
粒が水を吸い、鍋の中が重くなってくる。
匙を底まで通した。思っていたより早く、とろみがつく。
少しすくって冷まし、噛んでみた。
中心が、まだ硬い。
「もう少し、お水が要りそうです」
取り分けてあった水を足し、火を弱める。
ゼルが横から鍋を見た。
「そのくらいでいい。冷めると、もっと固まる」
「食べたこと、あるんですね」
「何度もある」
ミナは匙を動かしながら笑った。
自分が知らない食材でも、ここではいつもの食事なのだ。
火が通ったところで味を見た。干し肉の塩気だけでは少し足りず、塩をひとつまみ加える。
香草の袋へ一度手を伸ばし、やめた。
今は、玉ねぎと穀物の匂いがする。それをもう一口確かめたかった。
器へよそって渡すと、ゼルは熱いところを大きくすくった。
「……玉ねぎか」
「はい。先に炒めました」
「甘いな」
「おかわり、ありますよ」
「頼む」
ミナが自分の匙を取るより先の返事だった。
〈木の匙:おかわりは、迷わないんですね〉
文字を見て、ミナは笑いをこらえた。
「何だ」
「おいしかったみたいで、よかったです」
「うまいぞ」
同じ顔で言われて、今度は笑ってしまった。
*
配信を終え、鍋を洗ってから、残った食材を二人で確かめた。
割り穀物は、朝の分を別の袋へよける。使い切らなかった干し肉も包み直した。
「明日は、今夜より水を多くしてみます」
「それなら、朝は食いやすい」
雨が降って火を使えない場合の包みは、開けずに残っている。
ミナはそれを取り出しやすい場所へ収めた。
テントに入ると、外の灯りが布越しに淡く見えた。
記録帳を膝へ広げ、昼のラウマの包み方を書き足す。その下には、夕食で足した水の量も残した。
いつもの粉は、まだ袋にある。
減った香草も、今夜は使わなかった。
それでも、お腹は温かかった。
外から、ゼルが声をかけた。
「明日は、朝露が乾く前に道を出る。早めに寝ろ」
「はい。おやすみなさい」
ミナは記録帳を閉じた。
昼に教わった葉の折り目を、指がまだ少し覚えていた。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です




