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第115話 みんなの夢

 夕飯の後も、四人は下宿の食卓に残っていた。


 洗った器は、もう棚へ戻してある。

 マルタが湯の入った杯を両手で包み、窓の外へ目を向けた。


「明日も晴れるといいな。荷物、濡らしたくないし」


 出発は、明日の朝だった。

 家には帰る日を伝えてある。母親が一人で忙しくしているだろうし、弟に頼まれた買い物も済ませていた。

 キリルも、翌日にはリュネールを発つという。


「帰ったら、また魔法の練習ですか」


 ミナが尋ねると、キリルは杯を置いた。


「それもあるけど。俺、今年、王立魔法学校の試験を受けるつもりなんだ」


「王都の?」


 マルタが耳を立てた。


「そう。受かったら、一年間は向こうで勉強する」


 ミナは、草の間を通った細い風を思い出した。

 目当ての薬草には触れず、その横だけを揺らしていた。

 あれだけ使えても、まだ教わりたいことがあるのだ。


「どんなことを勉強するんですか」


「術式とか、魔力の扱い方とか。実技だけできりゃいいわけじゃねえから、帰ったら本も読まねえと」


「キリルさんなら、もっといろんな使い方ができるようになりそうです」


「……まだ受かってねえって」


 そう言いながら、キリルは少し背筋を伸ばした。

 ラグが、空いた杯へ湯を足した。


「その後は、どうするんだ」


「その後?」


「学校を出てから」


「だから、まだ受かってもねえけど……」


 キリルは杯の縁へ指を添えた。

 一度そこを見下ろしてから、顔を上げる。


「宮廷魔術師として働くか。冒険者になるなら、冠位を目指したい」


 マルタの耳が、もう一度動いた。


「冠位!」


「目指すだけならいいだろ。どうせやるなら、そこまで行ってみてえし」


 早口になったキリルを、ラグは急かさずに見ていた。


「どちらの道でも、学んだことを使う場は多いだろう」


「……うん。今は、どっちが自分に向いてるかも、よく分かんねえから」


 ミナは、レオンの顔を思い浮かべた。

 教わったときには分からなかったことも、あとになって自分の動きとつながることがあった。

 キリルも、そんなふうに教わりながら、行きたい方を選ぶのだろうか。


「応援しています。試験が終わったら、教えてください」


「おう。……そっちも、手紙が届く場所は教えとけよ」


「はい」


「私も、王都には行くつもりだよ」


 マルタが言った。


「ずっとじゃないけど。家の仕事と相談して、治癒と盾の講習に通いたいんだ。日程を調べて、行けるときに」


「じゃあ、会えるかもしれませんね」


「うん。キリルが学校に入ったら、お休みの日とか」


「受かったらな」


「分かってるって」


 マルタは笑った後、杯を少し寄せた。


「私も、いずれは冒険者になりたい。弟がもう少し大きくなって、お店の仕事をしっかりできるようになったら」


 宿の手伝いをしながら、訓練の時間を作っている。

 離れていた間に届いた手紙にも、忙しかった日のことや、弟と分担した仕事のことが書いてあった。


「でも、弟がずっとお店にいるって決まったわけじゃないんだよね」


 マルタは続けた。


「今は宿を継ぎたいって言ってる。でも、ほかにやりたいことができるかもしれないし。私が出たいからって、あの子が残ることにしちゃうのも違うかなって」


 ミナは頷いた。

 マルタにも、弟にも、これから知ることがある。


「だから、お母さんとも話しながら。すぐ出られなくても、治癒は覚えておきたいし。盾も、もっと上手になりたい」


「宿で怪我した人にも使えるもんな」


「うん。もちろん、先生に任せなきゃいけない怪我もあるけどね」


 キリルが頷いた。

 マルタは自分の手のひらを開いて、それからミナを見た。


「ミナは? 次の国の話もしてたよね」


「ルガンです。お仕事の条件を、もう少し確かめてからですけど」


 答えてから、ミナは考えた。

 行きたい場所の名前だけでは、二人が話したことへの返事になっていない気がした。


「私は、やっぱり自分のお店を持ちたいです」


 言うと、三人がこちらを見た。


「いろんな国の料理を出せて……遠くから来た人も、少しだけ故郷を思い出せるような」


 食堂で器を受け取った兵士が、湯気の向こうで笑っていた。

 知らない国の料理を尋ねたドランは、それがないと分かった後も、出した料理をきれいに食べてくれた。


「サハルで、故郷の味がするって言っていただいたんです。でも、自分の国の料理がなくて、少し残念そうにしていた方もいて」


「それで、ルガンの料理も知りたいのか」


「はい。本で名前を知っているだけでは、作れなかったので」


 ミナは杯へ目を落とした。


「全部の国の料理は、難しいかもしれません。でも、知らないままにはしたくないです。おいしかったものを、ちゃんと覚えて帰りたいです」


「私、食べに行くよ」


 マルタがすぐに言った。


「まだ、お店の場所も決まってないよ?」


「決まったら教えて。食べたことのないものを頼むから」


「……うん」


 ミナが笑うと、ラグも目を細めた。


「皆さん、素晴らしい目標です。そこへ向かうために、今、何をするかまで考えていらっしゃる」


 穏やかな声が、食卓の上を通った。


「ミナさんのお店も、以前より一つ、具体的になりましたね」


 ミナは頷いた。

 自分の台所を持つことを考えたとき、そこに来る人の顔まで、こんなには浮かばなかった。


「で、ラグさんはどうなんだよ」


 キリルが尋ねた。

 ラグは、空になった湯の容器を卓の端へ置いた。


「そうだなぁ。料理の賢者か、執事の冠位でも目指そうか」


「そんな冠位あんのかよ」


「なければ、設けていただくところからだな」


 マルタが吹き出した。

 ミナも、杯を置いてから笑った。


「まずは、お料理を食べさせてください」


「承知しました。厳しい審査になりそうですね」


 ラグは真面目な顔で頷いた。

 その顔がおかしくて、マルタがもう一度笑った。


     *


 翌朝、マルタの荷物には、来たときより包みが一つ増えていた。


「弟の分。頼まれてたものだけでよかったのに、お菓子も買っちゃった」


 待ち合わせた荷車のそばで、少し照れたように言う。

 盾と袋が動かないように積んでから、ミナへ向き直った。


「次に会うときは、もっとできるようになってるからね」


「うん。でも、見せてもらうために怪我はできないね」


「それは絶対だめ!」


 思ったより強い返事に、ミナは笑って頷いた。

 マルタの腕が伸びてきて、軽く抱き寄せられる。


「元気でね。ちゃんと食べて」


「マルタも。お母さんたちに、よろしく」


 離れた後、マルタはキリルにも手を振った。

 その横を通りながら、声を小さくする。


「次は、ちゃんと聞こえる声でね」


「おま……!」


 マルタは振り返らず、荷車へ上がった。

 こちらへ向けた顔は、ひどく楽しそうだった。


「何か、言い忘れましたか?」


 ミナが尋ねると、キリルは首を振った。


「何でもねえ。ほら、出るぞ」


 車輪が動いた。

 マルタが大きく手を振り、ミナも腕を上げた。


     *


 キリルを見送ったのは、その翌日だった。


 街道を行く一行の脇で、彼は袋の紐を締め直していた。

 ミナは、渡しておいた小さな包みが、袋の上へ入っているのを見た。

 中身は昨日買った焼き菓子だった。


「勉強のときに、どうぞ」


「途中で食うかもしれねえぞ」


「それでもいいです」


 キリルは笑った。


「帰ったら、試験の準備をします。……って、お前に言っても仕方ねえか」


「聞けて嬉しいです。また、魔法も教えてください」


「お前も、向こうで覚えたこと教えろよ。俺が知らねえ使い方、まだありそうだし」


「はい」


 出発を知らせる声がした。

 キリルはラグにも挨拶をして、街道へ足を向けた。

 少し進んでから、一度だけ振り返る。


「じゃあ、またな!」


「また、お会いしましょう!」


 ミナの声に、杖を持っていない方の手が上がった。


 姿が見えなくなるまで待ってから、ラグと町へ戻った。

 昨日まで四人で歩いていた道が、少し広く感じられた。


     *


 セリカの到着を待つ間、ミナはコルナへ持っていく荷物を整えた。


 姉からは、仕事を終えてからリュネールへ向かうと返事が来ていた。

 そこから先は、何日かかけて一緒に旅をする。

 ラグは引き受けている仕事があり、町に残る予定だった。


 ミナも空いている日に買い物を済ませ、記録を整理した。

 ラグとは、都合の合う夕方に顔を合わせた。


 その日、台所からは玉ねぎの匂いがしていた。


「……昨日も、これを作っていませんでしたか?」


「ええ。ですが、昨日は玉ねぎを少々急がせてしまいましたので」


 ラグが鍋の中を混ぜた。

 台には、切った玉ねぎを入れていた店の紙と、少量の肉の包みがある。

 鍋は動かないように据えてあり、右手の届くところへ道具が並んでいた。


「今日は、ゆっくり?」


「十分に時間を差し上げました」


 ミナは鍋を覗いた。

 玉ねぎは柔らかくなり、昨日よりも薄く色がついている。


「火を少し弱めたんですね」


「はい。混ぜる手を止めるときに、慌てずに済みます」


 ラグは匙を置き、用意していた肉を加えた。

 片手で次のものを取れるよう、包みは先に開いてある。


「そのままでよろしいですか?」


「はい。今は少し、触らずに待ってもいいと思います」


 ラグの手が止まった。

 鍋から、小さく焼ける音がした。


「剣なら、相手を待つことにも慣れているのですが」


「玉ねぎは、攻撃してきませんから」


「それで、つい油断を」


 ミナは笑った。

 手を出したくなったけれど、自分の匙は取らなかった。


 出来上がった肉と玉ねぎの煮込みを、二人で食べた。

 昨日よりも玉ねぎが甘く、汁が肉へよく絡んでいた。


「おいしいです」


「昨日と比べると、いかがでしょう」


「私は、今日の方が好きです」


 ラグは自分でも一口食べて、頷いた。

 その後、傍らの小さな帳面へ何か書いた。


「お料理の記録ですか?」


「忘れると、また同じ失敗をしそうですので」


 開いた頁には、火の強さと、玉ねぎの量が書かれていた。

 別の頁にも、料理の名前が見える。


「……たくさん作っているんですね」


「食事は毎日ありますから。試す機会には困りません」


 ラグは、少しだけ楽しそうに言った。


「次は豆を入れてみたいのですが、同じ時間では難しいでしょうか」


 ミナは自分の器を置き、豆の種類を尋ねた。

 話しているうちに、明日の夕飯の相談になっていた。


     *


 部屋へ戻ると、荷物の横に姉の手紙が置いてあった。


 到着までは、もう少しだった。

 ミナは、コルナへ持っていく包丁の鞘を布で拭いた。

 刃を確かめてから収め、いつもの場所へ入れる。


 お店で料理を出したこと。

 知らない食材を教わったこと。

 一緒に仕事をして、次に会う約束をした人たちのこと。


 おじさんに話したいことは、たくさんあった。

 どこから話せばいいか、まだ決まらなかった。


 ミナは荷物の紐を緩く結んだ。

 明日はラグに、豆の下ごしらえを見せる約束をしている。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

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