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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第三章 『欲望の村と銀の狐』
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第三章 第十七話 追う影

村を出てからしばらくは、東へ続く街道に大きな変化はなかった。谷を離れるにつれて色鮮やかな屋根は背後の丘へ隠れ、代わりに低い草原と細い林が交互に現れる。道幅は荷車二台がすれ違える程度あり、王都へ向かう商人や旅人の姿も多い。アレンは肩の荷物を直しながら隣を歩くカイへ目を向けた。村の中で見ていたときとは違い、手押し車のない猫人の青年は思った以上に歩くのが速かった。


「いつもこんな速度で配達してるの?」


「遅い方」


「これで?」


「荷車がないから」


 カイは当然のように答え、歩調を変えない。灰褐色の尾は一定の間隔で揺れ、耳だけが前後左右の音を拾うたびに小さく動いていた。村から離れていくにつれ、昨日まで見慣れていた人の顔も色付きの通りも消え、旅の続きが本当に始まったのだと実感が戻ってくる。


 カイが届ける荷物は、最初の宿場にある道具屋宛てだった。袋の中身は鍛冶用の細かな金具で、壊れやすくも高価でもない。それでも受領印が必要で、依頼を終えるまでは寄り道するつもりはないらしい。


「終わったら村へ戻るんだよね」


「今の予定は」


「今の?」


「昨日も言っただろ。明日は明日」


「便利な言い方だな」


「誰かの真似じゃない」


 また同じ返しをされ、アレンは少し笑った。旅を始めたばかりの頃なら、同行者がいるだけで歩調や休憩の取り方を意識していたかもしれない。だがカイは必要以上に合わせようとせず、疲れれば言うし、水が必要なら立ち止まる。その自然さがかえって歩きやすかった。


 昼前、二人は街道脇の小さな休憩所で足を止めた。屋根と長椅子だけの簡素な場所で、近くには浅い水場がある。先に休んでいたのは人間の老夫婦と、荷物を背負ったリザードマンの若者だけだった。アレンたちは邪魔にならない端へ座り、持ってきたパンと干し肉を取り出す。


「王都、行ったことある?」


 食事をしながら尋ねると、カイは水筒の栓を閉めて頷いた。


「三回」


「どんなところ?」


「広い。人が多い。道が多い。荷物を届けるには面倒」


「感想が全部仕事目線だね」


「仕事でしか行ってないから」


「何か面白い場所とかないの?」


「あるんじゃない?」


「知らないの?」


「配達先と宿しか見てない」


 アレンが呆れたように笑うと、カイは気にした様子もなく干し肉を噛んだ。人の多い王都では、観光より荷物を盗まれないことの方が重要らしい。


「アレンは何しに行く?」


「見てみたいから。王都なら、この国のことももっと分かると思うし」


「それだけ?」


「今はそれだけ」


 少なくとも王都へ向かう直接の理由は、世界を見たいという旅の続きだった。


 休憩を終えて再び歩き始めると、街道は低い林の間へ入った。左右には細い木々が並ぶが、見通しは悪くない。道には古い荷車の轍が重なり、時折、枝の隙間から小動物が逃げていく音がする。アレンは何気なく後ろを振り返った。


 少し離れた場所に、一人の旅人がいた。灰色の外套を着て、頭まで深く布を被っている。村を出た直後にも似た姿を見た気がしたが、街道には旅人が多いため、そのときは気にしていなかった。


「どうした?」


「いや……あの人、さっきからいたかなって」


 カイは振り返らず、耳だけを後ろへ向けた。


「いた」


「いつから?」


「村を出て少ししてから」


「気づいてたの?」


「足音が同じ間隔で続いてる」


 声は小さかった。カイは歩調を変えず、前を向いたまま続ける。


「休憩所でも止まってた」


「僕たちと同じところで?」


「入ってこなかった。少し手前で待ってた」


 偶然同じ方向へ進んでいるだけなら不自然ではない。ただ、こちらが休んでいる間も距離を保ったまま止まり、再び歩き出すと同じようについてくるとなれば話は変わる。


「知り合い?」


「顔が見えない」


「村の人?」


「分からない」


 アレンはもう一度振り返りたい衝動を抑えた。警戒していることを相手へ悟らせる必要はない。昼間で見通しも悪くなく、今すぐ危険だと決める理由もなかった。


「どうする?」


「次の分岐で確かめる」


 林を抜けると、街道は二つに分かれていた。右は王都方面へ続く本道、左は農村へ向かう細い道だ。カイは立て札を確認するふりをして左へ数歩入り、アレンも何も言わずについていく。


「宿場は右じゃない?」


「知ってる」


 二人は左の道をしばらく進んだ。背後から足音は聞こえない。アレンが振り返ると、灰色の外套の旅人は分岐の前で一度立ち止まり、そのまま王都方面の本道へ進んでいった。


「……違った?」


「まだ分からない」


「こっちに来なかったよ」


「追ってるのが目的なら、分かりやすくついてくる方がおかしい」


 カイは農道の先を確認すると、すぐに本道へ戻った。分岐まで戻っても灰色の外套はもう見えない。街道の先には荷車が二台と、徒歩の旅人が数人いるだけだった。


「考えすぎかな」


「そうならいい」


「カイが言うと余計に気になる」


「昨日までのことがあるからな」


 旧九番倉庫では逃げた者もおり、アレンの顔を知る者もいる。村を出たことが伝わっていても不思議ではない。


 それでも、灰色の外套の旅人が関係者だという証拠は何もない。二人は警戒だけ残し、王都方面へ歩き続けた。


 午後になると街道の人通りは少し減り、左右には背の高い草が増えた。風が吹くたび穂が波のように揺れ、遠くには王都へ続く山並みが薄く見える。最初の宿場までは残り数時間ほどだとカイが言った。


 そのとき、カイの耳が突然後ろへ向いた。


「止まるな」


 アレンは何も聞き返さず、そのまま歩く。


「また?」


「たぶん」


 今度は足音ではなかった。草の向こうで枝か何かが折れた音が一度だけし、そのあと静かになったという。街道の左右は完全な森ではないが、人が身を隠そうと思えば隠れられる高さの草が続いている。


「動物じゃない?」


「かもしれない。でも、風と逆に動いた」


 アレンは腰の剣へ手を伸ばさなかった。突然武器を構えれば、ただの旅人まで警戒させる。代わりに周囲の人影を確認する。前方には荷車が一台。後ろには誰も見えない。


「次に人がいる場所までどのくらい?」


「二十分くらい。小さい茶屋がある」


「そこまで普通に歩こう」


「同意」


 二人は速度を変えなかった。会話も途切れさせず、表面上は何も起きていないように歩き続ける。


「王都に着いたら最初にどこ行く?」


「宿」


「やっぱり仕事目線じゃん」


「寝る場所が先だろ」


「それはそうだけど」


 そんな会話をしながらも、アレンの意識は背後と左右へ向いていた。草が擦れる音のすべてを人の動きだと思えば、警戒の意味がなくなる。はっきりした異変だけを見る必要があった。


 茶屋の屋根が遠くに見え始めた頃、街道脇の土に新しい跡があることにカイが気づいた。人の靴跡だった。本道から草地へ入り、しばらく街道と並行するように続いている。


「さっきの音、これかも」


 カイは立ち止まらず、歩きながら横目だけで確認した。


「戻ってくる跡は?」


「見えない」


「僕たちより先に出た誰かかもしれない」


「それならいい」


 同じ言葉が何度も繰り返される。それでも二人とも、もう偶然だと片づける気にはなれなかった。


 茶屋には人間の夫婦と二人の商人がいて、街道からも中の様子がよく見えた。二人はそこで水を買い、店主へこの辺りで灰色の外套を着た旅人を見なかったかと尋ねた。


「灰色? 朝なら何人か通ったが、今の時間は知らんな」


「一人で歩いてる人です」


「十五分くらい前に一人来たぞ。水も買わず、王都の方角を聞いてすぐ行った」


 アレンとカイは顔を見合わせた。


「顔、見ました?」


「布で隠してたな。日差し避けじゃないか?」


「どっちへ?」


「王都の方だよ」


 分岐で先へ行った旅人が同じ道を進んでいる可能性はある。それだけなら、目的地が同じだけだった。


 二人は短く休んでから茶屋を出た。ここから宿場までは一本道に近い。カイは荷物を背負い直し、少しだけ声を落とす。


「宿場に着いたら、配達先の店から警備に話す」


「この程度でも?」


「襲われてからじゃ遅い」


「それもそうだね」


 夕方が近づき、街道へ伸びる影が長くなり始めた。二人の背後にも木々の影が重なり、風に揺れるたび形を変える。


 宿場の外壁がようやく見え始めたとき、前方の道端に灰色の外套が落ちていた。人の姿はなく、外套だけが街道の端へ無造作に落ちているように見える。泥もほとんどついておらず、脱いでから長い時間は経っていないらしい。


 アレンとカイは数歩手前で止まり、近づかずに周囲を確認した。


「同じやつだと思う?」


「色は同じ」


「中に何かある?」


「触るな」


「触らないよ」


 カイは耳を動かし、周囲の音を探った。草原の風、遠くを走る荷車、鳥の声。それ以外は聞こえないようだった。


 アレンは外套の向こうへ視線を向けた。街道脇の草が一か所だけ倒れ、細い獣道のような隙間が奥へ続いている。そこへ入るつもりはなかった。昨日までの経験で、怪しいものを見つけたからといって一人で追う危険は十分に学んでいる。


「宿場まで行こう」


「そうだな」


 二人は外套から距離を取り、そのまま歩き始めた。数十歩進んだところで、アレンは背中に視線を感じて振り返った。外套はまだ道端にある。草も揺れていない。それでも、さらに奥の低い丘の影に、ほんの一瞬だけ人のような黒い形が見えた気がした。


 瞬きをした次のときには、もう何もいなかった。


「見えた?」


「何かいた気がする」


 カイは振り返ったまま数秒黙り、それから前へ向き直った。


「宿場まで行く。そこで警備に話す」


「うん」


 二人は歩調を少しだけ速めた。背後から追ってくる足音はない。それでも、村を出てから感じていた気配だけは消えていなかった。


 誰が追っているのか。本当に旧九番倉庫の事件と関係があるのか。答えはまだ分からないまま、夕暮れの街道には二人の影だけが長く伸びていた。

ここまで読んでくださり、そして『セイクリッドボーン』を応援してくださって、本当にありがとうございます。

もし物語を楽しんでいただけましたら、ぜひブックマークと5つ星の評価で応援していただけると嬉しいです。

皆さんからの応援は、これからも物語を書き続けていくうえで大きな励みになります。

いつも本当にありがとうございます。これからも『セイクリッドボーン』をよろしくお願いいたします!

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