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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第二章 森を越える者
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第二章 第十六話 森に残された人々

草原へ戻った頃には、日の光はすでに西へ傾き始めていた。森の縁を抜けた瞬間、頭上を覆っていた枝葉が途切れ、五人の前へ広い空と風が戻ってきたが、誰も解放されたような声を上げることはなかった。帰路の目印が一つ消えていたことも、そのあと背後で何度か枝が揺れたことも、正体を確かめられないまま持ち帰るしかなかったからだった。


 ガレムは広場で五人を待っていた。セイルも治療役に付き添われて少し離れた場所にいたが、まず報告を終えるまで近づかず、ロアたちが地図の周囲へ集まるのを見守っている。


「順番に聞く。見たものと、考えたことは分けろ」


 ミラが木札を広げ、ヴァロが進んだ距離と残した布の数を説明した。アレンは森の中で確認した二種類の靴跡について話し、片方はセイルの事件地点に残っていた踵の欠けた跡と特徴が一致しているが、同一人物だと断定できるものではないことを改めて伝える。


 続いて、普通ならあまりケンタウロスが入らない深さで見つけた蹄跡、森の左右から聞こえた音、裏返った葉や新しい樹皮の擦れ、飛び立った鳥、そして帰路の白い布が一枚だけ消えていたことを報告した。ガレムは途中で結論を挟まず、一つずつミラの記録と照らし合わせてから、最後に消えた布について問い直した。ヴァロは結び目のあった幹を思い返すように一度目を伏せ、それから記憶している状態をそのまま答えた。


「切れた跡は?」


「見つからなかった。結んだ場所に短い糸だけ残ってた」


「地面には?」


「布そのものはなかった」


「なら、人が外したと決めるな。だが明日は同じ方法だけには頼らない」


 ガレムはそう言い、帰路の印を二種類に増やすことを決めた。布だけではなく、木を傷つけないよう地面へ小石を三つ並べる印を一定間隔で残し、進んだ距離と方向もミラの木札へ細かく記録する。誰かが一つを消しても、もう一つまで同じように変えられなければ帰路を確認できるようにするためだった。


「明日も行くの?」


 少し離れた場所からセイルが尋ねた。ガレムは曖昧にせず、今日見つけた足跡がさらに奥へ続いている以上、少なくとも次の区間までは確認するつもりだと答える。


「ただし、誰かに見られていた可能性がある。明日は今日より慎重に入る」


「俺も――」


「行かない」


 ロアが先に言い切った。セイルがむっとした顔を向けたが、右前脚を見たロアの表情は変わらない。


「まだまともに走れないだろ」


「森なら誰も走れないって言ってたじゃん」


「そういう問題じゃない」


 セイルは反論しかけたものの、治療役の女性に肩へ手を置かれると口を閉じた。怪我が治っていないことは本人も分かっており、置いていかれる悔しさと無理をしてはいけないことの間で、しばらく耳だけを伏せていた。


 アレンはその様子を見ながら、明日森へ戻ることを自分の中でも確かめた。見えない相手を追いかけたいからではなく、二種類の足跡がまだ続いており、失踪した三人が森へ入った可能性を確かめるために必要な範囲が残っているからだった。


     ◇


 翌朝、五人は再び東の森へ向かった。編成は昨日と同じくヴァロ、ネア、アレン、ミラ、ロアの五人で、ガレムは草原に残り、戻らない場合の捜索開始時刻と森の入口で待つ者たちを決めていた。


 昨日の入口へ着くと、五人はまず最初の布と石の印を確認した。新しく置いたものではなく昨日残した布だけだったが、入口に近い数枚には変化がなく、結び目も同じ向きで残っている。


「昨日なくなったのは、もっと奥だけだったな」


「そうだ。だから入口が安全だとも決めるな」


 ヴァロはロアへ答え、森へ入った。昨日と同じ順番を基本にしつつ、アレンとミラが後方の変化も確認できるよう、一定距離ごとに位置を入れ替えることにする。


 森の中は昨日とほとんど変わらないように見えた。湿った落ち葉、重なった根、低い枝、風を細かく分断する樹木が続き、少し進むだけでも草原より多くの時間が掛かる。それでも二度目というだけで、どの倒木を避け、どの根の間を通ったのかは前日より思い出しやすかった。


 最初の布へ着くたび、ミラが記録を確認し、ヴァロが地面へ三つの小石を並べた。目印を残したあとには後方から見た形まで確かめ、帰るときに別のものと見間違えないようにする。


 昨日布が消えていた木へ近づく頃には、全員の声が自然に減っていた。ヴァロが結び直した白い布はそのまま残っており、地面にも新しい異常は見つからない。


「今日はある」


「あるから何もいなかった、とはならないけどな」


 ロアが答えると、アレンは頷いた。昨日のことが偶然だった可能性も残っており、一度目印が無事だっただけで何かを証明できるわけではなかった。


 さらに奥へ入り、昨日引き返した場所まで着くと、踵の欠けた靴跡が再び見つかった。横線を持つもう一種類の跡も少し離れた湿地へ残り、二つとも前日より東へ伸びている。


「ここから先は昨日見てない」


 ミラが記録を確かめると、ヴァロは全員へ周囲を見るよう促した。ここからは帰路だけでなく、前日のように左右や後方で動くものがないかも同時に確かめながら進むことになる。


     ◇


 森はさらに深くなったが、足跡は完全には消えなかった。二種類の人間の靴跡が柔らかい場所を選ぶように残っている一方、その近くでは何度か蹄の跡も見つかるようになった。


 最初の蹄跡は一つだけだった。次は二つ並び、そのさらに先には前脚と後脚が同じ方向へ進んだと分かる形が残っている。ネアはその並びを慎重に見比べ、ようやく一人分の連続した痕跡として扱えると判断した。


「これなら、一人分は確実にいる」


「いつの跡かは?」


「昨日見たものより崩れてる。でも、何日も前かどうかまでは分からない」


 ロアは跡の向こうへ視線を送ったが、勝手には進まなかった。失踪した三人の誰かだと思いたい気持ちは表情に出ていたものの、ここまでの調査で、似ていることを証拠に変えてはいけないと学んでいる。


 少し先では、森の様子そのものに初めて明確な人の手が見つかった。細い二本の木の間から低い枝が切り落とされ、ケンタウロス一人が身体を通せるほどの幅だけが不自然に空いている。


「自然じゃないな」


 ヴァロは切り口を確認した。刃物で何度か削った跡があり、折れた枝ではなく意図的に取り除かれている。


 その通路へすぐ入らず、五人は周囲を調べた。入口の土には踵の欠けた靴跡と横線を持つ靴跡が残り、少し離れた場所には蹄跡も重なっている。


「通した?」


「誰を、とはまだ言えない」


 ミラは答えながら記録する。だが、ケンタウロスが通れる幅で枝を取り除いた場所と、人間の足跡、蹄跡が同じ地点へ集まっているという事実は、それぞれ別々に残した。


 通路の先へ進むと、地面は緩やかに下り始めた。木々がさらに密集し、外から見れば何もない森にしか見えない場所だったが、その奥には踏み固められた細い道が続いている。先を歩いていたネアがやがて急に手を上げ、全員を止めると、鼻先を僅かに上げて空気を確かめた。


「煙の匂いがする」


 アレンも息を浅く吸った。焚き火のような強い匂いではなく、濡れた木を燃やしたあとに残る薄い灰の匂いが、森の湿気へ僅かに混じっている。


「火は使わないって決めてる」


「俺たちのじゃない」


 ロアの声が低くなった。五人はそれ以上大きな声を出さず、ヴァロの合図で進む間隔を縮めた。


     ◇


 最初に見つかったのは、木へ打ち込まれた鉄の輪だった。古い森には似合わない人工物が地面から低い位置に取り付けられ、その周囲の樹皮には何度も革や縄が擦れた跡が残っている。


 さらに数歩先には同じ輪がもう二つあった。高さはいずれもケンタウロスの脚へ縄を掛ければ固定しやすい位置で、地面には古く乾いた血の跡と、蹄が何度も土を掻いたような深い傷が残っている。


 アレンの喉が僅かに固くなった。道に置かれていた罠とは違い、ここは誰かを捕まえるために一度だけ使った場所ではなく、捕らえたあとで留めておくための場所に見えた。


「これ……何人分だ」


「まだ数えるな」


 ミラは声を抑えながら言った。しかし彼女自身も表情を強張らせ、木々の間へ続く同じ高さの輪を一つずつ確認している。


 五人は音を立てないよう進み、やがて低い斜面の向こうへ伏せるように身を寄せた。そこから先だけ樹木が少し開け、小さな窪地のような場所が見える。


 窪地の中央には火を消した跡があり、その周囲に切った枝を重ねただけの簡素な屋根が三つ並んでいた。端には水桶と食料らしい袋、何本もの革紐、そして人が寝起きした跡がある。


 だが、アレンの視線はそこでは止まらなかった。さらに奥の木々には何人もの姿が繋がれており、暗い森の中で初めて、探していたものが痕跡ではなく生きた人の姿として現れていた。


 最初に見えたのはケンタウロスだった。身体を横たえるほど弱ってはいないものの、四本の脚には低い位置で革紐が掛けられ、走れないよう前脚と後脚の動ける範囲を狭められている。その隣にも別のケンタウロスがおり、少し離れた木の陰には三人目の馬体が見えた。


 ロアが息を呑んだ。声を出しかけた口を自分で閉じ、木の陰から一歩も前へ出ない。


 三人だけではなかった。反対側には人間の男が一人、両手を前で縛られたまま木へ背を預け、その近くには短い耳と灰褐色の毛を持つ獣人の女性が座り込んでいる。どちらも武器や荷物を持っておらず、衣服には泥と擦れた跡が残っていた。


「……三人ともいる」


 ロアの声はほとんど息だけだった。草原から失踪した三人の特徴を知っている彼には、遠目でも見間違えようがなかったらしい。ミラはその確信をそのまま記録へ変える前に、もう一度ロアへ確認を求めた。


「確認できる?」


「できる。南で消えた奴も、北東の二人もいる」


 ようやく失踪した三人の行方だけは確定した。だが、その事実と同時に、ケンタウロス以外にも捕らえられた者がいることで、この場所が三人だけを狙って偶然作られたものではないことも見えてきた。


 アレンは窪地全体へ視線を巡らせた。屋根は何日か使える程度に作られ、水桶にはまだ水が残り、灰の中には完全に冷えていない黒い炭が混じっている。誰かがここを使っていたのは遠い過去ではなく、少なくとも最近まで人が出入りしていた。


「見張りは?」


 ネアは窪地の左右から木々の上まで順番に視線を走らせたが、すぐには何も見つけられなかった。見える範囲には武器を持った者の姿も、こちらを監視していると断定できる影もない。


「見えない」


「だからいないとは限らない」


 ヴァロは全員へその場を動かないよう示した。捕らわれた者を見つけたからといって、五人だけで一気に窪地へ降りれば、これまで森の中で感じていた見えない相手の思うままになる可能性がある。


 ロアは歯を食いしばりながらも留まった。仲間が目の前にいるにもかかわらず、単独で飛び出さないという判断を守っている。


「助ける」


「助ける。ただし、全員で帰る方法を決めてからだ」


 ヴァロの返事にロアは一度だけ頷いた。アレンも剣へ手を伸ばさず、まず捕らわれた者たちの位置、拘束の数、窪地から外へ出られる道を目で確認する。


 森に残されていたのは、探していた三人だけではなかった。道へ仕掛けられた罠、向きを変えられた道標、ケンタウロスの身体に合わせて切り開かれた通路、何度も使われた拘束具、そして別の場所から連れてこられたらしい人々が、ここまで別々だった痕跡を一つの場所へ集めていた。


 それでも、誰がこれを行っているのかはまだ見えなかった。五人は捕らわれた人々のすぐ近くまで辿り着きながら、森のどこかにいるかもしれない相手へ自分たちの存在を悟らせないよう、斜面の影から動かずに次の一手を考え始めた。

ここまで読んでくださり、そして『セイクリッドボーン』を応援してくださって、本当にありがとうございます。

もし物語を楽しんでいただけましたら、ぜひブックマークと5つ星の評価で応援していただけると嬉しいです。

皆さんからの応援は、これからも物語を書き続けていくうえで大きな励みになります。

いつも本当にありがとうございます。これからも『セイクリッドボーン』をよろしくお願いいたします!

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