第四章 第五十一話 奪われた火種
昼を過ぎても、村の外に停めた六台の荷車は動かなかった。バルドは西へ続く街道の安全を確かめるまで出発を見合わせ、御者たちは馬の蹄と車輪を調べていた。身元の分からない男の遺体は荷から離した場所に布を掛けて安置され、テオは鈴葉のそばで休んでいた。街道脇の若者も、右腕に灰色の布を巻いたまま、東を見ないようにうつむいていた。
アレンはガレスの手帳に記された二本の道を見比べた。午前中に現れた五人のうち、地図を持った女ともう一人は東の街道へ、残る三人は南の山道へ進んだ。火口の縁を目指す者がいると分かっても、何をしに行くのかは聞き出せていない。火山の頂には薄い雲が掛かり、その下から細い白煙が流れていた。
「今朝の五人は、縄も鉤も持っていた。あの山で何をするつもりなんだろう」
アレンの言葉に、ガレスは東の道へ視線を移した。午前中に五人が分かれた場所はここから見えるが、その先は曲がり角と木々に遮られている。
「分からん。この街道を戻ってくるなら、ここからでも気づけるだろう。こちらから追うな。商隊の守りが先だ」
アレンはうなずいた。腰の小袋には、不死鳥から受け取った二枚の羽根が、それぞれ別の布に包まれて入っている。思わず小袋へ手を添え、山で見た炎を思い返した。しかし、五人が何を求めているのかは分からない。アレンは手を離し、見張りに戻った。
◇
そのころ、火山の南側では、三人の旅人が黒い岩棚の下に身を寄せていた。山道は途中で崩れ、剥き出しの岩を横切らなければならなかった。先頭の男が鉄の鉤を割れ目へ差し込み、縄を通す。後ろの二人は順に縄を張り、足場が崩れないことを確かめてから細い縁を渡った。眼下には冷え固まった溶岩が幾重にも重なり、その隙間から温かい空気が吹き上がっていた。靴底が滑るたび、三人は声を掛け合って動きを止めた。足を踏み外した者がいれば、残る二人だけで引き上げるのは難しかっただろう。
岩棚を越えた先には、火口へ続く登り坂ではなく、山腹に口を開けた古い火道があった。入口は崩れた石で半ば塞がれ、奥から乾いた熱気が流れ出ていた。脇には古い石柱が倒れ、刻まれた文字は灰と摩耗でほとんど読めない。ただ、広げた翼の彫刻だけが残っていた。三人が近づくと、入口の暗がりから女の声がした。
「遅かったわね」
地図を持っていた女が、街道を進んだ男とともに待っていた。二人の靴には白い火山灰が厚く付いている。女は五人が揃ったのを確かめ、地図を畳んだ。南の岩棚から来た男が縄を下ろして尋ねた。
「ここで間違いないのか。火口の縁へ出る道じゃないぞ」
「火口の下へ通じる古い道よ。上から降りるより、こちらのほうが足場が残っている」
「誰が確かめた?」
「渡された地図には、そう書いてある」
女は地図を渡した者の名を言わなかった。男たちもそれ以上問い詰めず、袋から灯りと鉄の道具を取り出した。厚い布に包まれた細長い箱は、女自身が抱えて入口へ進んだ。入口の岩には古い擦り傷が残っていたが、いつ誰が付けたのかは分からなかった。
火道の中は、熱さよりも息苦しさが先に立った。天井の裂け目から弱い風が入り、灯りの炎を同じ方向へ傾けている。壁には古い鑿の跡が残り、ところどころに羽根を広げたような模様が彫られていた。五人は床の裂け目を跨ぎ、踏むたびに低く鳴る石段を下った。遠くで水が落ちる音がしたが、その流れを目にすることはなかった。
やがて道は小さな石室に突き当たった。中央の丸い台座には浅い石鉢が載り、その底で指先ほどの火が燃えていた。薪も油も見当たらない。赤ではなく金に近い光が、石壁の細い溝を浮かび上がらせていた。溝は三方へ延び、その先は暗い岩の中に消えている。壁面には幾重にも重なる翼が彫られ、石鉢を包むように曲がっていた。火は大きくも小さくもならず、風の届かない石室で静かに揺れていた。
「これが……火種か」
縄を運んだ男がつぶやいた。灰色の布を巻いた別の男が石鉢の縁に指を近づけ、すぐに引っ込めた。
「熱い。素手では触れないぞ」
「箱を開けて」
女が箱を台座の脇へ置くと、街道をともに進んだ男が留め金を外した。内側には白い焼き物の筒と、蓋を固定するための金具が収められていた。筒の側面には革を巻いた長い持ち手が付いていた。女は鉄の鉤を二本選び、石鉢の内側をのぞき込んだ。火そのものではなく、鉢の中央に嵌め込まれた黒い小石が金色の光を抱いている。表面には、羽根の軸に似た細い筋が走っていた。
「鉢ごとじゃない。あの石を外す」
「ここから抜いていいのか?」
「持ってくるよう言われたのは、あれよ」
男はなおも問い返そうとした。しかし女はすでに鉤を差し入れ、黒い小石を押さえる縁の隙間を探し始めていた。別の男が鉤の柄に細い縄を結び、道具を火の中へ落とさないように支えた。女が一度力を掛けると、金具が石を擦る高い音が響いた。火が横へ揺れ、壁の溝に映る光が一瞬細くなった。
「待て。何か変わった」
最後尾の男が灯りを掲げ、三方に延びる溝を見た。先ほどまで奥から温風が流れていたのに、一方の溝からは冷たい空気が吹き込んでいる。女も一度手を止めたが、石鉢の中にはまだ金色の火が残っていた。
「長くは掛けない。筒を寄せて」
男が革巻きの持ち手を握り、筒の口を鉢の縁へ寄せた。女は鉤の向きを変え、二本を交互に押し込んだ。黒い小石が石鉢の底からわずかに浮く。次の瞬間、細い火が石を包み込み、金具の先端が赤くなった。女は顔をそむけながらも手を離さず、鉤で支えた小石を筒の口へ滑らせた。金属が焼ける匂いが立ち、筒を支える男の袖に小さな焦げ穴が開いた。
「入った! 蓋を閉じろ!」
筒を構えていた男が蓋を押し下げると、金の光が継ぎ目から一本の線となって漏れた。金具を締めると、その光も消えた。石鉢には黒い窪みだけが残り、そこをなぞるように弱い赤熱が走ったが、間もなく暗くなった。壁の溝を照らしていた光も失われた。
五人はしばらく動けなかった。それまで聞こえていた水音が途切れ、代わりに岩の奥から鈍い軋みが伝わってきた。台座の縁では細かな灰が跳ね、入口へ続く石段の上から砂粒が落ち始めた。
「戻すか?」
縄を手にした男の問いに、女は封じた筒を箱へ収めながら答えた。
「ここで開けたら、誰にも運べない。出口へ向かう」
「でも、これがなかったら、この場所は――」
「何が起きるかは分からない。今は崩れる前に出るのよ」
女は箱を抱えて石室を出た。男たちは灯りと縄を持ち、来た道へ続いた。上りの石段では、足元から響く軋みが一段ごとに強まった。最後尾の男が振り返ると、空になった石鉢にはもう光がなかった。翼の彫刻も闇に沈み、岩の割れ目から冷たい風が吹き込んでいた。火種を持ち去るよう命じた者の目的は、彼らの会話からは明らかにならなかった。
◇
村の外では、午後の見張りに立っていたアレンが、東の山から響いた低い音に顔を上げた。遠雷のようにも、どこかで大きな岩が崩れたようにも聞こえた。馬が一頭鼻を鳴らしたが、荷車の周りに揺れは伝わってこない。ガレスは山を見据え、何かが起きたと確かめられるまでは持ち場を離れるなと告げた。アレンはうなずき、雲に隠れた火口へ目を向けた。山の深い岩の中から火種が持ち去られたことを、商隊の誰もまだ知らなかった。
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