第二章 第十話 旅人への疑い
草原の中心へ近づくにつれ、アレンへ向けられる視線は増えていった。セイルの帰還に気づいた者たちは安堵の声を上げる一方、その隣を歩く人間の姿を見ると表情を変えた。ロアたちが前後を固めていることからも、アレンが歓迎された客としてここへ連れてこられたわけではないことは明らかだった。
円形広場の手前で、灰色の馬体を持つ年配の女性がセイルへ休むよう促した。北側には壁を大きく開いた横長の治療用の建物があり、セイルはそこへ運ばれることになったが、アレンが続こうとするとロアが進路へ身体を入れた。
「お前はこっちだ」
「セイルと一緒じゃなくていいのか?」
「治療する場所に、信用してない人間まで入れる理由はない」
言い方は冷たかったが、ロアは武器へ手を伸ばしていなかった。アレンも、セイルが仲間のもとで治療を受けられるなら、自分まで中へ入る必要はないと判断した。
「アレン」
呼ばれて振り返ると、二人に支えられたセイルがこちらを見ていた。疲労は残っているものの、仲間の中へ戻れたことで、昨日までの孤立した不安は少し薄れているように見える。
「俺が話すから」
「分かった。無理して動くなよ」
「それ、また命令みたいに聞こえる」
「じゃあ、動くかどうかは自分で決めてくれ。ただ、痛そうだとは思ってる」
セイルは一瞬目を丸くし、それから小さく鼻を鳴らした。年配の女性が「話はあとだよ」と促すと、今度こそ治療所へ入っていく。
アレンはロアに案内され、広場の反対側にある長い屋根の建物へ向かった。周囲ではケンタウロスたちが距離を取りながらこちらを見ており、ラークホロウの季節市で珍しがられたときとは違う、明確な警戒を向けられていることが分かった。
◇
建物の内部には、中央を大きく空けるように低い机が並び、人間向けの椅子はほとんどなかった。アレンだけが使えるよう壁際から背の高い椅子を一つ出され、それがかえって、自分だけ身体の形が違うことを強く意識させた。
正面には三人のケンタウロスが並んだ。中央は赤褐色の馬体と短い白髪を持つ壮年の男、右にはロア、左には黒い馬体の女性が立っている。壮年の男はアレンの剣と荷物を一度確認してから、落ち着いた声で名を尋ねた。
「名前を聞こう」
「アレン・ヴェイレンです。ラークホロウから旅に出て、サルダを通って東へ来ました」
「私はガレム。この草原で道と、外から来る者の確認を任されている。セイルを連れ戻したことだけで、お前を信用するつもりはない」
「分かっています」
「なら、見たことだけを話せ。推測は分けろ」
それはアレン自身がサルダを出てから意識してきたことと同じだった。余計な説明や自分なりの結論を加えず、街道で実際に見つけたものから順番に話すことにした。
「街道の左側で草が不自然に倒れている場所を見つけました。人間の靴跡が二種類、乱れた四つの蹄跡、それから血がありました。草地へ入った先には千切れた革紐があって、さらに奥でセイルを見つけました」
「革紐は持ってきたか?」
「触っていません。何に使われた物か分からなかったので、位置を変えない方がいいと思いました」
黒い馬体の女性はアレンの返答を聞き、机の上へ視線を落とした。証拠を持ち帰らなかったことを責める様子はなく、代わりに場所を覚えているかを尋ねる。
「場所は覚えている?」
「紙に残してあります。街道から外れた位置と、近くにあった特徴のある石も書きました」
アレンはガレムの許可を得てから記録を取り出した。ロアが先に目を通し、何も言わずガレムへ渡す。
「どうして追った」
「血が新しかったからです。ただ、森まで入るつもりはありませんでした。すぐ近くに怪我人がいないかだけ確かめるつもりでした」
「一人で血痕を追うのが危険だとは思わなかったのか?」
「思いました。戻れる位置を記録して、街道が分からなくなる前に止まるつもりでした」
「それでも進んだ」
「はい」
ガレムはしばらくアレンを見つめた。正しい判断だったと認める様子も、すぐに責める様子もなく、続けてセイルを見つけたあとの行動を尋ねる。
「最初は近づくなと言われました。水を置いて、許可をもらってから右前脚を手当てしました。ほかの脚にも擦れた跡がありましたが、何があったのかは無理に聞いていません」
「なぜ聞かなかった」
「聞かれること自体を怖がっていたからです。本人が話していいと思ったときに聞くべきだと思いました」
ロアの耳が僅かに動いたが、何も言わなかった。黒い馬体の女性はアレンへ視線を向け、自分と同じ人間を疑うことに抵抗はないのかと尋ねる。
「見ていない相手を、同じ種族だから庇う理由はありません」
「人間だったことしか分からない、と?」
「はい。誰なのかも、何のためにいたのかも見ていません」
女性はその答えを聞いても表情を緩めなかった。それでも同じ問いを重ねることはせず、ガレムも次の確認へ進んだ。
◇
しばらくすると入口の外が騒がしくなり、治療を終えたセイルが年配の女性に付き添われて姿を見せた。右前脚には新しい布が巻かれ、添え木も身体に合う形へ直されている。低い支え台へ馬体の一部を預けながら室内へ入ってくる姿を見て、ロアが眉を寄せた。
「休んでいろと言っただろ」
「俺の話なのに、俺がいないところで決めるな」
セイルはすぐに言い返した。自分についての話を、自分がいない場所で進められることの方が嫌なのだろう。
ガレムは追い返さず、年配の女性へ短く確認した。彼女が「脚へ体重を掛けなければ短時間なら」と答えると、今度はセイル自身に残るかどうかを決めさせる。
「セイル。言える範囲でいい。何があった」
セイルはしばらく黙り、自分の脚を見ながら口を開いた。アレンを追い出すよう求めることはなく、途切れ途切れに、自分が覚えていることだけを話し始める。
「草が低い場所で、道を聞かれた。人間だった」
室内の空気が僅かに変わった。ロアの顎が強張り、黒い馬体の女性も耳を前へ向ける。
「何人だ」
「二人は見た。でも、ほかにいたかは分からない」
「そのあと?」
「近づいてきて……脚を止められた。どうやったかは、今は話したくない」
「分かった。顔は覚えているか?」
「一人は。もう一人はよく見てない」
「それはあとで、話せるときに聞く」
ガレムは方法まで求めず、セイルも小さく頷いた。そこでロアが、どうして一人でそこまで行ったのかを尋ねる。
「南の走路から戻る途中だった。別に遠くへ行ってない」
「じゃあ、向こうから入ってきたのか」
「たぶん」
黒い馬体の女性はその答えを聞いて表情を曇らせた。「また外側か」と小さく呟いたが、アレンはその意味を勝手に決めず、質問も挟まなかった。
ガレムは改めて、アレンが無理に何かを聞いたか、身体へ勝手に触れたか、ここへ戻ると決めたのは誰かをセイルへ確認した。セイルは一つずつ、「嫌だと言えば止めた」「触る前に聞いた」「帰ると決めたのは俺」と答えた。
「分かった。少なくとも、セイルが戻るまでの間にアレンがしたことについては、本人の話と大きな食い違いはない」
そう認めたあとも、ガレムは警戒を解かなかった。セイルを助けたことと、アレンが何者なのか、ほかの人間が何をしているのかは別の問題だと告げる。
「もう少しだけここにいてもらう。拘束はしないが、勝手に草原を出歩くのはやめてくれ」
「それで構いません」
アレンには急いで先へ進む理由もなかった。疑われたまま勝手に立ち去れば、かえってセイルの説明まで疑われる可能性がある。
◇
セイルが治療所へ戻ったあと、室内にはアレン、ガレム、ロア、黒い馬体の女性が残った。ガレムは机の上の記録を見直してから、女性へ声を掛ける。
「ミラ。今朝の確認分を」
ミラは腰の袋から細い木札を三枚取り出した。それぞれに短い線と印が刻まれており、アレンには意味を読み取れない。
「南の走路から一人。北東の水場から二人。戻っていない」
「今日だけで三人?」
「今日の確認で三人。でも、いなくなった日まで同じとは限らない」
「前からあるのか?」
「ここ十日ほどで、若い者が何人か帰っていない」
ガレムは、全員が同じ場所で消えたわけではなく、遅れて戻る可能性もあったため、最初から一つの事件だとは決めつけていなかったと説明した。セイルも昨日の夕方になっても戻らず、今朝には捜索を増やす予定だったとロアが付け加える。
「失踪した人たちにも、同じような怪我が?」
「戻っていないから分からない」
ミラの答えに、アレンはそれ以上共通点を尋ねなかった。分かっていないものを無理につなげれば、サルダで噂と事実を分けようとした意味がなくなる。
「街道で見つけた人間の足跡が、失踪と関係あるかはまだ分からない」
ガレムはそう前置きしたうえで、セイルが人間二人に近づかれ、逃げたと話した以上、以前より警戒を強める理由にはなると告げた。外から来た人間であるアレンも、その警戒の外には置けない。
「何をすればいいですか」
「今は何もしなくていい。疑いを晴らそうとして勝手に動かれる方が困る」
「分かりました」
「今日は指定した場所で休んでくれ。それと、セイルの話を勝手に広めないこと。どこまで話すかは、あの子自身に決めさせる」
「約束します」
ガレムはその返事に僅かに表情を緩めたが、歓迎の笑みにはならなかった。アレンも信頼を得たとは考えず、決められた範囲に従うことにした。
◇
アレンに用意されたのは、広場の外れにある来客用の小さな建物だった。内部には背の低い寝台と水差しだけが置かれ、入口の外では二人のケンタウロスが交代で周囲を通っている。見張られていることは明らかだったが、剣も荷物も取り上げられてはいなかった。
荷物を下ろしたアレンは、壁の大きな開口部から草原を眺めた。遠くの走路では変わらず何人ものケンタウロスが駆けている一方、広場の周辺ではセイルが戻ったという話が広がっているのか、集まって言葉を交わす者が増えている。
疑われることに腹が立たないわけではなかった。それでも、若い者が何人も戻らず、その一人であるセイルが人間に近づかれたと証言した直後なら、知らない人間を何も聞かず信用できない理由も理解できる。
だからといって、人間がすべての失踪に関わっていると決まったわけではない。セイルが見た二人とほかの失踪者が繋がっているのか、街道の靴跡が何を意味するのかも、まだ確定していなかった。
アレンは低い台へ紙を置き、今日聞いたことを『セイル――人間二人を見た』『失踪――ここ十日ほど、複数』『関連――未確認』と分けて書いた。最後に大きく『断定しない』と記し、自分が知っている範囲を越えて答えを作らないよう線を引いた。
夕方の風が草原を走り抜け、何本もの走路の草を同じ方向へ倒していく。アレンはここではセイルを助けた旅人であると同時に、疑われる側の人間でもあり、その二つの事実をどちらか一方だけに都合よく変えることはできなかった。
セイルを連れ戻したことで終わったと思っていた道の先には、まだ帰ってきていない者たちがいる。けれど、その者たちを捜すためにどの道を見るべきなのかも、何が彼らの移動を妨げたのかも、今のアレンにはまだ分からなかった。
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