第125話 葉を採った後も
昼食の容器を片づけた頃、籠を背負った女性が戻ってきた。
短い灰褐色の毛に覆われた耳が、頭の両側にある。
肩へ掛けた布を外し、女性は額の汗を拭った。
「商会から来た子って、あんた?」
「はい。ミナです」
「私はトリ。今日は、近いところだけでいいんだね」
ミナは頷き、持ってきた紙を見せた。
午前中に集落の窓口で確認した印が押されている。
「採っているところと、その後どうしているかも、見せていただきたいです」
「干すところまで?」
「はい。教えていただける範囲で」
トリは紙を返し、ゼルを見た。
「舟、出せるよ。あっちの岸からなら、そんなに歩かない」
「帰りも同じ場所か」
「今日はね。朝も通った」
二人が道と時刻を確かめている間に、ミナは荷物をまとめた。
今日は泊まるので、寝具と着替えは宿へ置いてある。
採取用の袋は軽くなったが、水と布は減らさなかった。
*
舟が岸を離れると、水を押す音が近くなった。
葦の間に、細い通り道があった。
座った高さから見る岸は思ったより高く、草の根が土から覗いていた。
ミナは、言われた位置で膝を揃えた。
袋は足元へ置き、槍も舟からはみ出さない向きに収めている。
水面が光るたびに目を向けたくなったが、急に体を傾けないようにした。
「あそこに、橋があったんですか?」
ミナが指したのは、向こう岸に残る杭だった。
「そう。前は籠を背負って、そのまま渡れた」
トリが答えた。
「今は、荷を集めて舟へ載せる。人だけなら回れる道もあるけど、重いときついから」
「待つ時間もありますか?」
「あるよ。舟も、これだけを運んでるわけじゃないし」
ミナは、昨日の職人の話を思い出した。
採取する場所だけでなく、帰ってくるまでの時間も変わっている。
書こうとして袋へ触れると、ゼルが声をかけた。
「着いたら、書く時間を取る」
「ありがとうございます」
ミナは手を戻した。
今は、舟を下りる岸がどこなのか見ておくことにした。
*
目当ての草は、水際から少し離れた場所に生えていた。
背の低い木がまばらに立ち、その間に細長い葉の株が続いている。
葉の表は鈍い緑で、裏へ返すと白っぽく見えた。
トリは一本を手に取り、ミナへ見せた。
「これ。若すぎるのは残す。上の方から採って、下は置いておくんだ」
ミナは、乾いた葉を見たときに描いた図と比べた。
乾く前は、縁がこんなふうに反っているのかと思った。
匂いを確かめる前に、触ってよいかも聞いた。
「少しこすると、匂いが出るよ」
教わった通りにすると、作業場で嗅いだ香りが指へ移った。
乾いたものより青い匂いがした。
「ここで採ったものは、いつも同じ名前で納めていますか?」
「そうだね。もう少し上にも、似たのがあるけど、私は混ぜないよ」
「違う草なんですか?」
「花が違う。使う人によっては一緒でいいと言うけど、あの店は嫌がるから」
ミナは頷いた。
名前だけでは分からないことが、もう一つあった。
トリに見てもらいながら、採る株を選んだ。
今日は量を揃えるより、状態を確かめる方が先だった。
生のまま見せる分は、採った場所と時刻を書いた札を添えて、別に包んだ。
それから、乾かすところまで比べる分を採った。
*
トリの籠には、内側へ大きな葉が敷いてあった。
その中へ、採った草が重なっていく。
茎の向きが揃い、思ったよりたくさん入った。
「前から、その籠ですか?」
「うん。軽いし、背負いやすい。前はいっぱいになる頃に帰って、すぐ広げられた」
「今は、舟を待つことがあるんですね」
「そう。日が高いと、上の葉がしおれるから、布を掛けることもある」
ミナは籠の横へしゃがんだ。
外から見える葉は、傷んでいるようには見えなかった。
けれど、重なった内側は見えない。
「この間に、熱がこもることはありませんか?」
トリが籠へ目を落とした。
「帰って出すと、少し温かいことはあるよ。日に当たったからだと思っていたけど」
「それが関係するか、比べてみてもいいですか。いつもの入れ方と、少し薄く分けたものを」
「薄くしたら、あまり運べないよ」
トリの返事は、もっともだった。
ミナは持ってきた布を見た。
丁寧に包めても、持ち帰れる量が減りすぎれば、仕事が続かなくなる。
「まず、少しだけで。違いがなければ、別のことを確かめたいです」
ゼルが、袋から畳んだ網を取り出した。
濡れた道具をまとめるときに使う、目の粗いものだった。
「布を敷いて、これに分けてはどうだ。舟では平らに置ける」
「上に荷物が載りませんか?」
「置き場所を空ける。試す量なら運べる」
ミナはトリを見た。
トリは少し考え、籠から手を離した。
「じゃあ、同じところで採ったものにしよう。その方が、比べやすいんだろう?」
「はい。ありがとうございます」
*
採った葉を、二つに分けた。
一方は、トリが普段使う籠へ。
もう一方は布の上へ薄く広げ、ゼルの網で持てるようにした。
どちらも無理に詰め込まず、普段どのくらい入れるのかを教わって記録する。
ゼルが周りを確かめている間に、ミナは札をつけた。
「いつも、そこまで書くのか」
「後から見たとき、どちらか分からなくなると困るので」
「自分で持っていても?」
「はい。途中で、誰かに持っていただくこともありますし」
ゼルが網の端を持ち上げた。
札は見える位置にあった。
「これは俺が運ぶ。そこも書いておけ」
ミナは顔を上げた。
「お願いします」
帰る途中、木の根が道へ張り出していた。
ミナは葉の包みを揺らさないよう、足を置く場所を決めてから越えた。
少し先で、ゼルが待っていた。
「その歩幅なら、ここは急がなくていい」
ミナは頷いた。
後ろを歩くトリも、籠を枝へぶつけないように体を傾けていた。
採り終えた後も、それぞれの手が働いていた。
*
集落へ戻ると、二つの葉をすぐに広げた。
トリが普段使っている乾燥場所は、屋根の下にあった。
壁の間に風を通す隙間があり、浅い笊を何段も置けるようになっている。
ミナは籠の中ほどから葉を出した。
手の甲を近づけ、薄く広げた方と比べる。
「こちらの方が、少し温かい気がします」
「そうだね」
トリも触れた。
しかし、見た目には大きな違いはなかった。
「これだけで、香りが弱くなるんだろうか」
「まだ、分かりません。乾いてから、同じくらいの量で見ていただきたいです」
ミナは二つの笊に札をつけた。
厚さを揃えて広げ、乾かす間の扱いも同じにしてもらう。
今日は戻りの舟を長く待たずに済んだので、そのことも書いた。
「もっと長く待つ日なら、違うかもしれません。でも、待たない日なら、あまり変わらないこともあると思います」
「一日では、終わらないねえ」
トリが言った。
「はい。すみません」
「いや。これで分かったって帰られた方が困る」
トリは空いた籠を壁へ立てかけた。
「今までのやり方が急に悪いって言われても、こっちは困ってたんだ。道が変わった分まで考えるなら、話ができる」
ミナは記録帳を持ち直した。
「明日も、乾き方を見せていただいていいですか」
「いいよ。朝、ここへ来な」
*
夜の配信は、宿の軒下で始めた。
昼間の仕事は、まだ映していない。
トリからは、まず一緒に作業をしてから考えたいと言われていた。
今日は商会から話してよいと確認できている範囲で、旅先の様子を伝えることにした。
「今日は、舟に乗りました。座っていると、岸が高く見えるんですね」
少し待つと、文字が届いた。
〈灰ねこ:こんばんは、こなべさん。今日はどの辺りまで行ったんだい?〉
ミナは、タルカから下ってきた集落の名前を伝えた。
川沿いに泊まり、明日も仕事を続ける予定だと話す。
〈灰ねこ:地図では、その辺りに橋があったはずだね。舟の方が近いのかな〉
「橋は、先日の異変の後から使えなくなったそうです。騒ぎは、もう収まっているそうなのですが」
文字が来るまで、少し間があった。
〈灰ねこ:そうか。道は、すぐ元通りにはならないね〉
「はい。採ったものの運び方も変わったと聞きました。地図と、今通れる道は違うんですね」
〈灰ねこ:現地を知る人と歩けて、よかった〉
ミナは頷いた。
「ゼルさんという方に、案内していただいています。川の道だけでなくて、荷物のことも教えてくださって」
〈灰ねこ:それは心強い。慣れない土地だから、よく相談してね〉
「はい。お昼も、一緒に食べました」
今朝作った料理の話をすると、グレンから粉の名前を聞かれた。
ミナは買ったときの記録を開き、こちらで呼ばれている名を伝えた。
同じものを王国で買えるかは、まだ分からなかった。
「でも、小さく作ると、冷めても食べやすかったです」
〈灰ねこ:なるほど。持って歩くなら、大事なところだね〉
ミナは今日の昼を思い出した。
「量は、もう少し多い方がよかったみたいです」
〈灰ねこ:おいしかったんだろうね〉
その文字を見て、ミナは少し笑った。
*
配信を見終えたグレンは、机の地図を畳まなかった。
ルガンの川へ置いていた指を離し、隣にアルセリアの地図を広げる。
脇には、各地の探索について届いた報告があった。
エルディアの一件を受け、王国でもギルドを通じた周辺探索は進められている。
街道沿いの目撃情報や、依頼の多い採取地の変化も集まっていた。
けれど、国土は広い。
支部から遠く、普段から人の入らない場所もある。
異変が起きても、最初に気づく者がいなければ、報告は上がらない。
グレンは、地図の余白へ調査の日付を書き込んだ。
何も起きていないと確認できた場所と、まだ確認できていない場所を分ける。
報告がない。
それだけで、異常がないとは言えなかった。
「一度、回るか」
ただ出かければ済む話ではない。
進んでいる調査と重ならない経路を組み、担当を離れる間の引き継ぎも必要だった。
明日、関係者と相談するため、まず候補の道に印をつけた。
レオンがエルディアで使った魔力探査装置も、役に立つかもしれない。
持ち歩けるものがあるか。何を測れ、どういう条件では読み違えるのか。
リゼたちに聞いておきたいことを書き出した。
最後に、携行品の欄へ筆を移す。
雨具、寝具、記録用の紙。
鍋。
グレンはそこで、少し考えた。
今使っている鍋は、一人で持ち歩くには大きい。
小さいものと、蓋の合うものを確かめてこよう。
料理を覚える前なら、食料の量を決めて終わっていた欄だった。
「道具を増やしすぎるなよ、俺」
自分へ言って、匙と小刀を書き足した。
粉の名前を控えた紙は、買い物の覚え書きへ挟んでおいた。
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