第一章 第二話 七つの木像
七聖獣すべてに会いに行く――そう宣言した翌朝、アレン・ヴェイレンは見事に寝坊した。
窓から差し込む朝日はすでに寝台の半分を明るく照らし、ラークホロウの通りからは荷車の車輪が土を踏む音や、店を開ける村人たちの声が聞こえている。それでも七歳のアレンは毛布を胸まで引き上げ、昨夜とは打って変わって気持ちよさそうに眠り続けていた。寝台脇の小さな机には、エララが読み聞かせてくれた七聖獣の古い本が閉じられたまま置かれている。
「アレン」
扉の外からエララの声がした。
すぐには返事がない。
「朝よ」
「……起きてる」
数秒遅れて、毛布の中から頼りない声だけが返ってきた。
「そう。では、起きている人には朝食はいらないわね」
足音が遠ざかろうとした瞬間、毛布が勢いよく跳ね上がった。
「いる!」
アレンは四方へ髪を跳ねさせたまま飛び起きた。
数分後には寝間着から普段着へ着替え、一階の食卓へ駆け込んでいた。卓上には黒麦パン、焼いた卵、昨夜の残りを温めた豆と根菜のスープが並び、エララは向かいの席で薬草茶を飲んでいる。
「昨日、何て言っていたかしら」
「何が?」
「『絶対起きる』」
アレンは椅子へ座りながら少し考えた。
「起きたよ」
「太陽があそこまで昇ってからね」
「でも今日のうち」
「ずいぶん広い意味の『起きる』ね」
アレンは聞かなかったことにしてパンを手に取った。寝起きのぼんやりした表情はまだ残っていたが、数口食べる頃には昨夜の興奮が完全に戻ってきたらしい。
「お母さん、不死鳥ってどれくらい大きいと思う?」
「おはようの次がそれなの?」
「だって夢で見た」
「どんな不死鳥だった?」
「すっごく大きかった。家より大きくて、羽ばたいたら村全部が飛んでいきそうだった」
「それはグリフィンの夢と混ざってない?」
アレンはパンを齧りながら首を傾げた。
「不死鳥だよ。燃えてたから」
「夢の中でラークホロウは無事だった?」
「たぶん」
「随分頼りないわね」
それからも朝食が終わるまで、話題の大半は七聖獣だった。グリフィンの背中へ乗ることはできるのか、ネラリスは村より長いのか、ウルリクムミは眠るときも岩の姿なのか。エララが「分からない」と答えても、アレンはそこで質問をやめず、自分なりの答えを考え始める。そのため会話はほとんど途切れなかった。
食事を片づける頃には、七聖獣はもうアレンの中で遠い神話の登場人物ではなく、いつか本当に探しに行く相手へ変わっていた。
二人が買い物のため家を出ると、ラークホロウはすっかり一日の活動を始めていた。村の中央を通る街道では、人間の農夫が野菜を積んだ荷車を押し、その向かいでは犬人族の女性が店先へ木箱を並べている。少し離れた鍛冶場からは金属を打つ音が響き、扉の奥では大柄なゴブリンの職人が赤い炉の前を行き来していた。細い路地からは長い尾を揺らす猫人族の子供たちが駆け出し、その後ろから母親らしい女性が「走るなら人にぶつからないように!」と声を飛ばしている。
アレンにとっては、何度も見てきたいつもの村だった。それなのに昨夜、世界を創った七聖獣の話を聞いたばかりだからなのか、今日は少しだけ違って見える。人間も獣人もゴブリンもエルフも、この世界に生きる者は皆、あの七頭が形を与えた大地を歩き、その火を使い、その水を飲み、その風を受けて暮らしている。そう考えると、普段は何気なく踏んでいる石や、家々の間を抜けていく風にまで、昔話の続きを感じるような気がした。
そんなことを考えながら歩いていたアレンは、道端で急に足を止めた。
猫人族の少女が一人、家の前の低い段差へ腰掛けていた。年齢はアレンと同じくらいだろう。薄茶色の耳をときどき動かしながら、両手に収まる小さな木製の人形で遊んでいる。長い耳と丸い胴体を持つ兎らしい人形で、左右の形は完全には揃っていないものの、脚も顔もきちんと木から削り出されていた。
数歩先へ進んでいたエララが振り返る。
「どうしたの?」
「あれ」
「木の人形?」
「最初は、ただの木だったんだよね?」
「そうでしょうね」
アレンは少女の手元をじっと見つめた。今は兎にしか見えないものも、最初は何の形もない木片だったはずだ。その考えに行き着いた瞬間、琥珀金色の瞳が大きくなる。
「僕も作る」
「何を?」
「七聖獣」
エララが瞬きをする。
「七体も?」
「うん」
「まず一体から始めるという考えは?」
「でも七聖獣だから七体いる」
「それはそうだけれど」
アレンの中では、すでに決定事項になっているらしい。今度は周囲を見回しながら、すぐ次の問題へ移った。
「木、どこにある?」
「森にはたくさんあるわね」
「切ってくる?」
「七歳の子供に木を切らせるつもりはないわ」
「じゃあ枝」
「勝手に折らない」
「じゃあどうするの?」
エララは少し考えたあと、街道の先を指差した。
「ボルドさんの工房へ行ってみましょうか。家具を作ったあとに残った小さな端材なら、分けてもらえるかもしれないわ」
ボルドの木工房は村の西側、鍛冶場から少し離れたところにあった。扉を開ける前から鋸が木を切る音が聞こえ、建物の周囲には板材や丸太が用途ごとに積み上げられている。中へ入ると、乾いた木と樹脂の香りが一気に濃くなった。壁には鋸、鉋、鑿、槌といった大小様々な道具が整然と掛けられ、中央の作業台には製作途中の椅子が固定されている。
「ボルドさん」
エララが声を掛けると、作業台の向こうから低い返事が聞こえた。
「おう、少し待ってくれ」
姿を見せたのは、四十代ほどに見えるがっしりした人間の男だった。短く刈った褐色の髪には木屑がつき、右頬には古い切り傷が一本走っている。腕まくりした前腕は太く、長年道具を握ってきた手には硬い皮膚ができていた。その少し後ろでは若い猫人族の助手が板へ鉋を掛けており、黒い耳の片方へ木屑が乗っていることに本人はまだ気づいていないらしい。
ボルドは作業を一区切りつけると、二人の方へ歩いてきた。
「珍しいな。今日は椅子でも壊したか?」
「どうして最初から私たちが壊した前提なの?」
「この前アレンが納屋の踏み台を剣にしようとしてただろ」
「あれは剣じゃないよ」
アレンがすぐ反論する。
「盾」
「もっと悪いじゃねえか」
ボルドは声を上げて笑った。
「それで、今日は何だ?」
エララが答えるより先に、アレンが一歩前へ出る。
「木ほしい」
「随分直接的だな。家でも建てるのか?」
「七聖獣作る」
ボルドは一度黙り、アレンを見下ろした。
「……家より大変そうな話になったな」
事情を聞いたボルドは顎を撫でながら少し考えたあと、工房の隅に置かれた大きな籠へ向かった。中には家具や板材を切った際に出た小片、端が欠けたもの、節が多く大きな製品には使いにくい木などが大量に入っている。
「この辺は捨てる前の端材だ。好きなのを持っていっていいぞ。ただし、でかい刃物は触るなよ」
「小さい刃物なら?」
「それは母ちゃんと相談しろ」
「お母さん」
「私を見るのが早いわね」
エララは呆れたように返したが、完全に反対するつもりはないらしい。
アレンは籠の前へしゃがみ込んだ。同じように見える木片も、近くで見ると一つずつ違っている。淡い色のもの、少し赤みを帯びたもの、濃い茶色のもの。木目が真っ直ぐ走っているものもあれば、中央に大きな節を持つものもある。
「どれが不死鳥にいい?」
真剣な顔で尋ねるアレンに、ボルドが眉を上げた。
「俺に聞くのか?」
「木の人だから」
「木の人って言い方はやめろ。木工職人だ」
ボルドも隣へしゃがみ、籠の中からいくつかの端材を取り出した。
「初めて彫るなら、節が多すぎるものは避けた方がいい。硬いところと柔らかいところの差が大きいと、刃が思わぬ方へ逃げることがある。それと、最初から細すぎる木を選ぶのもやめとけ」
「何で?」
「坊主、完成した不死鳥の形に近い木を探そうとしてるだろ?」
「うん」
「最初は少し大きいところから削った方がいい。残したいところまで先に削ったら、後から増やせねえからな」
ボルドは一つの端材を手に取って、アレンへ見せた。
「木は削れば小さくなる。でも、一度取ったところは元には戻らん」
「間違えたら?」
「削り方によっちゃ別の形に直せることもあるし、予定そのものを変えることもある。でも『やっぱりここに木が欲しい』って思ったって、削り落とした部分は戻ってきてくれねえ」
「魔法でも?」
「俺は魔法で木工する職人じゃないから知らん。ただ、少なくとも坊主が今日使う小刀じゃ無理だ」
ボルドは端材の側面を指でなぞった。
「だから、いきなり羽根の一本一本とか目とかを作ろうとするな。最初は大きな形を見る。こっちが頭、ここが胴体、翼があるなら翼を残す場所も考える。木目も無視するなよ。木がどう伸びていたか考えず細いところを作れば、簡単に割れる」
アレンは説明された端材を見つめた。
「難しい」
「だから面白いんだよ。簡単なら俺だって何十年もこんな仕事してねえ」
その言葉は、アレンがまだ本格的には始めていない剣術の話にも少し似ているように感じられた。すぐには上手くならず、何度も同じことを繰り返しながら少しずつ覚えていく。今のアレンにはまだそれを深く理解することはできなかったが、工房に並ぶ椅子や棚が最初からその形で生えてきたわけではないことくらいは分かった。
「七個選んでもいい?」
「端材ならな。ただし一人で籠ごと持って帰るなよ」
そこからのアレンは、遊びのときとは違う真剣な顔になった。
最初に選んだのは、少し赤みを帯びた木片だった。
「これは不死鳥」
エララが尋ねる。
「色で決めたの?」
「火っぽいから」
次に、少し幅広の淡い木を持ち上げる。
「こっちはグリフィン」
「どうして?」
「翼を大きくしたいから」
三つ目には細長く、先の方が枝分かれした端材を選んだ。
「キツネ。ここを尻尾にする」
「全部の尾が入りそう?」
アレンは木片と自分の手を見比べた。
「……もっと大きいの探す」
すぐ籠へ戻した。
ネラリスには長く湾曲した木、ウルリクムミには四角く重みのある木片、麒麟には木目が比較的真っ直ぐなものを選んだ。最後のエイラヴェルには、上側に二本の小さな枝跡が残る淡い色の木を手に取る。
「これ、角みたい」
アレンが嬉しそうに見せる。
エララは一瞬だけその木片を見つめ、それから柔らかく微笑んだ。
「そうね。綺麗に残せるといいわね」
七つの端材を布袋へ入れ、ボルドと助手へ何度も礼を言ってから工房を出た。帰り道でもアレンは袋の中身が気になって仕方なく、何度も口を開いて覗き込もうとする。そのたびにエララから「歩きながら下を見ない」と注意され、ようやく家へ着いた頃には、すぐにでも作業を始めたくて落ち着かない様子だった。
食卓の上を片づけてもらうと、アレンは七つの端材を一つずつ並べた。不死鳥、グリフィン、キツネ、ネラリス、ウルリクムミ、麒麟、エイラヴェル。今は名前を言わなければ、どれが何になる予定なのか他人には分からない。ただ形も色も異なる木片が七つ並んでいるだけだった。
「これ全部、聖獣になるんだ」
アレンは腕を組み、すでに完成した姿が見えているような顔で言った。
「予定ではね」
「なるよ」
「それなら、まず一体目から始めましょう」
エララが持ってきたのは、小さな木工用の刃物だった。成人が細かな作業に使うものより刃は短く、柄もアレンの手に収まりやすい。それでも木を削れる刃物であることに変わりはないため、エララは渡す前に約束事を一つずつ確認した。
「私がいないときには使わない。人へ向けない。刃が進む先に指を置かない。力任せに押し込まない。滑りそうになったら無理に続けず、一度止める」
「分かった」
「まだあるわよ」
「まだ?」
「使い終わったら必ず鞘へ戻す。それから、刃を持ったまま立ち歩かない」
「分かった」
「本当に?」
「本当」
エララはアレンの手を取り、刃物の持ち方から教えた。木を握る方の手にも力を入れすぎないこと。刃は自分の身体へ向けて引き込まないこと。一度に大きく削ろうとせず、表面を薄く取ること。
「ボルドさんと同じこと言ってる」
「二人から同じことを言われるなら、大切だからでしょう?」
「木って大変」
「まだ一度も削ってないけどね」
アレンは少し赤みのある端材――不死鳥になる予定の木を手に取った。
「頭はこっち」
木片の上側を指差す。
「ここが身体で、左右が翼」
「木の中にもう不死鳥がいるみたいな言い方ね」
「いるよ」
「見えるの?」
アレンは木片を横へ傾けたり、裏返したりしながらしばらく眺めた。
「……ちょっとだけ」
「ちょっとなのね」
「削ったらもっと見える」
小さな刃を木へ当てたものの、最初は怖くてほとんど力を入れられなかった。刃先が表面を擦り、薄い傷をつけただけで止まる。
「もう少し角度を寝かせて」
エララが隣から手元を見る。
「こう?」
「そう。急がなくていいから、少しずつ押してみて」
アレンは言われた通り、刃をゆっくり動かした。
薄い木屑が一枚、くるりと丸まりながら食卓へ落ちた。
「あ」
たったそれだけだった。木片の角がほんの僅かに削れたに過ぎず、不死鳥の頭にも翼にも見えない。それでもアレンの顔は一気に明るくなった。
「削れた」
「削れたわね」
「もう一回」
二枚目、三枚目と、少しずつ木の表面を削っていく。ときどき刃が途中で止まり、エララに角度を直される。早く形を作りたくなって深く刃を入れようとすれば「大きく取りすぎない」と注意され、今度は慎重になりすぎてほとんど削れなくなる。
「難しい」
「工房でも聞いたわね」
「でも楽しい」
その言葉に、エララは微笑んだ。
作業を始めてかなり時間が経っても、赤みを帯びた木片はまだ不死鳥には見えなかった。片側の角が少し丸くなり、上部に頭になるかもしれない膨らみが僅かに生まれただけで、翼や尾に手をつけるにはまだ早い。それでもアレンの目には、工房から持ち帰ったばかりのときとは違うものに見えていた。
「今日はここまでね」
エララが言う。
「まだできる」
「手を見て」
言われて初めて、アレンは自分の指が疲れていることに気づいた。小刀を持っていた手には知らないうちに力が入りすぎていたらしく、指の付け根が少し赤くなっている。
「明日続き?」
「ええ」
「今日、七体全部作れると思ってた」
「でしょうね」
エララは小刀を受け取り、刃を丁寧に拭いてから鞘へ戻した。
アレンはまだ形のほとんどない不死鳥を両手で持ち上げた。
「世界作るのって、もっと大変だったのかな」
「どうして急に?」
「だって僕は木一個から鳥を作るだけなのに、全然できない。七聖獣は何もないところから世界作ったんでしょ?」
エララの手が僅かに止まった。
「物語ではね」
「だったら、やっぱりすごい」
「木を彫り始めるまで気づかなかったの?」
「世界作ったことないから分かんなかった」
あまりにも真面目な答えに、エララは思わず笑った。
「そうね。何もないところから何かを生み出すのは、きっと簡単ではなかったでしょうね」
「じゃあ僕も頑張る」
アレンは木片を食卓へ戻した。その隣には、まだ一度も刃を入れていない六つの端材が並んでいる。今はどれも、ただの木にしか見えない。明日になっても、そのほとんどはまだ木のままかもしれなかった。
それでもアレンには、七つの端材の中に翼や角や尾が少しずつ見え始めていた。
いつか世界のどこかで本物の七聖獣へ会うという夢は、まだ遥か遠くにある。けれど、その日を待つだけではなく、自分の手で七頭を形にしてみようと決めたことで、アレンは初めてその夢へ触れられるものを一つ作り始めていた。
夕方の食卓には、六つの手つかずの木片と、ほんの数枚分だけ表面を削られた一つの木が残っていた。不死鳥と呼ぶにはまだあまりにも早い姿だったが、アレンにとっては、それこそが何もなかったところから何かを作り始めた最初の一歩だった。
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