第122話 道の途中で会いました
出発する朝、ラグは下宿の前で待っていた。
ミナの袋へ目を向け、それから足元を見た。
靴は修繕してもらい、昨日も履いて歩いてある。
「忘れ物はありませんか」
「たぶん、大丈夫です。三回見ました」
「それなら、私が四回目をするのはやめておきましょう」
ミナが笑うと、ラグも目を細めた。
右手には、小さな包みを持っていた。
「こちらは、今日のお昼に」
中身を聞くと、パンと、豆を潰して焼いたものだという。
昨日のうちに試して、自分でも食べてみたらしい。
「少し崩れやすいので、上に重いものを載せないようにお願いします」
「ラグさんが作ったんですか?」
「ええ。持ち歩く料理も、一つ覚えようと思いまして」
ミナは両手で受け取った。
包みからは、ほんのり焼いた豆の匂いがした。
「ありがとうございます。お昼が楽しみです」
下宿の管理人にも挨拶し、荷車の集まる広場へ向かった。
ラグは、そこまで一緒に歩いてくれた。
*
広場では、荷の数を確かめる声が飛んでいた。
ミナは商会の人へ名前を伝え、同行する者の集まる場所へ案内された。
道中の責任者から、歩く位置と休憩の合図を教わる。
勝手に列を離れないこと。遅れそうなら、早めに知らせること。
見覚えのある薬草を見つけても、採るために立ち止まってはいけなかった。
「採取の仕事に行くんだったね。道で気になるものは出てくるだろうけど」
「はい。場所を覚えるだけにします」
返事をすると、相手は頷いた。
出発までの間に、ミナはラグのところへ戻った。
話しておきたいことは、昨日までに話したつもりだった。
それでも、いざ出るとなると、何か残っている気がした。
「……お仕事、気をつけてくださいね」
「そちらも。困ったときは、現地の方を頼ってください。エルディアの経験が活きるといいですね」
「はい」
「分からないまま、できる顔をする必要はありませんから」
ミナは頷いた。
それなら、前よりできると思った。
教えてほしいと頼んで、覚えられたことがたくさんある。
そしてダリヤからそれは長所だと言われたことを思い出す。
列が動き始めた。
「行ってきます」
「いってらっしゃい、ミナさん」
ラグが手を上げた。
ミナも振り返してから、前の荷車との間を詰めた。
袋の上の方に、お昼の包みが入っている。
背負い直すときは、そこを押さないようにした。
*
最初の宿に着いたとき、まだ外は明るかった。
荷を下ろす場所と、翌朝の集合を確かめる。
水を汲み、靴を脱いで足も見た。
擦れて赤くなったところはなかったが、ふくらはぎには歩いた分の張りがあった。
ミナは腰を下ろし、ゆっくり足首を動かした。
以前なら、宿へ着くとしばらく袋を開けるのも億劫だった。
今日は、休んだ後に夕飯を食べる場所を見に行く余裕があった。
食事を終えてから、宿の人へ配信してよい場所を尋ねた。
庭の端なら、荷やほかの客を映さずに済む。
水晶の向きを確かめ、自分と壁だけが入るように置いた。
「こんばんは。今日、リュネールを出ました」
画面の向こうへ挨拶する。
しばらくして、見覚えのある名前が出た。
〈サフィナ:間に合った! もう出発したんだね。あ、サハルのサフィナ!結局ニックネームの登録よくわからなくて〉
サフィナらしい。そう思ってミナは少し笑った。
「サフィナさん。はい。今日は、最初の宿です」
〈サフィナ:また遠くなっちゃうね。足は大丈夫?〉
「大丈夫です。靴も直していただきましたし、今日は豆もできていません」
ミナは、昼に食べた包みを思い出して少し笑った。
「食べる方の豆は、いただきました。ラグさんが、お昼を作ってくださったんです」
〈サフィナ:えっ、あのよく話してたラグさんが? ミナが教えたの?〉
「少しだけです。でも、今日のはラグさんが考えて作ってくださいました」
豆は表面が香ばしく、中には刻んだ玉ねぎが入っていた。
一つだけ端が崩れていたが、それも包みの中から拾って食べた。
パンの上に載せると、ちょうどよかった。
〈サフィナ:そっか。帰ったら、作って待っててくれるかもね〉
「それも、楽しみですね」
文字を読んでいるうちに、サハルの台所で話していたときの声を思い出した。
サフィナは、次の文字をすぐに送ってきた。
〈サフィナ:ハーシムからも伝言。『無茶するな』だって〉
「はい。ありがとうございます。気をつけますって、伝えてください」
〈サフィナ:伝えとく。今日は一緒じゃないんだけど、ミナが次の旅に行くって話したら、それだけ言ってた〉
ミナは、短い言い方がハーシムらしいと思った。
「サフィナさんは、採取へ行っていますか?」
〈サフィナ:行ってるよ。前に一緒に見たところ、今は違う草が伸びてる。次に来たら、また案内するね〉
「はい。見たいです」
自分が離れた後も、あの斜面の草は育っている。
ミナが知らない季節を、サフィナは見ているのだと思った。
「ルガンでは、一つの町だけでなく、いくつかの採取地を回ることになりました。私も、違うところを見つけたら、お話しします」
〈サフィナ:待ってる。変わった料理も忘れずに!〉
「はい。それも、ちゃんと」
約束して、ミナは笑った。
庭の向こうで、宿の人が灯りを運んでいた。
長くは話さず、明日も早いのでと伝えて配信を終えた。
*
数日後の昼、街道の休憩所には、反対側から来た荷車も停まっていた。
水場の周りだけは人が多かった。
ミナは順番を待ちながら、道の向こうへ目をやった。
土の色が、リュネールの周りより明るい。
日当たりのよい斜面には、葉の細い草がまとまって生えていた。
名前までは分からなかった。
近づいて確かめたかったが、今は列を離れないことにする。
「その顔、見に行きたいけど我慢してるね」
横から声がした。
振り向いた先に、角のある女性が立っていた。
旅装の裾に土埃がつき、肩の袋には使い込んだ採取道具が結ばれている。
ミナを見る目が、楽しそうに細くなった。
「ロゼッタさん!」
「久しぶり。今度は、どっちへ?」
「ルガンへ行くところです。ロゼッタさんもですか?」
「私は帰るところ。南の街道沿いで調べる仕事があってね。ここからリュネールを通って戻るんだ」
ミナは思わず、来た方の道を見た。
「もう少し早かったら、町でお会いできたんですね」
「そうみたい。君、戻っていたんだろう?」
「はい。コルナにも、お姉ちゃんと行ってきました」
水を汲む順番が来た。
ミナが水筒へ注いでいる間、ロゼッタは隣で待ってくれた。
商隊の休憩が終わるまで、まだ少し時間がある。
責任者に知り合いと話すことを伝え、荷車の見える木陰へ移った。
*
「帰郷はどうだった?」
「行ってよかったです。お世話になった方にも会えて。食堂も、町の方が掃除してくださっていました」
「大事にされていたんだね」
「はい」
ミナは、棚の上で見つけた箱のことも話した。
看板と、大きな包丁が入っていたこと。
包丁はリゼに見てもらい、使い方を確かめていること。
ロゼッタは途中で急かさず、聞いてくれた。
「それは、よかった。君が帰って、見つけられて」
ミナは袋の紐へ触れた。
新しい包丁は、布の下に収まっている。
「ロゼッタさんにも、もう少しゆっくり、お話ししたかったです」
「私も。前に会ったときより、聞くことが随分増えたみたいだ」
ロゼッタはミナの手元を見た。
休憩の間に書こうとしていた記録帳を、まだ持っていた。
「ルガンでは、何を調べるの?」
ミナは依頼の内容を説明した。
産地が変わり、同じ名で納められる素材の状態に差が出ている。
採る場所や時期だけでなく、乾かし方や運び方も確かめたい。
「一度に全部、分かるとは思っていません。でも、比べられるように書きたいです」
「うん。向こうの人が、何を同じものとして扱っているかも聞いてみるといい」
「種類が違うかもしれない、ということですか?」
「それもある。こちらでは分けて呼ぶ草を、同じ用途だから一つの名前で呼んでいることもあるし、逆もあるよ」
ミナは帳面を開いた。
薬草の名前だけを揃えても、比べるものが違っているかもしれなかった。
「使う方にも、お話を聞ける予定です」
「それなら、話が早いね。どの部分が必要で、何が混ざると困るのか。採る人と使う人で、気にするところが違うこともあるから」
ミナは短く書き留めた。
サハルで葉の状態を褒めてもらったときも、使う人の望む形で渡せたからだった。
「ルガンは、ずっと暑いのでしょうか」
「行く場所によるね。川沿いと高い土地では、着るものも草の育つ時期も違う。南へ進む日でも、坂を上がって冷えることはあるよ」
「上着は、入れました」
「なら、よし」
ロゼッタが笑った。
「それと、雨の話を聞くときは、その町で降った雨だけだと思わないこと」
ミナは筆を止めた。
「上流で降ると、川が増えるからですか?」
「そう。晴れているから水辺へ行こう、とは限らない。向こうの案内役に、よく聞いてごらん」
「はい」
覚えたいことが、また増えた。
ミナは斜面の草へ目を向けた。
「あの草も、近くで見ないと分からなくて」
「今の距離で分かったことにしないのは、いいことだよ」
ロゼッタは同じ方を見た。
「私なら、花と根元も見たいね。葉だけ似ているものがある」
「……一緒に採取へ行けたら、たくさん教えていただけそうです」
「今度、時間を合わせようか。講習の続きみたいにして」
ミナは顔を上げた。
「いいんですか?」
「もちろん。君が覚えてきたことも、聞きたいしね。私が全部知っていると思って来られると困るけど」
「そんなふうには」
「少し思っただろう?」
ミナは返事に詰まり、ロゼッタが笑った。
*
出発を知らせる声がした。
短いと思った休憩が、もう終わろうとしていた。
ミナは帳面を閉じ、立ち上がった。
「ありがとうございました。ルガンに着いたら、また配信でもお話しします」
「見られるときに見せてもらうよ。最近は記録を後から見ることが多くてね」
「はい。お時間のあるときに」
ロゼッタは袋を肩へ掛け直した。
来たときとは反対の方へ、歩き出す支度をする。
「次に会ったら、今日の続きから聞かせて」
「……きっと、長くなります」
「じゃあ、お茶を多めに用意しよう」
ミナは笑い、頭を下げた。
列へ戻る途中で振り返ると、ロゼッタが手を振っていた。
行く人と、帰る人。
少し前なら、同じ町にいても会えなかったかもしれない。
今日は道の途中で、顔を見て話せた。
荷車が動いた。
ミナは前を向き、歩き出した。
帰ってから話したい相手が、また一人増えていた。
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