第四章 第六話 西へ延びる道
王都を離れてから一刻ほど経つと、背後に見えていた外壁は少しずつ低くなり、やがて丘の向こうへ沈み始めた。西へ延びる街道はまだ広く、両脇には畑が続いている。朝露を受けた麦の穂が風に揺れ、遠くでは農夫たちが馬を使って土を起こしていた。王都の周辺だけあって行き交う人も多く、荷車、徒歩の旅人、家畜を連れた商人が絶えずすれ違っていく。火山地帯へ向かう旅だと聞いていたせいか、アレンはもっと早く景色が荒れていくものだと思っていたが、今のところ道の先には穏やかな緑しかなかった。
「思ってたより普通だな」
中央の三台目と四台目の間を歩きながらアレンが言うと、鈴葉は前方へ目を向けたまま答えた。
「まだ王都を出たばかりでしょう」
「分かってるけど、火山って聞くと、もっと遠くから煙とか見えるのかと思ってた」
「十日以上かかる場所よ。最初から見えていたら、かなり大きいんじゃない?」
「それもそうか」
鈴葉の言葉に納得しつつ、アレンは隊列へ視線を戻した。先頭ではガレスが槍を肩に担ぎ、ニアが少し外側を歩いている。後方にはローデンとミックが一定の距離を保ち、時折振り返って街道の後ろを確認していた。バルドは一台目と二台目の間を行き来しながら御者と話し、荷の揺れや馬の様子まで細かく見ている。
護衛として歩く旅は、これまでの旅とは違っていた。アレンが一人で移動していた頃は、自分の速度で休み、自分の判断で道を外れることができた。鈴葉と旅を始めてからも、相談する相手が増えただけで、歩く速さそのものは二人で決められた。だが今は六台の荷馬車が基準になる。早く進みたくても馬が疲れれば止まり、気になるものを見つけても勝手に離れるわけにはいかない。
「退屈?」
鈴葉が尋ねた。
「いや。ちょっと違うなって思ってただけ」
「何が?」
「旅の仕方。俺たちだけなら、あの丘の向こうが気になったら見に行けるだろ。でも今はそうじゃない」
「護衛だから当然ね」
「うん。でも、こういうのも覚えた方がいい気がする」
アレンがそう答えると、鈴葉は少しだけ目を細めた。
「今日は成長したって言わないの?」
「自分から言うなよ」
「言ってほしそうだったから」
「全然」
軽口を交わしている間にも、荷馬車は一定の音を立てて進んでいく。道の脇では畑が途切れ、小さな果樹園が現れ、その向こうには低い石垣で囲まれた牧草地が広がっていた。街道そのものもよく整備されており、深い轍はほとんどない。バルドが最初の数日は比較的安全だと言っていた理由が、少しずつ分かってきた。
◇
昼前、商隊は街道脇の広い休憩地で一度止まった。石造りの水場と馬を繋ぐための杭があり、旅人が休めるよう低い屋根まで設けられている。別の隊商もすでに二組休んでおり、御者たちは互いに邪魔にならないよう場所を分けて馬へ水を与えていた。
「三十分だ。食うなら今のうちに食え。馬車から離れすぎるなよ」
バルドの声に、護衛たちもそれぞれ荷を下ろした。アレンは水を飲み、支給された固いパンと干し肉を取り出す。鈴葉は隣の石に腰を下ろし、周囲を眺めながら食べ始めた。
少し離れたところではガレスがローデンと話している。ニアは食事をしながらも、ときどき空や周辺の畑へ視線を向けていた。ミックは馬車の車輪の近くにしゃがみ、緩んだ縄を御者と一緒に結び直している。
「みんな慣れてるな」
「護衛のこと?」
「ああ。休んでても、全員どこか見てる」
「アレンも見てるでしょう?」
「鈴葉が言うまで気づかなかった」
「なら半分くらいは自然にできてるんじゃない?」
珍しく素直に褒められた気がして、アレンが鈴葉を見る。彼女は何事もなかったようにパンを食べていた。
「今の、褒めた?」
「そう聞こえたなら、それでいいんじゃない?」
「やっぱり分かりにくいな」
食事を終える頃、アレンは水場の横に立つ古い道標へ目を向けた。王都までの距離と、西にある三つの宿場の名が刻まれている。そのさらに先については、次の道標へ続く矢印しかなかった。
「まだ最初の宿場にも着いてないんだな」
近くにいたバルドがその言葉を聞き、荷車の縄を確認しながら答えた。
「今日の夕方には着く。そこまでは王都から出入りする荷も多い。明日から少しずつ人が減る」
「景色も変わりますか?」
「すぐに全部変わるわけじゃない。畑が減って、木が低くなって、土が乾いてくる。そういう変化が先だ。灰を見るのはまだ後になる」
アレンは頷いた。火山地帯へ入る瞬間に何か境界線が引かれているわけではない。人の暮らしも植物も土も、距離とともに少しずつ変わる。そのことを考えると、目の前にある穏やかな景色まで旅の一部として見ておきたくなった。
◇
午後になると、王都周辺に広がっていた大きな農地は少しずつ減り始めた。完全になくなったわけではないが、畑と畑の間隔が広がり、代わりに背の低い草原や乾いた土の斜面が増えていく。道脇に生える木も、王都近くで見た大きな広葉樹より細く、枝の少ないものが目立つようになった。
アレンは何度か土の色へ目を向けた。まだ赤くも黒くもない。それでも、朝に見た湿った畑の土より明らかに淡く、靴が踏むたび細かな砂が舞う場所もある。
「少し乾いてきたな」
「風もね」
鈴葉が髪を押さえながら言う。朝は冷たかった西風が、午後には少し温かくなっていた。草の匂いも薄れ、代わりに乾いた土の匂いが混じり始めている。
その変化は劇的ではなかった。だからこそ、アレンには面白かった。朝と同じ道を歩いているはずなのに、気づけば周囲の色も匂いも少し違う。旅とは、目的地に着いた瞬間だけ世界が変わるものではない。歩いた距離の分だけ、知らないうちに景色が別のものへ移っていくのだ。
「アレン」
鈴葉の声で前を見ると、三台目の荷馬車が少し速度を落としていた。前方に小さな坂があり、馬が荷を引くため歩調を落としたらしい。アレンも速度を合わせ、車輪が石に取られないよう周囲を見る。
坂を越えたところで、前方の景色が一気に開けた。遠くには低い丘陵が何層も続き、その向こうに霞んだ山並みが見える。まだ火山なのかどうかさえ分からないほど遠い。ただ、西へ進む道だけは、その山々の方向へ伸びていた。
「この先なんだな」
「まだずっと先よ」
「分かってる」
「本当に?」
「今日はちゃんと分かってる」
鈴葉が小さく笑う。アレンも笑い返し、前へ視線を戻した。
◇
日が傾き始める頃、最初の宿場の屋根が見えてきた。街道の両側に宿や馬小屋、食堂が並ぶ小さな集落で、王都ほどではないものの、旅人と隊商で賑わっている。バルドは先頭で手を上げ、今日の行程が終わることを護衛たちへ知らせた。
六台の荷馬車が宿場へ入る頃には、空が橙色に染まり始めていた。アレンは王都の方向を振り返ったが、外壁はもう見えない。朝にはまだ背後に大きくあった街が、一日歩いただけで丘の向こうへ消えていた。
代わりに、西には遠い山並みがある。そこまでの道には宿場があり、草原があり、さらに先では土地そのものが変わっていくという。灰も地鳴りも、まだここにはない。だからこそ、アレンは急がず、その変化を一つずつ見ていこうと思った。
宿場の入口で荷馬車が止まり、御者たちが馬を馬小屋へ導き始める。アレンと鈴葉も護衛として最後の荷の確認を手伝い、その日の役目を終えた。西から吹く風には、朝より少しだけ乾いた土の匂いが混じっていた。
火山地帯はまだ遠い。それでも、王都とは違う土地へ向かっていることだけは、もう景色の中にはっきりと現れ始めていた。
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