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「異変」

 ルミナは森に入ってすぐ違和感を覚えた。いつもなら薄暗い森の中、大小問わず様々な生き物の気配で満ちている。あちらこちらで何らかの獣の動く音がしたり、ついさっきまでその場にいた痕跡が残っていたりする。しかし、今日はそれらの気配をほとんど感じられない。まるで、森の生き物が集団で引っ越しでもしたみたいに。ナンブもこの異様な状態に少し不思議がっている様子だった。ルミナはなにかとても不吉なものを感じたが、とりあえず先に進んでみることにした。

 ガラガラ森林の木々は葉が大きく、枝が横に横に広がっていく習性を持つ。なので森の中は日夜問わずとても暗く、日の光はあまり届かない。そうなれば当然、そんな狩りに不向きな森に狩人はなかなか寄り付かず、生まれつきとてつもなく目がいいルミナ専用の狩場となっていた。言ってしまえば、この森で他の人間と出くわす可能性はほとんど無いということだ。

 森の中心に近づいたところで、今日初めての獲物を見つけた。視線のかなり先、木が密集し、落ちた木の実が集まったところに、丸々と太ったセイリン黒兎を2頭認めた。ルミナは正直言うと兎の登場にホッとした。本当に、一夜にして森の生き物が軒並みどこかに消えてしまったのではないかと思いかけていたから。安心したところで、ルミナはナンブの背中に音も無く跨り、抜き足差し足獲物へと接近する。セイリン黒兎は非常に耳が良いので、森の音に紛れられる程静かに移動する。これだけはナンブにしかできないことだった。

 太った兎2頭は、木の実を食うことに夢中で狩人の接近にはまるで気づいていない様子だった。ルミナは弓をゆっくり引き絞ると、丁度2つの体が重なる角度に狙いを定めた。

 「ビュンッ」という風を切る音――矢は2頭の頭を同時に貫いた。ルミナはナンブの頭を優しく撫で、彼女の働きを讃えた。

 その時、少し離れた場所から鳥の集団が一斉に飛び立つのが見えた。大型の生き物の気配が無いというのに、一体何があったのだろうか?ナンブも何か不吉なものを感じたようで、少し緊張しているようだった。

 

 

 ルミナ達は急いで獲物を回収し、すぐにその場を後にしようとした。しかし、そこであるものを発見する。それは血だった。ついさっき流れた血、まだ乾いていない血。たまたま木々の隙間から差した日の光によって照らされ、白い枝に付いた真っ赤な血があらわになった。しかも、よく見ると血の主はその状態で移動したらしく、血が森の中央の少し開けた地点、そこへと向かっていた。先程から感じていた不安。なんとなく、その正体がこの先にある気がした。

 ナンブと共に少し歩くと、件の地点へとたどり着いた。この場所は森の中で唯一開けた場所であり、その中心にはこの森で一番の大木がある。ルミナはこの木を勝手に御神木と読んでいた。

 血は大木の下へと続いていたが、その巨大な枝葉の陰によってよく見えない。恐る恐る近づいていく。そしてさらに進んだところで、ルミナは奇妙なものを見た。徐々に姿を現した"それ"は大人の男と同じような大きさと形をしていた。しかし、それ以外は人間とは何もかもが違っていた。

 その身体は炭のように真っ黒で、表面は"煮凝り"のような、おおよそ獣ではありえない質感をしていた。そして顔だけでなく身体の至る所に口のようなものがあり、そこから白く巨大な牙と長い舌を覗かしている。だが、ルミナにとって最も恐ろしいのは目だった。目だけが人間と同じ、だが正気ではない、ひどく血走った目だった。それが真っ黒で異様な身体の中で、一層奇妙に感じられた。

       

   "なに…これ…!?"

 

思わず漏らすと、ルミナはすぐに後ずさろうとした。しかし、普段見る景色とのあまりのギャップに、身体が思うように動かない。そしてそこで、化け物の横に、ズタズタに食い荒らされ、頭を失った鹿の死体があることに気づいた。さっきの血の主は、この化け物に襲われた鹿だったのだ……!この死体はすなわち、ルミナ達がこの化け物の捕食対象であることを示唆している。本能が逃げろ、と言っていた。しかし、ルミナ達が振り向いて走り出そうとするよりも疾く、まるで地面を滑るようにして、化け物は2人の目の前に移動した。恐怖に息が詰まり、全身に鳥肌が立った。ルミナは咄嗟にブーメランを取り出し化け物に振り下ろす、が、ブーメランは"グニュッと"泥沼に落ちた様に身体に沈み込むと、今度はまるで岩の間に挟まったかのようにびくともしなくなった。化け物はまるで効いていないという様子で、全身の口がニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。ルミナは恐怖で体が固まるのを感じた。背中にも大量に冷や汗をかいていた。

       

        「ナンブッ!!」

 

 かろうじてそう叫ぶと、ナンブが勢いよく化け物の胴体に噛みついた。しかしブーメランと同じように、噛みついたナンブの顔は少しずつ化け物の体に取り込まれていく。まるで、全身で喰らうように。ルミナはどうすることもできず、わなわな震えながら、目に涙を浮かべた。化け物は右手でルミナの首を掴むと、ゆっくりとその異形の顔を近づけてきた。今度はルミナの頭を食いちぎるつもりだ。

 

 ルミナが半ば諦めかけたその時、突風が吹いて、揺れた枝葉の間から一筋の日の光が差し込んだ。光がルミナ達を捉えると、化け物は「ギィヤァァァァァァァッ!!」と苦しそうに、耳を塞ぎたくなるような金切り声をあげた。気づくと、さっきまで完全に沈み込んでいたブーメランが、真っ黒い"沼"から浮いてきている。逃げるチャンスは今しかないと思った。ルミナは腰の矢筒から矢を全部取り出すと、化け物の顔を滅多刺しにした。化け物は一層苦しそうにすると、さらに拘束を弱めた。どうやら、今度の攻撃は効いたようだった。身体半分まで沈み込んだナンブをなんとか引っ張り出して抱きかかえると、その場に煙玉を放ち、すぐに走り出した。方向など最早どうでもよく、とにかく無我夢中で走った。


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