「星空の下で」
男が去った後、様子を見に来た他の捜索隊に見つかるまでルミナはその場に立ち尽くしていた。敵との圧倒的実力の差、島に蔓延る未知の存在、そしてなにより戦えなかったこと。自分はあの男に"生かされている"、その事実が重くのしかかった。今の自分では全く歯が立たない。誰のことも何も、守れはしないのだと。あんな常軌を逸した人外に対抗する術は何も思いつかなかった。
結局、指輪のことは誰にも話せなかった。話してもさらに混乱を呼ぶだけだし、あの男の言う通り証拠がなければ誰も信じないだろう。男は捜索隊が来ることを見越して"半魔獣"を別の森に移していた。きっとこの先も証拠一つ残さないで狩りをやる。奴は狡猾で残忍、計画的にこの島を掌握するつもりだろう。
こんな状況の中でも、少しは分かったことがある。男の発言から、やはり半魔獣は薄暗い森の中でしか行動できないのだろう。森に近づかない限り遭遇することはない。奴らが次の段階に移行する前に、何らかの手を打たなければならない。生活のこともそうだ、貯金が底をついたら大人しくおじさんの店の手伝いでもやろう。ナンブの餌代が稼げなければ本末転倒だ。
街に戻ったのは夕暮れで、手掛かりの無い捜索に皆疲れ果てたようだった。暗い顔をした男たちの集団に混ざって島長の長い話を聞き、解散するころには既に夕飯時だった。ルミナは久しぶりに街で食事をすることにした。
街の中を歩き回って店を探したが、どこも満席で座れるところは一つも無かった。明るい店内で幸せそうに食事をする家族連れ、グラスを交わすカップル達、そんな光景を窓越しにたくさん見て、ルミナはなんだか辛くなってきた。自分達だけが化け物と戦う術なんかを孤独に考えていて、普通の幸せすら持っていない。良くないとは分かっていても、この世の不公平を憎く思った。季節はもう秋、風の冷たさが余計にルミナを心細くさせた。もう帰ろう…、そう思った時だった。
「ルーミナー!!」
声がする方に目を向けると、そこには長い金髪を後ろで一本に束ね、紺色のコートに身を包んだ少女の姿があった。
「あ!フォアラ!」
予想外の遭遇に、ルミナの心にも温かいものがあふれた。
「今ね、お母様達が他所の島に取り引きに行ってるから、執事達にお願いして出てきたの。だから、もしかしたらルミナに会えるかもと思って、街の中うろついてたんだ!あれ?今日はワンちゃんも一緒なんだ!可愛い赤ずきんちゃんだね!」
フォアラが会いたかったと言ってくれたことが嬉しくて、街で夕飯を食べようとした選択は最早正解だったと思った。彼女の屈託のない笑顔と明るい声に、さっきまでの暗い気分も晴れていった。ナンブのことは飼い犬だと説明しておいた。
「夕飯食べるところ、探してるんでしょ?私も一緒に探すよ?街にはあんまり詳しく無いけどね…」
突如広場にあらわれた美少女に、周りの人々がざわつきだした。
「場所を変えよっか――」
二人は結局座って食べられる店を見つけることができず、パンを買ってベンチで食べることにした。フォアラは体形に似合わず大食いで、5個もパンを平らげた後にまた急いでパン屋に行こうとした。2個で十分だったルミナはフォアラのそんな様子を笑いつつ、なんでその体型を維持できているのかと不思議に思った。
「さっきから気になってたんだけどさ、なんでそんなに服が汚れてるの?もしかして、森で鹿と追いかけっこでもしてきた?」
フォアラの疑問も無理はなかった。長時間の森での捜索で全身泥まみれだった。よくよく考えれば、店で食事をするのはそもそも無理な話だった。ルミナは一呼吸置くと、イノブタ達の失踪からビゲス森林での捜索までをフォアラに説明した。
「そんなことがあったんだ…ごめん、無神経なこと言って」
二人が座るベンチの間を秋風が通り過ぎていって、枯葉が舞い上がった。
「フォアラにさ…話したいこと、あるんだけど…」
ルミナはイノブタ失踪の本当の理由をフォアラに全て話してしまった。自分でも何故そうしたのか分からない。ただ、話さずにはいられなかった。彼女なら受け止めてくれると思ったからかもしれない。
「そっか…」
フォアラの表情がわかりやすく曇ったので、ルミナはすぐに失敗をしたと思った。証拠も無いのに、こんな突拍子もない話を信じろという方が無理がある。やっぱりこのことは自分の中だけで――
「信じるよ」
「え?」
予想外の返事だった。普通なら、真っ先に頭の異常を疑うような話だ。
「だって、あなたが嘘を言う人には見えないから」
「信じてくれるの…?証拠も無いのに?」
「ルミナってしっかりしてるようでちょっと抜けてるね。話を信じるんなら、証拠が無いのは当たり前でしょ?」
「……ありがとう」
「私たちは友達だよ?友達の話を信じるのは当たり前だから、礼を言う必要はないよ」
そこからルミナは、半魔獣との一度目の対峙について詳しく話して聞かせた。
「やっぱり、私が気になるのは化け物が日光に照らされたときの反応かな。そのときだけ、ルミナの攻撃が効いたように見えた…。もし日光が届く場所に引きずり出せたら、そいつを普通の武器で倒せるかもしれない…!」
フォアラの適応能力にルミナは感嘆した。さっき半魔獣のことを知ったのに、もうその対抗策を考え始めていのだ。彼女の考察の勢いに少し違和感を感じたルミナだったが、とりあえず一人で抱え込まなくてよくなったことに安堵した。
「私の家の前にその黒ローブの男がいた?」
男の口からセイル邸という言葉が出た以上、いつかは伝えなくてはいけないと思っていた。そのことを聞いて、フォアラは初めて動揺らしい動揺を見せた。
「そんなやつが私たちの家に……。お母様達がいない時で良かった…。もし家族に何かあったら……」
ルミナはフォアラの震える手をぎゅっと握った。
「フォアラのことは、私が絶対守るよ」
「……ありがとう」
いつの間にか日は完全に沈み、空には星々が姿を見せていた。もう周囲には二人以外誰も残っていなかった。ナンブはベンチの横でさっきからうたた寝をしている。二人は自然に見つめ合った。フォアラの透き通る翡翠色の瞳は海の様に深くて、そのまま吸い込まれてしまいそうだった。ゆっくりと体を近づけて、二人は唇を重ねた。フォアラの唇は柔らかくて、温かくて、しっとりとしていた。そして、彼女の髪からは豊かな花の香りがした。まるで、二人の周囲だけ時間が止まってしまったようだった。時間にして数秒のことだったが、とても幸せな気持ちだった。密着した体を離すと、なんだか気恥ずかしくて、二人して目を逸らした。
「じゃあ、私は帰るから…」
それだけ言い残すと、フォアラはすぐに走って行ってしまった。唇に彼女の体温がいつまでも残っている気がして、なんだか切ない気持ちになった。冷たい秋の風がその温もりを奪ってしまうまで、ルミナは一人、星空を見上げていた。




