第四章 第二話 灰の街道の依頼
翌朝、アレンと鈴葉が昨日の広場へ戻ると、掲示板の前にはすでに十人ほどの旅人が集まっていた。昨日の夕方にはなかった紙札が何枚も増え、古い募集の上から新しい告知が重ねられている。護衛、荷運び、馬車の御者、街道の修繕人員。中には王都の外へ一日だけ出る仕事もあれば、数週間かけて遠方へ向かうものもあった。アレンは人の隙間から一枚ずつ目を通し、報酬だけでなく目的地と日数、必要な経験まで確認していった。昨日までなら「面白そう」という理由だけで手を伸ばしていたかもしれない。だが今は、何をする仕事なのか、自分たちにできるのかを先に考えるようになっていた。
「ずいぶん真面目に見てるわね」
「昨日、ちゃんと調べてから決めるって言っただろ」
「三日くらいは続くといいけど」
「短くないか?」
「今までのあなたを考えれば長い方よ」
鈴葉の口元がわずかに上がる。アレンは反論しようとしたが、掲示板の端に貼られた一枚が目に入り、そのまま言葉を止めた。紙はまだ新しく、角も折れていない。上部には太い文字で、王都西門から出発する商隊の護衛募集と書かれていた。
目的地は、西方の火山地帯へ続く街道沿いの交易集落。往路だけでも十日以上を見込み、途中で複数の宿場と補給地点を経由する。護衛対象は荷馬車六台。募集人数は六名。魔獣との戦闘経験がある者を優先し、長距離移動に耐えられること。報酬は道中の食事と宿泊費に加え、到着時に銀貨で支払う。さらに、現地まで同行した者が帰路の護衛も引き受ける場合は別途加算されるらしい。
「火山地帯……」
アレンが小さく呟くと、鈴葉も紙札へ目を向けた。
「行ったことは?」
「ない。ラークホロウの周りに火山なんてなかったし、旅に出てからも見てない」
「なら、昨日言っていた条件には合うわね」
「俺が見たことのない場所?」
「ええ」
アレンはもう一度募集文を読み直した。知らない土地へ向かうというだけなら、他にも候補はあった。北方の鉱山都市へ向かう隊商もあれば、南の農村地帯へ荷を運ぶ仕事もある。それでも、この紙札には何か引っかかるものがあった。火山という言葉自体が、アレンにとってはエララの昔話や旅人の話の中でしか知らないものだった。大地が熱を持ち、山から煙が上がり、ときには空から灰が降る。そんな場所が本当にあるのなら、自分の目で見てみたいと思った。
「どうする?」
鈴葉に聞かれ、アレンはすぐには答えなかった。昨日決めた通り、勢いだけでは選ばない。まずは条件を確認する必要がある。
「話だけ聞いてみよう。どんな道か分からないし、俺たちで足りるかも分からない」
「それなら賛成」
二人は紙札の下部に書かれた受付場所を確認し、広場の反対側にある小さな商人組合の建物へ向かった。
◇
組合の中は、朝から人の出入りが絶えなかった。荷の受け渡しを確認する商人、契約書を読み上げる書記、旅の日程について話し合う護衛たち。受付の前にも短い列ができていたが、掲示板ほど混雑してはいない。順番を待っている間、アレンは壁に貼られた街道図へ目を向けた。王都から西へ伸びる道は、途中までは平地を通るが、さらに進むと山地へ入り、その先で地図の色が大きく変わっている。赤茶けた線で囲われた一帯には、いくつもの山の印が並んでいた。
やがて二人の番になると、受付の女性が顔を上げた。
「ご用件は?」
「西門から出る護衛募集について聞きたいんです。火山地帯へ向かう商隊の」
「ああ、今朝出したものですね」
女性は机の下から薄い書類を取り出し、内容を確認した。
「出発は明後日の朝。商隊は荷馬車六台、商人と御者を合わせて十二名。護衛は現在二名決まっていて、あと四名募集しています。街道の前半は比較的安全ですが、山地に入ると魔獣が増えるため、戦闘経験がない方はお断りしています」
「どんな魔獣が出るんですか?」
「地域によって違います。ただ、ここで詳しい説明をするより、雇い主から直接聞いた方がいいでしょう。現地出身の商人ですから」
アレンは少しだけ身を乗り出した。
「現地の人なんですか?」
「ええ。火山地帯と王都を何度も往復している方です。明日の午前に、応募者へ道中の説明と簡単な確認を行います。参加を希望するなら、今日中に仮登録を」
女性は二人へ視線を移した。
「戦闘経験は?」
「あります。魔獣とは何度も」
「武器は剣?」
「はい」
次に女性は鈴葉を見た。
「あなたは?」
「自分の身は守れるわ」
それだけでは曖昧だったのか、女性の眉がわずかに動く。アレンは一瞬だけ口を開きかけたが、鈴葉が先に続けた。
「森での移動と危険察知には慣れている。戦闘も問題ないわ」
「分かりました。明日、雇い主が直接確認します」
鈴葉の正体を説明する必要はない。護衛として必要なのは、何ができるかだけだ。アレンも余計なことは言わず、女性から差し出された仮登録用の紙へ名前を書いた。
「アレン・ヴェイレン……鈴葉。二名ですね」
「はい」
「では明日の朝、鐘が三度鳴る頃までにこちらへ。最終的に護衛を引き受けるかどうかは、説明を聞いてから決めても構いません」
その言葉に、アレンは少し安心した。まだ依頼を受けたわけではない。道の状況も、目的地の詳細も、危険の程度も分からないまま決める必要はなかった。
組合を出ると、朝の光はすでに建物の屋根を越えていた。通りでは荷車が行き交い、王都へ着いたばかりの旅人と、これから門へ向かう者がすれ違っている。アレンは組合の入口脇に掲げられた西方街道の印を見上げた。
「明日、話を聞いてからだな」
「ええ」
「でも、ちょっと楽しみかもしれない」
「結局そうなるのね」
「まだ飛びついてないだろ」
「昨日よりは進歩してるわ」
「昨日から何回それ言うんだよ」
鈴葉が小さく笑い、アレンもつられて笑った。
◇
その日の午後、二人は宿へ戻る前に西門近くまで足を延ばした。明後日に出る可能性があるなら、出発場所くらいは見ておこうというアレンの提案だった。西門周辺は、二人が王都へ入った正門とは少し雰囲気が違っていた。大型の荷馬車が多く、旅装を整えた商人や護衛が目立つ。門の外へ続く道も遠くまで見え、その先には緩やかな丘陵が重なっていた。
「この道を行くんだな」
「依頼を受ければね」
「分かってる」
アレンは苦笑しながらも、遠くへ続く街道から目を離さなかった。どこまで行けば景色が変わるのか。いつから灰が降り始めるのか。火山というものが、実際にはどれほど大きいのか。考えれば次々と疑問が浮かんでくる。
ただ、その中に金属の羽根や黒い九尾を無理に結びつけようとはしなかった。火山地方へ向かうことが、自分の謎に答えを与えてくれる保証などない。それでも、今まで見たことのない土地へ行き、そこでまた知らないものを見ること自体が、旅を続ける理由になり始めていた。
「アレン」
「ん?」
「道ばかり見てると、また首が痛くなるわよ」
「今度は前を見てるだけだろ」
「顔が楽しそうだから」
言われて、アレンは少しだけ驚いた。自分では気づいていなかった。
「そんなに?」
「少なくとも私には分かる」
以前も似たことを言われた気がして、アレンは笑った。
「じゃあ、明日ちゃんと話を聞こう。それで大丈夫そうなら――」
「二人で決める」
鈴葉が先に言った。アレンは一瞬だけ目を見開き、それから頷く。
「ああ。二人で決める」
夕方が近づき、西門を通って一台の荷馬車が王都へ入ってきた。車体も車輪も薄い灰に汚れ、御者の外套には赤茶けた粉がこびりついている。アレンは思わずその姿を目で追ったが、御者は疲れた顔のまま荷馬車を先へ進め、二人の前を通り過ぎていった。
鈴葉も同じ荷馬車を見ていた。
「灰……かしら」
「たぶん」
それ以上、二人は何も決めつけなかった。ただ、掲示板の紙に書かれていた「火山地帯」という文字が、初めて少しだけ現実の匂いを帯びた気がした。アレンと鈴葉は灰に汚れた荷馬車を見送りながら、まだ知らない西の土地へ続く道を静かに眺めていた。
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