第四章 第三話 火山から来た商人
翌朝、アレンと鈴葉が商人組合へ着いた時には、昨日よりも入口の人影が多かった。護衛募集の説明を聞きに来た者たちらしく、剣や槍を背負った旅人が壁際に立ち、受付の書記が名前を確認している。アレンたちも仮登録の札を見せると、建物の奥にある小さな会議室へ案内された。
室内には長机が一つあり、その向こうに四十代ほどの男が立っていた。日に焼けた肌に短く刈った黒髪、袖口や靴には落としきれなかった灰色の粉が残っている。昨日、西門で見かけた荷馬車の御者ほどではないが、外套にも同じような赤茶けた汚れがこびりついていた。
「全員そろったな。俺はバルド・レイグ。今回の商隊をまとめる者だ」
低くよく通る声だった。机の上には地図が広げられ、王都から西へ延びる街道と、その先の山地が赤い線で示されている。
「最初に言っておく。楽な仕事じゃない。金だけ見て来たなら、今帰ってくれて構わない」
部屋にいた数人の護衛候補が互いに顔を見合わせたが、バルドは気にした様子もなく地図の平地部分を指でなぞった。
「王都を出て五日ほどは大きな問題はない。宿場もあるし、街道も整備されている。厄介なのは、その先だ。ここから地面の色が変わり始める」
指先が山地へ入る。地図には細かな地名まで書かれていなかったが、赤茶けた印がいくつも重なっていた。
「火山地帯に近づけば、風向き次第で灰が降る。薄ければ服が汚れる程度だが、ひどい時は目も開けにくい。水へ入れば泥になるし、荷車の車軸にも溜まる。口と鼻を覆う布は必ず持て。水も普段より余分に必要だ」
アレンは昨日、旅用品店で見た淡い色の布を思い出した。暑い土地で使うものだと思っていたが、灰を避けるためにも役立つのかもしれない。
「地面も安定してないんですか?」
アレンが尋ねると、バルドは彼へ視線を向けた。
「場所による。昔から小さな揺れはある土地だ。ただ、ここ一月ほどは少し増えてる」
「地震?」
「そう呼ぶ奴もいるな。大きな揺れじゃない。荷が棚から落ちるほどでもないことが多い。ただ、山道じゃ話が別だ。小さな揺れでも石が落ちる。崖沿いでは気を抜くな」
鈴葉は地図の山際へ目を落とした。
「街道が壊れた場所は?」
「今のところ完全に通れなくなった場所はない。ただし、二週間前に北寄りの旧道で崩落があった。俺たちが使う本道とは離れてるが、地面が落ち着いてるとは言い切れない」
バルドの説明は淡々としていた。危険を大きく見せて脅すでもなく、逆に安心させようともしない。その話し方が、かえって現地をよく知っていることを感じさせた。
◇
「次に魔獣だ」
バルドは地図の脇に置いていた紙束を取り、数枚を机の上へ並べた。粗い絵だったが、四足の獣や翼を持つ生き物が描かれている。
「平地では群れで動く灰牙狼。山へ入れば岩肌に紛れる爬岩獣。空から来る小型の飛行魔獣もいる。どれも火山地帯そのものじゃ珍しくない」
「珍しくない、ってことは……最近は別の問題が?」
鈴葉が問うと、バルドはわずかに眉を寄せた。
「数が読みにくくなってる」
「増えたんですか?」
「単純に増えたならまだ分かりやすい。今まで近づかなかった場所に出る群れがいる。逆に、普段なら必ず見かける谷から姿を消した奴もいる。原因は分からん」
部屋にいた護衛候補たちの表情が少しだけ硬くなった。アレンは、森で獣の動きが変わる時のことを思い出す。餌、水、天候、より強い捕食者。動物が場所を変えるには何かしら理由があるが、それを知らないまま原因だけを決めつけることはできない。
「火山の揺れと関係してると思いますか?」
「可能性はある。だが証拠はない」
バルドは即答した。分からないことを分からないまま話すその態度に、アレンは少しだけ好感を持った。
「もう一つ、最近は変な噂もある」
バルドは最後の紙を裏返した。そこには何も描かれていない。
「噂?」
「空だ。火山地帯へ入る商人や狩人の何人かが、山より高いところを大きな影が横切ったと言ってる。鳥だと言う奴もいれば、飛竜だと言う奴もいる。雲の影を見間違えただけだって笑う奴もいる」
その言葉を聞いた瞬間、丘の上で見た光景がアレンの中に鮮明に蘇った。王都へ入る前、空を横切った巨大な影。あの時も、周囲の旅人たちは鳥だ、飛竜だ、雲だと好き勝手に言っていた。隣を見ると、鈴葉もアレンへ視線を向けている。二人とも同じものを思い出したのだと分かったが、ここで結論を出す理由はなかった。
「その影が何か、分かってるんですか?」
「いや。俺自身は見てない。見た奴らの話も食い違ってる。翼があったと言う者もいれば、ただ空が暗くなっただけだと言う者もいる。だから護衛依頼の危険項目には入れてない。ただ、現地へ行くなら耳には入れておいた方がいいと思っただけだ」
「なるほど」
アレンはそれ以上聞かなかった。王都で見た影と同じ存在なのかもしれないし、まったく違うものかもしれない。今の段階で分かるのは、それだけだった。
◇
説明を終えたバルドは応募者を一人ずつ見渡した。
「ここまで聞いて、それでも行く奴だけ残ってくれ。出発は明日の朝だ。西門前で荷と装備を最終確認して、そのまま街を出る」
数人のうち、一人が迷った末に席を立った。残った者たちはそのまま座っている。アレンは鈴葉へ目を向けた。
「どう思う?」
「危険はある。でも、話を聞いた限りでは無謀ではないわ」
「俺もそう思う」
「行きたい?」
聞かれて、アレンは少しだけ笑った。
「行きたい。でも、今度はそれだけで決めてない」
「分かってる」
「鈴葉は?」
「私も行く。あなた一人で行かせたら、途中で何に首を突っ込むか分からないもの」
「護衛より俺の監視みたいになってないか?」
「半分くらいはそうかも」
アレンは呆れたように息を吐いたが、その答えに嫌な気はしなかった。二人はバルドの前へ進み、正式に護衛を引き受ける意思を伝える。バルドは契約内容をもう一度確認し、報酬、食事、宿泊、途中で依頼を放棄した場合の扱いまで一つずつ説明した。アレンも以前のように流して聞かず、不明な点はその場で尋ねた。
「明日は日の出前に西門へ来い。灰除けの布、水袋、丈夫な靴は必須だ。持ってない物があるなら今日中にそろえろ」
「分かりました」
「それから、火山地帯に入ったら勝手に隊列から離れるな。珍しい景色があってもだ」
鈴葉が横で小さく笑う。
「聞いた?」
「俺に言ったわけじゃないだろ」
「お前、そういう顔してるぞ」
バルドまで真顔で言ったため、アレンは返す言葉を失い、鈴葉の笑みだけが少し深くなった。
◇
組合を出ると、昼前の光が通りへ落ちていた。昨日まで遠い言葉にすぎなかった火山地帯が、今は地図の道筋と必要な装備、危険な魔獣の名前を伴って現実の場所へ変わっている。
「今日中に旅支度、し直さないとな」
「ええ。特に灰対策」
「昨日見た店に戻るか」
「水袋も増やした方がいいわね」
二人は自然に必要な物を挙げながら、大通りへ歩き出した。次の旅はもう「どこか遠く」ではない。王都の西門を出て、平地を越え、山地へ入り、その先の灰が降る土地へ向かう。
アレンは一度だけ空を見上げた。王都の上には薄い雲が流れているだけで、巨大な影はどこにもない。火山地方で語られているものが、あの日見た影と同じなのかどうかは分からないし、今は知る術もない。だからこそ、実際にその土地へ行くまでは答えを急がなくていい。
「アレン、行くわよ」
「ああ」
鈴葉に呼ばれ、アレンは空から視線を戻した。二人は並んで旅用品の店へ向かう。今日中に必要な装備をそろえ、明日の朝には王都を離れる。未知だった西の土地は、もう地図の向こう側だけにある場所ではなかった。
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