第103話 王城へ届いた礼状
王城の会議室に広げられた地図には、二つの国が描かれていた。
アルセリア王国。
その南東にある、エルディア。
グレンは椅子へ座る前に、サハルの位置へ目を向けた。
小さな町の名だった。
この地図では、川沿いの作業場も、荷車を並べた広場も見えない。
あの場所を守った者たちの報告は、別の紙に綴じられていた。
「揃ったな」
国王の声に、席についていた者たちが顔を上げた。
半年に一度、国王に認められた各分野の最高峰が成果を報告する、王認会議。
次の定例には、まだ間がある。
今日は、エルディアで起きた魔物の襲撃と、その際の冠位の行動を確認するため、王都と近隣にいる者だけが集められていた。
万象冠グレン。盾冠バルド。
匠冠リゼと、営生冠オルヴェン。
そして、エルディアでの調査から戻ったばかりの天災冠レオン。
席の外側には、外交と軍務を預かる役人が控えていた。
「まず、サハルからの記録を」
書記が束の上の紙を取った。
襲撃の発生。
谷側で魔物を抑えたザイード隊と、町の外縁で避難を支えた守備隊。
協力した冒険者、運搬に当たった住民。
負傷者と、亡くなった者についての報告。
名前が読み上げられる間、誰も紙をめくらなかった。
報告が終わると、国王はしばらく黙っていた。
「哀悼の意を、正式に伝えるように」
外交官が一礼した。
それから、国王はグレンへ向き直った。
「お前が現地と連絡を取るに至った経緯を聞こう」
*
「最初に気づいたのは、民間の配信を見ていたときです」
グレンは立ち上がった。
レオンの調査報告は、その日の午後に共有されていた。
配信では、サハルのギルドに掲示された新しい注意報の話が出た。
聞き覚えのある地形と、報告にあった移動の傾向が重なった。
「谷の部隊が主群を止めても、川沿いへ抜ける個体がいるのではないかと考えました。ただ、手元の地図では浅瀬の状態までは分かりませんでした」
「そこで、配信者に調べさせたのか」
軍務官の問いに、グレンは首を振った。
「危険な場所へ行かせてはいません。現地にいる者の知る範囲を聞き、ギルドへ懸念を伝えるよう頼みました。公開されている地図で確認できるところまでです」
役人の一人が、通信記録へ指を置いた。
時刻の横に、ギルドへの照会が記されている。
「その後、身元の確認を受け、王都のギルドを通じた連絡に切り替えました。サハルのダリヤ殿から助言を求められ、俺が応じました。バルドを呼んだのも俺です」
バルドが頷いた。
「俺は、柵の間隔と盾を持つ者の配置について。手元の人数でできる形を考えた」
「現地への指揮権は?」
「ありません」
グレンは即座に答えた。
「どの人員を動かすか、どこを閉じるかは、ダリヤ殿と現地の指揮官が決めました。こちらに届く情報には遅れがあります。目の前にいる魔物へ、いつ槍を出せと命じられる状況ではなかった」
バルドが、卓上の小さな配置図を回した。
「俺たちの案と、最後に現地で組んだ形は違う。荷車の大きさも、地面の傾きも、向こうの方が分かってる。直して使ってもらった」
外交官が資料を開いた。
「その点は、サハル側の記録とも一致しております。助言を受ける前から、現地で警戒と避難の準備を進めていたことも確認できました」
国王は頷いたが、そこで話を終えなかった。
「だが、お前たちは王国の冠位だ」
「はい」
「名を出して他国の防衛に関われば、個人の親切だけでは済まぬ。相手が求めた範囲を越えれば、王国が命令したと受け取られることもある」
グレンは視線を下げなかった。
「承知しています。緊急の照会と助言について、王国側への連絡をもっと早く並行できる余地はありました」
「同じ状況になれば、どうする」
「危険の知らせは止めません。その上で、現地の責任者と、こちらの報告先を最初に確かめます。誰の要請に応じ、何を助言したかを残します」
国王は、グレンの前の記録へ目を落とした。
「その手順を、個々人の判断だけに任せぬ形にせよ」
*
次に読まれたのは、エルディアの共同評議会から届いた文面だった。
原本の到着を待たず、正式な連絡経路で内容が送られてきたものだ。
サハル領主ダリヤ・サハリと、ザイードからの報告を踏まえ、王国の冠位による助言と情報共有に、国として謝意を表する。
ただ礼を述べるだけの文面ではなかった。
最初の警告を、どの窓口が受けるべきか。
国境を越えた情報を、どこまで共有できるか。
地図にない現地の変化を、どう補うか。
襲撃の中で生じた課題が、短く列挙されていた。
「末尾に、共同の実地訓練について提案があります」
書記が読み進めた。
通信、避難誘導、守備隊と冒険者の連携、負傷者の搬送。
双方のやり方を持ち寄り、今後の備えとしたいという申し入れだった。
バルドが腕を組み直した。
リゼも、手元の紙へ何かを書いた。
「謝意は受け取る」
国王が言った。
「今回については、差し迫った危険があり、現地の要請と判断のもとで行われた助言と認める。処分はしない。ただし、相手が礼を述べたからという理由だけで済ませるのではない」
グレンとバルドが頭を下げた。
「合同演習は、先方と調整を進めよ。その前提となる連絡と権限の確認も、合わせて行う」
外交官の筆が動いた。
まだ、出発の日は決まらない。
人数も、持ち込む装備も、受け入れ先と話し合う必要がある。
それでも、次に同じことが起きたとき、初めて互いの名前を確かめるところから始めずに済む。
*
「俺からも、一つあります」
レオンが手を上げた。
いつもの柔らかな声だったが、卓上へ出した記録には細かな日付が並んでいた。
「俺が現地を離れる前の記録と、その後に続けてもらった観測です。同じ場所でも、魔物の通る範囲が変わっています」
地図の上へ、別の紙を重ねる。
時期ごとに色を変えた印が、川の支流沿いにあった。
「一度に全部が動いたわけではありません。増えた場所と、逆に姿が見えなくなった場所がある」
「原因は掴めたのか」
「まだです」
レオンはためらわずに答えた。
「大きな個体を倒せば止まるのかも、分かりません。今回、ザイード隊が主群を押し返したことと、移動が起きた理由は、分けて調べる必要があります」
グレンは、王国側の山地へ目を向けた。
「エルディアだけの変化と決めつける材料もないな」
「はい。王国内でも、古い採取地や街道の記録と比べた方がいいと思います。何も起きていない場所も含めて」
軍務官が、各地のギルドへの照会を提案した。
日付と場所。見たものと、見なかったもの。
報告の書き方を揃えなければ、あとで比べられない。
「現地に残った観測担当者へは、引き続き方法を共有できます」
レオンが言った。
「持たせてもらった道具が、とても役に立ちました。同じ道具で測れば、少なくとも条件の違いは減らせます」
リゼが顔を上げた。
「数を揃えるなら、製作に時間がいるわ。必要な場所から順番を決めて。全部に最高のものを配るより、使える人と、記録を集める人を先に決めてほしい」
オルヴェンが頷いた。
「使い方が難しければ、忙しい現場では後回しになります。観測に必要な機能を絞るところは、私も手伝いましょう」
国王は、王国全体の地図を手前へ引いた。
「大きな騒ぎのあった場所だけを見るな。各地の記録を集めよ。今回のような襲撃が、ほかでも起こり得るものとして備える」
グレンは、サハルにつけられた印を見た。
遠い町の出来事だった。
だが、守るべき川も、町も、こちらにもある。
*
演習について話し始めると、バルドが椅子を少し前へ寄せた。
「盾を並べて受け止めるだけじゃ、今回の練習にはならん」
太い指で、配置図の隙間を示す。
「後ろに歩けない人がいる。味方が運んでくる。道を空ける。そこで壁を崩さず、隣へ受け持ちを渡せるか。そういうのをやりたい」
「新人向けの講習で扱った内容か」
軍務官に尋ねられ、バルドは頷いた。
「ああ。ただ、今度は同じ言葉で動くとは限らん相手と組む。声をかけたつもりで、伝わっていないかもしれない」
「そこは通信側でも確認したいわね」
リゼが続けた。
「誰の連絡を優先するのか。受け取ったことを、どう返すのか。道具が正常でも、人が返せないときがある。故障なのか手が離せないのか、待つ側には分からないもの」
「休む場所も必要です」
オルヴェンの声に、書記が顔を上げた。
「水を使う場所と、人が横になる場所を離しすぎないこと。食事を運ぶ道を、負傷者の搬送とぶつけないこと。生活のための魔法が、その負担をどこまで減らせるか、確かめたいですね」
レオンはしばらく考え、口を開いた。
「俺は、強い魔法を使っていい場所と、使えない場所を教えてほしいです」
バルドがちらりと隣を見た。
「お前がそれを言うと、妙に重いな」
「谷と町では違いますから。守った後に道がなくなっていたら、荷物が届きませんし」
レオンは真面目だった。
グレンも頷いた。
「現地の地形で、実際に確認したい。威力だけ分かっていても、頼める仕事は決められない」
国王が全員を見渡した。
「同行者は、任務と国内の配置を見て決める。全員で留守にするつもりにはなるな」
数人の筆が、ほとんど同時に止まった。
「……承知しました」
グレンが答えた。
隣のバルドは、何も言わずに背筋を伸ばした。
*
会議が終わった後、廊下の窓から入る風が、熱のこもった顔に触れた。
リゼがグレンの横へ並んだ。
「補助帯、送ったそうよ」
「直りそうか」
「まだ届いてないわ。ひびがあるという連絡だけ。使ったときのことも、本人が書いてくれたそうだから、まずはそれと現物を見てからね」
リゼは足を止めた。
「無事に戻るためのものが、役に立った。それはよかった。でも、次も同じように使って大丈夫とは言えない。そこは、ちゃんと調べる」
グレンが頷いた。
バルドは窓の向こうを見たまま、息を吐いた。
「槍も折れたんだろう」
「ああ」
「……今は、休めてるか」
「ダリヤ殿が、仕事を止めてくれている」
「それならいい」
言ってから、バルドは少しだけ口元を緩めた。
「向こうにも、ちゃんと叱ってくれる人がいたな」
少し後ろを歩いていたレオンが、会話に加わった。
「ダリヤさんなら、休ませると思います。でも、部屋に閉じ込めてはおかないでしょうね。あの人、ミナさんに色々見せたそうでしたから」
グレンは思わず笑った。
自分たちより、今のサハルをよく知っている声だった。
城門へ向かう分かれ道で、オルヴェンが持っていた書類を抱え直した。
「私は、製作所へ必要な機能を伝えてから帰ります。今日は家で食事をする約束なので」
「俺も、この後は兵の訓練を見てくる」
バルドが言った。
レオンは調査記録を整理するため、役人の待つ部屋へ戻っていった。
グレンの手元にも、すぐに取りかかる仕事が残った。
演習の候補日を出す前に、国内の派遣予定を確かめる必要がある。
サハルの守備隊が、いつなら人を割けるかも聞かなければならない。
昼食を抜きかけていることに気づき、足を止めた。
まず、何か食べよう。
次に顔を合わせるときは、慌てて助けを求めるためでなくていい。
互いのやり方を知り、試し、間違えたところを直すために会う。
その予定を作るところから、グレンは始めることにした。
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