第三章 第二十七話 王都への街道
宿を出たアレンと鈴葉は、朝の光がまだ低いうちに王都へ続く街道へ入った。前日まで一人で歩いていた道と同じはずなのに、隣に誰かがいるだけで景色の見え方が少し変わる。鈴葉はアレンより半歩ほど前を歩くこともあれば、何か気になるものを見つけて急に速度を落とすこともあり、一定の歩調を守るカイとはまるで違った。それでも不思議と歩きにくさはなく、何度か言葉を交わすうちに、二人の足取りは自然に揃っていった。
「王都まで、あとどれくらい?」
「このままなら今日のうちに外側の街道までは着くわ。急げば外壁まで行けるかもしれないけど、急ぐ必要はないでしょう?」
「うん。もう目の前まで来てるなら、無理して疲れる方が嫌だし」
「少しは旅に慣れたのね」
「最初からそれくらい考えてたよ」
「本当に?」
「……たぶん」
鈴葉が小さく笑う。アレンは言い返そうとしたが、ラークホロウを旅立ったばかりの頃を思い返すと強く否定できず、そのまま前を向いた。
街道は昨日までより明らかに広くなっていた。土の道の中央には平たい石が敷かれ始め、荷車が通る部分には深い轍が幾重にも残っている。道端には王都までの方向を示す石柱が立ち、その脇では荷物を積んだ商人たちが車輪を確認していた。人間だけではなく、長い耳を持つエルフや、鱗のある腕で手綱を握るリザードマン、頭上に小さな角を持つ者の姿も見える。ラークホロウの季節市でも様々な種族を見てきたが、ここでは誰も珍しい客として扱われていなかった。皆が同じ街道を行き来し、それぞれの目的地へ向かっているだけだった。
「王都が近いと、やっぱり人が増えるね」
「この道は東側の大きな街道と繋がってるから。王都へ入る人だけじゃなく、途中で別の道へ分かれる人も多いわ」
「鈴葉、詳しいね」
「何度か通ってるもの」
「何度くらい?」
「覚えてない」
「そんなに?」
「長く生きてる人に回数を聞くものじゃないわ」
「年齢は聞いてないよ」
「今、聞こうとしたでしょう?」
「してないって」
鈴葉は疑うような目を向けたが、それ以上は追及しなかった。神獣としてどれほど長く生きているのか気にならないわけではない。それでも本人が話したくないことを無理に聞かないと決めたばかりだったため、アレンも口を閉じる。
しばらく進むと、街道脇に小さな検問所が現れた。王都そのものの門ではなく、街道を行き交う荷車の積み荷と、危険な品を運んでいないかを簡単に確認する場所らしい。旅人は名前と行き先だけを聞かれ、アレンも「王都」と答えて通された。鈴葉は迷いなく「月鐘鈴葉」と名乗ったが、当然ながら神獣については何も口にしない。
検問所を離れたところで、アレンは声を落とした。
「普通に名前書くんだね」
「どういう意味?」
「いや、神獣でもそういうのするんだなって」
「人の姿で町へ入るなら、その町の決まりに従うわよ。門番に『神獣だから通して』なんて言ったら余計に面倒でしょう」
「確かに」
「それに、約束したでしょう。人の姿ではただの鈴葉」
「覚えてるよ」
「ならよろしい」
街道の先には、休憩所を兼ねた小さな市場ができていた。常設の建物は数軒しかないが、王都へ向かう者を相手に、水や果物、焼いた肉、馬の飼料などを売る露店が並んでいる。二人もそこで水を補充し、昼食用に薄い肉を挟んだパンと果物を買った。
鈴葉がきちんと代金を払って食事を買う姿を見ながら、アレンはふと首を傾げた。
「鈴葉って、お金どこで手に入れてるの?」
「何、その質問」
「だって森にいたから」
「ずっと狐の姿で木の実だけ食べて暮らしてると思ってた?」
「そこまでは思ってないけど」
「人の姿で仕事をすることもあるし、昔から持ってるものを売ることもあるわ。森を守ることだけが私の生活全部じゃないの」
「そうなんだ」
「神獣にも生活はあるのよ」
あまりにも普通に言われ、アレンは笑った。母の物語では神獣たちは遠い存在として描かれていたが、鈴葉を知るほど、その中にも眠り、食べ、旅をし、必要なら金を使う時間があるのだと分かってくる。
二人は市場の外れにある長椅子で昼食を取った。向かいの街道では、荷台いっぱいに布を積んだ商隊が王都方面へ進み、その後ろを羽のあるハーピーの女性たちが歩いている。別の場所では猫人の親子が荷物の紐を結び直しており、少し離れたところでは背の高いエルフが人間の商人と地図を広げていた。
「王都の中もこんな感じ?」
「もっと多いわよ」
「もっと?」
「ここにいるのは、この街道を使っている人だけでしょう。王都には別の方角からも道が集まってる。初めてなら、たぶん見る場所が多すぎて疲れると思う」
「楽しみになってきた」
「迷子にならないでね」
「子供じゃないんだから」
「昨日まで森で巨大な狐を追いかけようとしてた人が言っても説得力ないわ」
「追いかけなかったよ」
「最終的にはね」
アレンはパンを食べながら反論したが、鈴葉は楽しそうに受け流した。
休憩を終えて再び街道へ出ると、人の流れはさらに濃くなった。道沿いには畑が増え、遠くでは風車がゆっくり回っている。小さな農村から王都へ野菜を運ぶ荷車とすれ違い、別の荷車には空になった樽が積まれていた。王都そのものはまだ見えないが、その巨大な場所へ周囲の土地から物が集まり、また別の物が外へ流れていくことだけは、街道を歩いているだけでも伝わってくる。
アレンは何度か背後を振り返った。灰色の外套の人物は見えない。市場でも検問所でも、それらしい者はいなかった。
「気になる?」
隣から鈴葉に聞かれ、アレンは頷いた。
「村を出てから何度か感じたから。もういないなら、それが一番だけど」
「今のところ、こちらを追っている人の気配はないわ」
「今のところ、か」
「見えないものまで『いない』って決めたら、あなたが怒るでしょう?」
「僕、そんなに細かい?」
「最近は少し」
それはアレン自身も否定できなかった。歓楽の村で起きたことを通じて、見たものと推測を混ぜないことの大切さは嫌というほど学んだ。鈴葉が断定を避けたことに、アレンはむしろ安心した。
午後になると、道は緩やかな上り坂へ変わった。街道の左右には石積みの境界が続き、その向こうに広い麦畑と果樹園が伸びている。畑で働く人々の間には人間だけでなく、犬人やゴブリンの姿もあり、誰もが王都近郊の生活の一部としてそこにいた。
「この辺りも王都の領地?」
「王都へ食べ物を送る村や農地が多いわ。壁の中だけであれだけの人を食べさせるのは無理でしょう」
「考えたことなかった」
「大きな町ほど、見えないところに支えられてるものよ」
鈴葉の言葉を聞き、アレンは畑の先へ続く荷車の列を見た。王都と聞くと城や高い建物ばかりを想像していたが、そこへ辿り着く前から、すでに王都を支える景色は始まっていた。
坂の途中で、旅人向けの大きな石柱が現れた。これまでの道標より新しく、表面には王都の紋章と、ここから先で街道が三本に分かれることが刻まれている。中央の道が王都の正門へ、北側が商用の荷車門へ、南側が周辺農村へ続くらしい。
「中央でいいんだよね?」
「ええ。旅人なら正門が分かりやすいわ」
「鈴葉も一緒に入る?」
「そのつもりだけど」
「急に森へ消えたりしない?」
「私を何だと思ってるの?」
「急に森へ消える人」
鈴葉は一瞬黙ったあと、否定できないと思ったのか小さく息を吐いた。
「今回は消えないわ」
「ならよかった」
再び歩き出すと、坂はもう少しだけ続いた。その先にある高い丘を越えれば、王都へ続く最後の区間へ入ると鈴葉は言う。アレンは自然と歩幅を大きくしたが、すぐ隣から声が飛んだ。
「急がないんじゃなかった?」
「急いでないよ」
「さっきより速いけど」
「もう近いって思ったら、ちょっとだけ」
「子供みたい」
「初めてなんだから仕方ないだろ」
鈴葉は笑いながらも、今度は止めなかった。むしろ少しだけ速度を上げ、二人は並んで坂を上っていく。
アレンは前方に伸びる王都への道を見つめた。母の物語を追うためだけにここまで来たわけではない。それでも旅を始めてから出会った人々や事件、そして鈴葉との出会いによって、ラークホロウを旅立った日の頃より、世界について知りたいことは遥かに増えている。
丘の頂上はまだ少し先だった。その向こうに何が見えるのか、今はまだ分からない。アレンは隣を歩く鈴葉と歩調を合わせながら、王都へ続く最後の街道を進んでいった。
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