第四章 第十一話 火山麓の村
前日は焼けた森を抜けきれず、商隊は街道脇の開けた場所で野営した。灰の残る地面を避けて荷馬車を寄せ、交代で見張りを立てながら夜を越す。そして翌日、焼けた森を抜けたのは昼を少し過ぎた頃だった。
黒く炭化した幹の数が少しずつ減り、代わりに背の低い草と灰色がかった岩が目立ち始める。街道そのものも変わっていた。王都から続いていた固い土の道には、ところどころ黒い小石が混じり、車輪が踏むたび乾いた音を立てる。空気には前日より濃い灰の匂いがあり、風が強くなるたび、道端に積もった薄い灰が地面すれすれを流れていった。
「森、終わったな」
アレンが振り返ると、今まで通ってきた焼けた木々が低い丘の向こうへ続いていた。鈴葉は西の方角へ顔を向けたまま、少しだけ目を細める。
「その代わり、山が近い」
遠くに見えていた山並みは、もう背景ではなかった。幾重にも重なっていた稜線の一つが大きく迫り、その奥には頂上付近を薄い霞に隠したさらに高い山がある。煙なのか雲なのか、ここからではまだ判別できない。ただ、王都を出た頃には遠景の一部だった山々が、今では道の行き先そのものになっていた。
六台の荷馬車は速度を落とさず進んでいたが、御者たちはこれまでより頻繁に車輪と馬の脚元を気にしている。先頭のガレスとニアも左右の地形へ目を配り、後方のローデンとミックは荷車同士の間隔が開かないよう歩調を合わせていた。
しばらくして、街道の先に低い石壁が見えた。
「あれ、村?」
アレンが言うと、バルドが前から振り返った。
「ああ。今日の宿だ。ここから先は、火山の麓で暮らしてる連中の土地になる」
村へ近づくにつれ、アレンは建物の形がこれまでの宿場と違うことに気づいた。家々は背が低く、屋根の傾斜が強い。軒は短く、窓には木製の外蓋がついている。壁は木だけでなく黒灰色の石を積んだものが多く、屋根の端には雨樋のような溝が伸びていた。
だが、その溝が集めているのは雨水ではなかった。
「灰を落とすためか」
屋根の上では二人の住民が長い柄の箒を使い、積もった灰を溝へ押し流していた。落とされた灰は建物の脇に置かれた木箱へ集められている。
「正解だ」
バルドが答える。
「積もったままにすると屋根が重くなる。雨が混じればもっと厄介だ。ここじゃ掃除も生活の一部だ」
◇
村の入口には大きな門こそなかったが、道脇に石造りの水場と荷車を止めるための広場があった。商隊が入ると、何人かの住民が慣れた様子で近づいてくる。驚いた顔をする者はいない。六台もの荷馬車が来ることも、この道では珍しくないらしい。
アレンと鈴葉はバルドの指示で中央の荷車を見ながら、村の様子を観察した。
最初に気づいたのは、水だった。
井戸には深い屋根がかけられ、汲み上げ口には二重の木蓋がある。水桶も外へ出しっぱなしにされず、使わない時は必ず布か板で覆われていた。子供が水を汲んだあと、母親らしい女性がすぐ蓋を閉めさせている。
「灰が入らないようにしてるんだな」
「昨日、バルドに言われたでしょう?」
「分かってる。村全体でやってるのがすごいなって」
鈴葉も周囲を見る。家の入口には小さな前室のような空間があり、住民たちは外から戻るとそこで衣服や靴の灰を払ってから中へ入っていた。窓も大きく開け放たれている家はほとんどない。代わりに、屋根近くの細い換気口が風下側へ向けて作られている。
道の端には一定間隔で灰を捨てるための穴があり、中には土と混ぜられた灰が積まれていた。灰そのものを完全に遠ざけるのではなく、邪魔にならない場所へ集めて暮らしている。
「ここに住んでたら、灰が降るたび大変そうだな」
「たぶん、降らない日の方を基準にしてないんでしょうね」
鈴葉の言葉に、アレンは少し考えた。
土地が違えば、日々の危険も、それに備える方法も変わる。ここでは灰が降ることを前提に屋根を作り、水を守り、道を掃除する。それでも、アレンには初めて見る暮らしだった。
◇
荷を降ろす必要のない商隊は、村の広場に六台の荷馬車をまとめて止めることになった。バルドが宿と馬小屋の手配をしている間、護衛たちは順番に車輪や縄を確認する。
アレンが四台目の荷車の車軸についた灰を拭っていると、すぐ近くから甲高い鳴き声が聞こえた。
顔を上げると、石壁の向こうに家畜小屋がある。茶色い山羊が何頭も柵の中を歩き、その奥には羊と小柄な牛も見えた。家畜小屋の屋根も人の家と同じように傾斜が強く、柵の上には灰を防ぐための簡単な覆いが設けられている。
「ちゃんと家畜もいるんだ」
「何だと思ってたの?」
隣で縄を確認していた鈴葉が聞く。
「もっと何も育たない場所かと思ってた」
「ここまで来る途中にも草はあったでしょう」
「そうだけど、火山の麓って聞くと、岩と灰ばっかり想像するだろ」
「アレンの想像の中の火山地帯、かなり極端ね」
鈴葉が呆れたように言う。
ちょうどその時、柵の中へ干し草を運んでいた老人が二人の会話を聞いたらしく、声を上げて笑った。
「旅人はみんな似たこと言うよ。山の近くじゃ人も獣も生きられないと思ってる」
「違うんですか?」
「危ない日はある。灰がひどけりゃ外に出せんし、山が荒れたら放牧地も変える。だが、毎日山が燃えてるわけじゃない」
老人は山羊の背を軽く叩いた。
「こいつらは人間より土地に慣れてるくらいだ。食える草をよく知ってる」
柵の中の山羊は話など気にせず、干し草へ頭を突っ込んでいる。アレンは思わず笑った。
「強そうですね」
「食い意地が張ってるだけだ」
老人はそう言い残し、家畜小屋の奥へ戻っていった。
アレンは改めて村を見渡した。灰の積もった屋根。黒い石壁。蓋のされた井戸。家畜小屋。小さな畑には背の低い葉物が並び、畝の間には灰が入り込みすぎないよう細い板が立てられている。豊かな土地ではない。それでも、何もない土地でもなかった。
◇
夕方になると、山側から風が吹き始めた。
村人たちはそれに気づくと、屋外に置いていた道具を片づけ、井戸や水桶の蓋を確かめ始めた。慌てている様子はない。子供たちでさえ遊びをやめると、家の前に置いてあった布や籠を中へ運んでいる。
少し遅れて、細かな灰が風に混じった。
アレンもすぐに口元へ布を当てたが、村人の動きはさらに早かった。家畜小屋では山羊と羊が屋根のある側へ集められ、牛の水桶には覆いがかけられる。宿の主人は入口前へ湿らせた布を敷き、客が靴につけた灰を中へ持ち込まないようにしていた。
「慣れてるな」
アレンが言うと、鈴葉は舞う灰の向こうに村を見ながら頷いた。
「怖がらないんじゃなくて、何をすればいいか知ってるのね」
その言葉が、アレンには一番しっくりきた。
火山の麓で暮らす人々は、山を恐れていないわけではない。危険が消えたわけでもない。ただ、灰が降ったら水を閉じ、屋根を払い、家畜を守る。風向きを見て、道を選び、必要なら山から距離を取る。そうやって、この土地で暮らす方法を積み重ねてきたのだ。
やがて灰は薄くなり、夕暮れの村にいつもの音が戻った。家畜の鳴き声、食事を作る音、住民たちの話し声。遠くでは山が暗い輪郭を空へ伸ばしている。
アレンは宿へ入る前に一度だけ振り返った。
王都から見れば、ここは火山へ向かう途中の危険な土地なのかもしれない。けれど、ここで生まれた人間にとっては、灰の降るこの村こそが帰る場所なのだ。
その事実を知ったことで、アレンの中にあった「火山地帯」という言葉の形が、少しだけ変わった。
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