第三章 第十四話 地下の檻
旧荷捌き場の一部が封鎖されたあとも、調査はその日のうちには終わらなかった。見つかった紙片は水と泥で傷んでいたが、警備隊は残った文字を一つずつ写し取り、相談所が保管している失踪や契約トラブルの記録と照合していた。アレンは一度水鐘亭へ戻るよう言われたものの、夕方前には再び詰所へ呼ばれた。
机の上には、二本線と輪の札、フィアから提出された同じ印の札、そして排水溝から見つかった「年齢」「状態」「引渡額」の紙片が並んでいた。デイルはその横へ古い村の図面を広げ、倉庫街から旧荷捌き場までを指でなぞった。
「少し妙なものが出た」
「何ですか?」
「この辺りだ」
指先が止まったのは、旧荷捌き場の西端にある三棟の古い倉庫だった。現在の地図ではただの倉庫として描かれているが、十数年前の図面には地下へ下りる階段と、小さな保冷庫が記されている。
「昔は肉や薬草を一時保管するために使ってたらしい。新しい市場ができたあと閉鎖されて、地下区画も使われなくなったことになってる」
「今の図面にはないんですか?」
「ない。埋めたことになってる」
デイルは別の紙を重ねた。現在の建物配置では、地下への入口があった場所の上に倉庫の床がそのまま伸びている。
「けど、完全に埋めた記録が見つからない」
そこへ相談所の職員と一緒にフィアが入ってきた。昨日より顔色は落ち着いているものの、翼の付け根にはまだ包帯が巻かれている。彼女は図面を見ると、しばらく黙ってから古い倉庫の一つを指した。
「この建物……見たことがあるかもしれない」
「中に入った?」
「違う。仕事を紹介してきた男と話したとき、荷物を運ぶ場所の説明で『下へ降ろすだけだから楽だ』って言ってたの。何のことか分からなかったけど」
「下?」
「地下とは言ってなかった。でも、『階段が狭いから大きい荷物はない』って」
それだけで地下区画が使われていると決めることはできない。それでも古い図面、失踪者、無登録の荷役札、そして「下へ降ろす」という説明が同じ場所へ集まり始めていた。
デイルはすぐに倉庫の所有記録を確認させた。三棟のうち二棟は正規の商会が借り、昼間も普通に使われている。残る一棟――旧九番倉庫だけが、半年前から名義の異なる短期契約を繰り返していた。借主の名前は毎回違うにもかかわらず、保証金を支払った窓口は同じだった。
「十五番じゃないんだ」
アレンが呟くと、デイルは頷いた。
「疑わしい場所と、証拠が向いてる場所は別だ。十五番は十五番で調べる。今は九番だ」
その言葉にアレンも頷いた。最初に十五番倉庫を見た印象だけで決めつけなかったことが、ここでようやく意味を持った。
警備隊は日が落ちる前に旧九番倉庫を確認することを決めた。アレンは同行を求められたわけではなかったが、昨夜の襲撃者の顔を見ているため、外から出入りする者を確認する役目だけ頼まれた。カイも旧荷捌き場の構造を知っている者として呼ばれ、二人とも倉庫へ入るのではなく、向かいの空き事務所から入口を見ることになった。
「勝手に動くなよ」
「分かってます」
「昨日も聞いた」
「昨日は本当に勝手に動いてない」
「なら今日もそうしろ」
デイルはそう言い残し、三人の警備員を連れて旧九番倉庫へ向かった。
建物は外から見れば何の変哲もなかった。灰色の石壁、広い両開きの扉、荷車を寄せるための低い台。窓は高い位置に二つだけあり、中の様子はほとんど見えない。昼間なら荷物を置く古い倉庫にしか見えなかっただろう。
アレンとカイは向かいの事務所で待った。しばらくして、倉庫の正面扉が開き、デイルたちが中へ入る。表で揉める声は聞こえない。許可証を見せ、通常の立入確認として入ったらしい。
「地下、本当に残ってると思う?」
アレンが小声で尋ねると、カイは窓から目を離さず答えた。
「分からない。でも、あの辺の地面は昔から空洞が多い。全部埋めるなら相当な工事になる」
「見たことある?」
「入口はない。運び屋が使うのは地上だけだ」
十分ほど経っても変化はなかった。やがて倉庫の裏側から警備員が一人出てきて、事務所へ走ってくる。
「デイルからだ。二人とも来てくれ。ただし指示した場所以外に触るな」
倉庫の中は薄暗く、乾いた木と古い麻袋の匂いがした。壁際には箱が積まれているが、数は少なく、広い床の大半が空いている。正面だけを見れば、短期の荷物置き場として不自然ではなかった。
デイルは最奥の床板の前に立っていた。そこだけ新しい箱が横一列に積まれている。箱を退けると、床には大きな鉄板がはめ込まれていた。
「古い図面だと、階段はこの下だ」
鉄板には持ち手がなく、床と同じ色の泥が薄く塗られていた。だが端をよく見ると、何度も動かされたような擦れがある。
「これ、最近使ってる」
カイがしゃがまずに目だけで確認した。
「荷物を引きずった跡が新しい」
警備員が工具を差し込み、鉄板を少し持ち上げた。下から冷たい空気が漏れ、湿った土と古い木の匂いが混じって上がってくる。完全に開くと、図面通りの石段が暗闇へ続いており、埋められたことになっていた地下への道が今もそのまま残っていることが明らかになった。
デイルはアレンとカイへその場で待つよう指示し、灯りを持った二人の警備員と先に下りた。だが数分後、すぐに一人が戻ってきた。
「途中で道が二つあります。左は崩落。右は奥まで続いてる。床に新しい足跡があります」
デイルは追加の警備員を呼ぶよう命じた。その間、倉庫の外では何も起きていない。誰かが逃げ出す気配もなく、建物を使っている者が今ここにいるのかさえ分からなかった。
増援が到着すると、アレンとカイも地下へ下りることになった。ただし最後尾で、前へ出ないことが条件だった。途中に積み荷の印や運搬用の札があれば、カイが正規のものか見分けられる可能性があり、襲撃者がいればアレンが顔を確認できるからだった。
石段は思っていたより深かった。地上の音は十数段も下りるとほとんど消え、灯りが照らす範囲だけが湿った石壁の中に浮かび上がる。左の通路は確かに崩れていたが、右側には人が通った跡があり、床の泥には靴跡が重なり、壁の金具には新しい縄の擦れが残っていた。
さらに進むと、古い保冷庫だったらしい広い部屋へ出た。中には空の木箱、壊れた椅子、使い終えた水差しが残されている。隅には薄い毛布が数枚重ねられ、床には乾ききっていない食べ物の欠片が落ちていた。
「ここ、誰かいた」
アレンが声を落とすと、デイルは毛布へ触れず、別の警備員に記録を取らせながら短く答えた。
「最近までな」
部屋の奥には、さらに細い通路が続いていた。そこで鉄が擦れるような小さな音が聞こえ、全員の足が同時に止まった。息を潜めて待っていると、もう一度同じ音が響き、その直後には誰かの咳まで聞こえてくる。デイルが灯りを絞って前の二人へ合図を送り、アレンも呼吸を抑えた。通路の先には弱い明かりがあり、間違いなく誰かがいる。
壁沿いに進み、角から覗いた先には、もう一段広い地下空間があった。最初に見えた鉄格子は一つではなく、石壁に沿って四つの檻が並んでいる。その中には人間の男が二人、犬人の女性が一人、鱗の色からリザードマンだと分かる若い男が一人、さらに奥の檻には毛布を肩まで掛けられたエルフの女性と小柄なゴブリンの男が閉じ込められていた。全員が生きていたが、立っている者は少なく、ほとんどが壁や格子へ身体を預けている。
アレンは息を呑み、手前から二番目の檻へ目を止めた。そこには茶色い髪の若い人間の男がいて、灰色の上着こそ着ていないものの、年齢も顔立ちも白樹亭で聞いた特徴と一致していた。
「ノエル……?」
声に反応した男がゆっくり顔を上げ、焦点の合いきらない目をこちらへ向ける。
「……誰だ」
掠れた声を聞いたデイルはすぐに口元へ指を当て、静かにするよう合図した。救出したい気持ちは誰にでもあったが、檻の向こうにはさらに扉があり、その先から少なくとも二人分の話し声と足音が聞こえている。ここで騒げば、奥にいる者が人質へ何をするか分からなかった。
警備員の一人が格子の錠を確認した。太い鉄製で、外から鍵を使わなければ簡単には開かず、壊そうとすれば大きな音が出る。デイルは指で確認できた人数を示し、ノエルを含む六人が地下で拘束されていることを全員へ伝えた。
さらに奥から男の声がした。
「今夜の便、予定通りだ。三人だけ先に上げろ」
「残りは?」
「明日だ。買い手がまだ決めてない」
その言葉を聞いた瞬間、アレンの背中を冷たい感覚が走った。フィアが見た「引渡額」、旧荷捌き場で使われていた二本線と輪の札、荷物を残して消えた旅人たち。それまで別々に集まっていた証拠が、目の前の檻と「買い手」という言葉によって一本の線につながっていく。
カイの耳が低く伏せられ、拳が強く握られた。それでも誰も飛び出さなかった。今ここで感情のまま動けば、六人全員を危険に晒す。
デイルは周囲へ届かないほど小さな声で告げた。
「一度戻る。出口を押さえて、人数を揃える。檻の鍵も必要だ」
アレンはノエルたちへもう一度視線を向けた。助けを求める声すら上げられないほど疲れている者もいる。それでも、見つけたからといって今すぐ剣を振ればいいわけではない。全員を生かしたまま連れ出すために、ここでは一度退く必要がある。
アレンたちが足音を立てないよう来た道へ戻ろうとした、そのとき、遠く地上の方から重い車輪の音が響いた。一台だけではなく、複数の荷車が次々と旧九番倉庫の前へ入ってくるような音だった。
地下の奥で男が笑った。
「迎えが来たな」
予定していたより早く状況が動き始めたことを悟り、デイルの表情が変わる。檻の中の六人を残したまま引き返すための時間は、もうほとんど残されていなかった。
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