第120話 次の旅を選びます
朝、セリカの袋から袖が出ていた。
ミナは入口でそれを見つけ、姉を呼び止めた。
「お姉ちゃん、挟まってる」
「え、どこ?」
「ここ。紐、もう一回緩めて」
セリカが袋を下ろした。
覗くと、昨日脱いだ服が上から押し込まれていた。
ミナは袖を中へ戻し、留め具に布が噛んでいないことを確かめる。
「武冠でも、荷物はちゃんと詰めてね」
「それ、これからずっと言われる?」
「ちゃんと詰めたら言わないよ」
姉が笑った。
ミナも笑い、袋から手を離した。
今日は、セリカが仕事へ戻る日だった。
昨日買った魚は二人で夕飯にして、使った道具も片づけてある。
今朝は宿で食事を済ませ、待ち合わせの場所まで一緒に歩くことにした。
*
朝の通りを、荷車がゆっくり進んでいた。
セリカは、その横を避けて歩いた。
ミナも隣へ並ぶ。
コルナへの道中は、毎日こうして歩いていた。
「今度は、どんなお仕事?」
尋ねると、セリカはミナを見た。
「街道の方。魔物の目撃が増えていて、先に調べている人たちと合流するの。荷を運ぶ人が困ってるから」
「長くかかりそう?」
「現地の様子次第だけど、最初の報告を送るときに、ミナにも手紙を書くね」
セリカは、連絡を受け取れる場所を書いた紙を渡してくれた。
「移動したら、ここから回してもらえるようにしておく」
「うん。私も、出発が決まったら書く」
ミナは紙を畳み、袋の内側へ収めた。
仕事の話を聞いたら、心配しなくなるわけではなかった。
それでも、何も知らずに待つより、姉のいる場所を考えられた。
「ルガン、行きたいんだね」
「うん。でも、まだ聞きたいことがあるから。今日は、商会とギルドへ行くつもり」
「一緒に行こうかって、言いたくなるなあ」
ミナが見上げると、姉は少し肩をすくめた。
「仕事がなかったとしても、ずっと一緒にはいられないもんね」
「分からなかったら、相談するよ」
「うん。困ってからでも、困る前でも」
待ち合わせの場所で、セリカが足を止めた。
向こうから、彼女へ手を上げる人がいた。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
姉の腕が伸びてきた。
ミナは一歩近づき、自分から抱きついた。
背へ回った手が、少し強くなった。
「コルナ、一緒に行けてよかった」
「私も」
離れてから、セリカがミナの髪を直した。
「今度会うとき、また何か作って」
「お姉ちゃんも、食べた料理の名前、聞いてきてね」
「任せて」
セリカは袋を背負い、仲間の方へ歩いていった。
途中で一度振り返り、大きく手を振る。
今度は、袋から袖は出ていなかった。
*
商会の机には、ナディムからの紹介と、先方の返事が並べられていた。
ルガンで使う薬草や素材について、産地が変わってから、納められる品の状態に差が出ている。
採取した場所や時期、処理の仕方を確かめてほしい。
それが、話の始まりだった。
「こちらは、もうお読みでしたね」
担当者が紙を示した。
ミナは頷き、自分の記録帳を開いた。
「はい。でも、場所を見ただけで、理由が分かるとは限らないと思うんです」
同じ名前の草でも、種類が違うかもしれない。
同じ株でも、採った部分や時期で変わることがある。
乾かす場所や、袋へ入れるまでの時間も見たかった。
「現地の使い方を知っている方に、教えていただきながら調べることはできますか」
「そのための案内と、使う側の担当者を付けるという返事です。具体的に誰になるかは、到着の時期を合わせてからですね」
ミナは紙へ目を戻した。
一人で行って、全部を判断してほしいという依頼ではなかった。
「魔物が出る場所へ行く場合は、戦える方も必要です」
「採取地ごとに、現地で手配を相談することになります。必要な費用を、あなたが全部負担するという話ではありません」
「そこも、書いていただけますか」
担当者が頷き、余白へ印をつけた。
ミナは次の行を読んだ。
報酬は、素材を持ち帰った分だけではなく、調査と記録に対しても支払われる。
「見つからなかった場所の記録も、含まれるんですね」
「ええ。何も分からなかった、だけでは困りますが。どこを見て、どういう状態だったかは必要です」
ミナは頷いた。
サハルで、前に採れた場所へ戻ったときのことを思い出した。
同じようには育っていない株もあった。
採れなかった日にも、書けることはあった。
「それなら、できると思います」
言ってから、一つ付け加えた。
「分からないことは、分からないと書きます。理由を決める前に、ほかの場所とも比べたいです」
「そこを期待しての紹介ですよ」
担当者は、ナディムの手紙へ目を向けた。
「採ったものの扱いも、記録も丁寧だったそうですね」
ミナは少し背筋を伸ばした。
*
宿泊についても確認した。
仕事の間に寝泊まりする場所は、依頼先が用意する予定だった。
けれど食事まで含まれるか、台所を使えるかは、その紙だけでは分からなかった。
「料理ができる場所も、聞いていただけますか」
「食事付きなら、その方が楽では?」
「はい。でも、現地の食材を使ってみたいので。毎日でなくてもいいんです」
担当者が笑い、確認することへ書き足した。
最初の滞在期間と、延長する場合の相談。
雨で採取に出られない日の扱い。
持ち帰った標本と記録を、誰に渡すのか。
話しているうちに、記録帳の一頁が埋まった。
ミナは、配信のことも尋ねた。
「仕事の途中で、配信をすることがあります。映してはいけない場所や、品物があるなら、先に知っておきたいです」
「商会の保管場所や、取引の話は確認が要りますね。同行者にも聞く必要があるでしょう」
「はい。全部を映すつもりではありません」
採取中の防犯のために使うことと、仕事の外で料理を配信していることを説明した。
担当者は二つを分けて書き留めた。
「確認して、正式な条件にまとめてもらいます。出発は、それからで大丈夫ですか」
「はい。道具の調整も、まだ終わっていないので」
返事を受け取る場所を確かめた。
ミナは書類を丁寧に揃えて返した。
「条件が合えば、お引き受けしたいです。そのつもりで、お返事をお願いします」
口にすると、少し緊張した。
行ってみたいと思うだけだった場所に、自分の仕事ができようとしていた。
*
ギルドでは、国を越えて依頼を受けるときの手続きを聞いた。
今の登録札を持っていけば、どこでも同じように仕事ができるわけではなかった。
これまでの実績を示す書類を用意し、現地で確認してもらう。
採取できる範囲や、持ち込みの決まりも、到着してから改めて聞く必要がある。
「ご一緒に行く方は?」
「道中は、商隊に同行できるか相談しています。現地では、案内の方や、必要な同行者を付けてもらう予定です」
職員が頷いた。
「決まったら、依頼先の連絡先と一緒に持ってきてください」
「分かりました」
窓口を離れると、入口からラグが入ってきた。
仕事を終えて報告に来たところだという。
ミナの手元の紙を見て、歩みを緩めた。
「次の旅のお話ですか」
「はい。まだ確認していただくことはありますけど、お受けしたいと伝えてきました」
二人は通路を空け、壁際へ寄った。
ミナは、調査と記録が仕事になることや、現地で同行者を手配してもらう話を伝えた。
「料理のできる場所も聞いたのですが、そこは、まだ分からなくて」
「それは重要な確認ですね」
ラグが真面目に頷いた。
ミナは少し笑った。
「ラグさんも、そう思いますか」
「ええ。私も今は、台所が使えない宿に長く泊まるのは、少々惜しい気がします」
そこまで気に入ったのかと思い、ミナは顔を上げた。
ラグは、わずかに目を細めた。
「先日、豆を煮すぎまして。次に試すまで、気になってしまいました」
「潰しても、おいしくできますよ」
「その方法も、出発までに教えていただけますか」
「はい」
ラグは、受付へ出す紙を持ち直した。
「こちらにも、少し続けて受ける仕事ができました。私はここで、その続きをします」
ミナは頷いた。
ラグが自分の仕事を話してくれるのが、嬉しかった。
「また、帰ってきたらお話を聞かせてください」
「もちろん。そちらの話も、楽しみにしております」
*
夕方、下宿の台所で配信を始めた。
今日の夕飯は、焼いたパンに、潰した豆と刻んだゆで卵を載せたものだった。
豆はその日、店で買った煮豆を使っている。
少量の油と塩を混ぜ、食べやすい固さまで湯を足した。
「今日は、挟まずに上へ載せます。厚くしすぎると、食べるときに落ちてしまうので」
匙の背で広げていると、文字が届いた。
〈灰ねこ:こんばんは、こなべさん。町に戻ったんだね〉
「はい。姉も、今日お仕事へ戻りました」
ミナはパンを皿へ移した。
墓前で聞いた姉の話は、口にしなかった。
それをいつ、誰に話すかは、姉とも相談したかった。
「私も、次の仕事の相談をしてきました。ルガンで、薬草や素材の採り方を調べるお仕事です」
〈灰ねこ:今度も、しばらく滞在する仕事かな〉
「その予定です。でも、期間や泊まる場所は、まだ確認中です。現地の方にも教わりながら、記録を作ります」
少し間を置いて、別の名前が出た。
〈石畳:ルガンなら、宿の台所は聞いておいた方がいいですよ。前に泊まったところは寝るだけで、食事は通りの店で買っていました〉
初めて見る名前だった。
「そうなんですね。今日、ちょうどそれもお願いしてきました」
〈石畳:それならよかった。場所によって違うでしょうけど、買って帰って食べる人は多かったです〉
「ありがとうございます。到着したら、そういうお店も見てみたいです」
ミナは、火元から離れたところに置いた帳面へ短く書いた。
どこでも同じとは限らない。
でも、聞いておけば、着いてから尋ねることが増える。
〈灰ねこ:一緒に働く人は、これから?〉
「はい。採取地を知っている方と、素材を使う方にお話を聞けるよう、お願いしています。危険な場所へ行くなら、その準備も必要なので」
〈灰ねこ:そうだね。現地を知る人に、最初に話を聞けるのは大きい〉
ミナは頷いた。
サハルでも、サフィナとハーシムがいなければ、分からないままだったことがたくさんあった。
「まだ知らない料理も、教えていただけたら嬉しいです」
〈木の匙:また献立が増えるね〉
「はい。皆さんにも、お話しできたらと思います」
パンを一口かじった。
焼いた端は軽く、豆と卵は柔らかかった。
「……これなら、豆が少し潰れても大丈夫です」
〈灰ねこ:潰れた豆を使う献立として、覚えておこう〉
ミナは笑い、もう一枚のパンへ匙を伸ばした。
*
配信を終え、部屋へ戻ると、看板の箱が目に入った。
旅に持っていくには、大きい。
ルガンへ向かうときは、安心して預けられる場所を決めておきたかった。
包みを開いて一度確かめ、また布を掛ける。
次の旅で、店の名前が決まるとは限らない。
すぐに店を開けるお金が貯まるわけでもない。
それでも、素材を扱う仕事をしながら、新しい土地の暮らしと料理を知ることができる。
今の自分にできることが、そこで役に立つかもしれない。
ミナは机へ戻り、今日聞いたことを読み直した。
返事を待つ項目には、小さな印をつけた。
その下へ、自分で一行を書き足した。
ルガンへ、行きたい。
もう少し準備ができたら、それを予定の日付に変えよう。
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