第四章 第四話 旅支度
商人組合を出たアレンと鈴葉は、その足で先日見つけた旅用品店へ向かった。昼前の王都はすでに人通りが増え、朝よりもさらに騒がしい。荷車の車輪が石畳を叩き、商人たちの呼び声が通りの両側から飛び交っている。その中を進みながら、アレンは頭の中で必要な物を一つずつ整理した。灰除けの布。増やす水袋。丈夫な靴。簡単な補修道具。保存食は隊商から支給されるが、自分たち用に少し持っておいてもいい。以前なら店に着いてから考えていただろうが、今は買う前に目的を決めておく方がいいと分かっていた。
「本当に変わったわね」
隣を歩く鈴葉が突然そう言った。
「何が?」
「買う物を考えてから店に向かってる」
「それだけで?」
「前のあなたなら、珍しい物を見つけてから欲しくなってたでしょう?」
「そこまでじゃない」
「そう?」
鈴葉の視線が妙に確信に満ちていたので、アレンは反論を諦めた。実際、否定し切れる自信はなかった。
店へ入ると、先日見た灰色や淡褐色の布が棚いっぱいに並んでいた。店主に火山地帯へ向かうことを伝えると、顔を覆える長さの布と、目の周囲まで覆える薄手の頭巾を勧められた。さらに灰が細かい日は、布を少し湿らせて口元へ当てると楽になることも教えられる。
「水を余計に使うってことか」
「そうなるな。灰は喉をやられる。飲む分だけでなく、布を濡らしたり目を洗ったりする分も考えた方がいい」
アレンはその説明を聞きながら、水袋を二つ手に取った。鈴葉も隣で縫い目や革の厚みを確かめている。
「こっちの方が丈夫そう」
「でも少し重いな」
「壊れて水を失うよりいいでしょう?」
「それはそうか」
二人は同じ大きさの水袋を一つずつ追加し、灰除けの布も予備を含めて複数枚買った。靴については、今履いているものがまだ使えると判断したが、靴底の補修用に厚い革片と釘、それを打つ小さな工具を追加する。アレンは何度か棚に手を伸ばしかけては戻し、本当に必要かを考えてから選んだ。
「その短い外套は?」
鈴葉が棚の端を指した。薄い布地だが、表面には灰が付きにくい加工がされているらしい。
「便利そうだけど、今の外套の上から着るには少し暑そうだな」
「火山地帯は暑い場所ばかりじゃないわ。標高が上がれば夜は冷えることもある」
「じゃあ、必要?」
「必要かもしれない。でも、商隊がどの高さまで行くかはまだ分からないでしょう」
アレンは少し考え、結局その場では買わなかった。このあと西門でバルドに確認し、必要なら今日中に戻って買えばいい。何でも先回りして揃えればいいわけではない。持ちすぎれば、その分だけ旅は重くなる。
◇
宿へ戻ると、二人はそれぞれの荷を一度すべて広げた。アレンの寝台の上には着替え、保存食、火打石、水袋、簡単な薬、縄、布、金属の羽根を包んだ小さな布袋が並ぶ。鈴葉も隣の椅子へ自分の荷を置き、必要なものと不要なものを分けていた。
アレンは金属の羽根を手に取らず、包みの位置だけを確認した。火山地帯へ向かうからといって、この謎が解けるとは限らない。王都へ入る前に見た巨大な影と、現地で語られている影が同じなのかどうかも分からない。だから今は、壊したり失くしたりしないように持っていく。それだけでいい。
「それ、場所を変える?」
鈴葉が包みへ目を向けた。
「少し迷ってる。荷の底だと取り出しにくいけど、上だと落としそうで」
「内側の袋に入れたら?」
「それがいいか」
鈴葉の提案で、アレンは金属の羽根を衣服の間ではなく、荷の内側に縫い付けられた小袋へ移した。外からは見えず、簡単には落ちない。位置を決めると、アレンは少し安心した。
「旅って、出る前の方が大変なんだな」
「今さら?」
「今までは準備に時間かけてなかったから」
「それを堂々と言うのもどうかと思うけど」
「反省してるってことだよ」
鈴葉は小さく笑い、アレンの荷物の横へ視線を落とした。
「保存食、少し多くない?」
「念のため」
「多すぎると重くなるわ」
「でも途中で足りなくなったら困るだろ」
「隊商から支給されるんでしょう?」
「そうだけど……」
「じゃあ、予備は二日分で十分。三日分以上は削ってもいいと思う」
アレンはしばらく考えたあと、余分な分を一つ外した。鈴葉の言う通りだった。備えることと、何でも持つことは同じではない。必要なものを選び、余計なものを減らすことも準備のうちなのだろう。
◇
午後になると、二人は再び西門近くへ向かった。出発地点をもう一度確認し、朝に迷わないためだった。門の周辺には翌日出発するらしい荷車がすでに何台か集まり始めており、その中にバルドの商隊らしい六台の車もあった。荷台には布で覆われた箱や樽が積まれ、御者たちが縄の締まりを確認している。
アレンたちが近づくと、バルドが荷車の横から顔を出した。
「来たのか。準備は?」
「ほとんど終わりました。灰除けの布と水袋も増やしました」
「靴は?」
「今のを使います。補修道具は追加しました」
「ならいい。外套は?」
アレンが昼前に店で迷ったものを思い出し、標高が上がった時の寒さについて尋ねると、バルドは少し考えた。
「この時期なら、今の外套があれば十分だ。厚い物を増やすより、水と灰対策を優先しろ」
「分かりました」
「明日は日の出前。鐘が一度鳴る頃には来い。荷の最終確認をして、遅くとも二度目が鳴る前には出る」
時間まで具体的に聞けたことで、アレンはようやく明日の出発を実感した。
「護衛は全員そろったんですか?」
「ああ。昨日から決まってた二人と、お前たち、それから今朝残った二人で六人だ。顔合わせは明日の朝でいい」
バルドはそれだけ言うと、また荷の確認へ戻った。アレンと鈴葉は邪魔にならないよう少し離れ、西門の外へ続く道を眺めた。ほんの少し前までは、まだ候補の一つにすぎなかった道だ。だが今は、自分たちが明日の朝そこを進むことになる。
「いよいよだな」
「まだ出発してないわよ」
「分かってる。でも、準備が終わるとそういう感じするだろ」
「少しはね」
鈴葉も街道の先へ目を向けた。王都の外では、夕方の光が丘陵を淡く染めている。火山地帯はまだ見えない。灰も煙も、ここからは何も分からない。それでも、その土地へ続く道だけは確かに目の前にあった。
宿へ戻る途中、アレンは明日のために余計な寄り道をせず、夕食を早めに済ませようと提案した。鈴葉は一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、「本当に成長したのね」と笑う。
「だから、それ何回言うんだよ」
「明日も言うかも」
「もう慣れてきた」
「それならよかった」
二人は軽口を交わしながら、人の流れに乗って宿へ戻った。
◇
夜、アレンは寝台の横へ荷を置き、最後に一度だけ中身を確認した。水袋、灰除けの布、補修道具、薬、予備の食料。剣は手の届く場所に立てかけ、明日の朝すぐ身につけられるようにしてある。金属の羽根も、荷の内側の小袋に収まっていた。
窓の外では、王都の夜がまだ終わる気配を見せていない。通りには灯りが残り、遠くから人の声と車輪の音が聞こえてくる。王都へ辿り着いた時、この街は世界の広さを見せてくれた。そして今、その広い世界へ伸びる道の一つを、自分たちは選んだ。
火山地帯で何が待っているのかは分からない。灰、地鳴り、行動の変わった魔獣、そして正体の分からない空の影。そのどれも、今はまだ情報にすぎない。明日からは、それを自分の目で確かめることになる。
アレンは灯りを落とす前に、隣の部屋との壁へ一度だけ視線を向けた。今度の旅は一人ではない。その事実は、もう特別に意識しなくても自然に思えるほどになっていた。
荷の紐がきちんと締まっていることを確かめ、アレンはようやく寝台へ横になった。翌朝、西門を出れば王都での短い滞在は終わる。窓の外に響く夜の喧騒を聞きながら目を閉じると、昼間に見た西へ続く街道が静かに脳裏へ浮かんだ。
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