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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
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第四章 第五十二話 空から落ちる爪

古い火道の石段を駆け上がる五人の背後で、岩の奥から低い軋みが続いていた。灯りを持つ男が振り向くたび、階段の角から細かな灰がこぼれ落ちる。女は布に包んだ細長い箱を胸に抱え、足元の割れ目を避けながら先を急いだ。箱の中には、石鉢から抜き取った黒い小石を封じた焼き物の筒がある。蓋の金具は締められたままで、誰も中を確かめようとはしなかった。


「急げ。外へ出れば、少なくとも天井の崩落には巻き込まれずに済む」


 先頭の男がそう言った直後、足元を伝う振動に五人の歩みが止まった。天井の裂け目から砂が降り、石段の端が拳ほど欠けて暗い穴へ転がった。縄を背負った男が灯りをかざし、踏める場所を示す。焼き物の筒を支えたときに袖を焦がした男は、布の焼けた部分を押さえながら最後尾を進んだ。誰も大きな怪我は負っていなかったが、引き返して石室を調べられる状況でもなかった。


 ようやく山腹の出口へたどり着くと、五人は熱気のこもった火道から薄曇りの空の下へ出た。岩棚の向こうには灰をかぶった斜面が続き、遠くに麓の街道が細い線のように見える。女は息を整えながら、来た道に目を向けた。三人が登ってきた南の岩棚には、まだ縄を掛けた鉄の鉤が残っている。そこを通れば下りられるが、揺れ始めた岩の上に全員の体重を預けるのは危険だった。


「箱を持ったまま渡れるか」


「落とすわけにはいかない。先に道を確かめて」


 女がそう告げると、男の一人が岩棚へ歩き出した。その背中へ、空から鋭い鳴き声が降ってきた。鳥の声に似ていたが、山の壁に反響した音はあまりに大きく、五人は思わず身をすくめた。顔を上げるより早く、頭上を巨大な影が横切った。


 翼が灰色の空を切り裂き、風圧が斜面の砂を巻き上げた。鷲の頭と翼、獅子の胴を持つ巨体が岩棚の上で急に向きを変える。次の瞬間、鉤爪が先頭の男の数歩先へ突き立った。乾いた岩が裂け、白い破片が弾ける。男は反射的に後ずさりし、尻もちをついた。爪は男の体を捉えていなかったが、進もうとした場所には深い傷が刻まれていた。


「動くな」


 低く響いた声に、女は箱を抱いたまま立ち尽くした。翼を半ば畳んだ巨獣が、岩の上から五人を見下ろしていた。その目は一人ずつを捉え、最後に女の持つ箱へ向けられた。岩棚に刻まれた爪痕を見れば、再び振り下ろされたときの危険は誰にも分かった。


「……グリフィン」


 男の一人がかすれた声で名を漏らした。女は答えず、箱を覆う布を握り直した。巨獣が目を細めたのはその動きを見たからなのか、あるいは別の何かを感じ取ったからなのか、五人には分からなかった。


「山の奥で何をした。先ほどから、岩の内側を通る風が変わっている」


「私たちは、道を通っていただけよ」


「その箱の中身は何だ」


 女はためらい、答える代わりに一歩下がった。グリフィンは襲いかからなかったが、翼を少し広げただけで岩棚を吹き抜ける風が強まった。先ほど爪を受けた割れ目から砂が落ち、男たちは足場を確かめながら身を寄せ合った。女の箱は揺れても開かず、光も漏らしていない。グリフィンは中身を見ていなかった。それでも、山の異変と箱を運ぶ者たちの態度に疑いを抱いているようだった。


「箱をそこへ置け。少なくとも、何を運んでいるのか確かめる必要がある」


「渡せない。私たちにも、持って帰らなければならない理由があるの」


「その理由で山を傷つけてよいとは限らぬ」


 女は答えなかった。岩陰で縄を持つ男が周囲に目を走らせ、入口の脇にある細い裂け目を指した。崩れた石柱の裏へ続く隙間は、体を横にすれば通れそうだった。来たときには見過ごしたが、岩棚が割れた今は、元の道を引き返すよりもましに思えた。男は入口へ肩を差し入れ、横向きなら通れるだけの幅があると確かめると、すぐに身を引き、女が通れるよう場所を空けた。


 グリフィンの視線がその男へ移ったとき、別の男が腰の道具袋から鉄の鉤を抜き、岩棚の外側へ投げた。鉤が石に当たって高く鳴り、グリフィンの目が一瞬そちらへ向く。女は箱を縦に抱え直し、肩を斜めにして裂け目へ駆け寄った。


「待て!」


 グリフィンが翼を開き、行く手を塞ごうと跳んだ。しかし女は先に岩の隙間へ身を滑り込ませ、箱を胸に押さえて奥へ進んだ。男たちも一人ずつ体を横にし、あとに続いた。巨獣の爪が入口に届くころには、最後尾の男も岩陰へ身を隠していた。爪が石を削り、破片が崩れ落ちる。狭い通路へ巨体を入れることはできず、グリフィンはそれ以上岩を砕くのを止めた。奥まで崩せば、箱の中身も、それを運ぶ者たちも岩の下へ埋まるかもしれなかった。


 裂け目の中では、五人が息を殺して進んでいた。外から差し込む光はすぐに弱まり、女が足元を確かめながら進むと、通路は細い下り坂になっていた。女は箱を抱き直し、後ろの男へ短く告げた。


「ここを抜ける。誰も立ち止まらないで」


 その声には、さっきまでの落ち着きがなかった。先に何があるか確かめていない道を選んだことも、外にいる相手が追ってくるかもしれないことも、全員が分かっていた。それでも、今は岩の裂け目を進むほかなかった。


◇


 同じころ、村の外の商隊では、ニアが東の空を指さした。雲の下を大きな影が横切り、続けて遠い岩場から乾いた音が届いた。アレンは荷車の脇から顔を上げ、翼を広げた姿が山腹を旋回するのを見た。距離があり、何と向き合っているのかまでは見えない。それでも鷲の頭と獅子の体を持つ輪郭には覚えがあった。


「グリフィン……?」


 テオを御者に任せて駆け寄った鈴葉も、空を見上げた。以前出会った神獣の姿によく似ていたが、山のどこから飛んできたのかは分からない。アレンは、かつてグリフィンが金属の羽根に強い関心を示したことを思い出した。しかし、今山で起きていることと羽根を結びつける根拠はなかった。


「向こうで何かあったのかもしれないわ。でも、ここからじゃ分からない」


 鈴葉の言葉に、アレンはうなずいた。ガレスが槍を持って近づき、持ち場を離れないよう二人へ告げた。バルドも護衛を山へ向かわせるつもりはなく、ローデンとミックを後方に残し、テオと若者を守る配置を保った。若者は空の影を見つめたまま、右腕の布を強く握っていた。グリフィンが何を追っているのか、誰かと争っているのかさえ、商隊の者には確かめようがなかった。


◇


 山腹では、グリフィンが翼を広げ直し、裂け目の続く岩の尾根を上から見渡していた。入口をさらに砕くことはせず、風を捉えて浮き上がり、尾根の向こうへ旋回した。岩の内側を吹き抜ける空気はまだ不安定で、裂け目の下から時折、乾いた熱が上がってくる。箱の中身も山の異変との関わりも確かめられないまま、グリフィンは裂け目の先へ通じる地形を探して飛び続けた。


 そのころ、暗い通路を進む女たちの前方に、細い赤い光が差し始めていた。外からの陽光ではない。岩の合わせ目の奥で、何かが熱を帯びているように見えた。女は足を止めかけたが、背後から石の崩れる音が響き、箱を抱えた腕に力を込めて前へ進んだ。

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