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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
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第四章 第五十話 火口を狙う者たち

夜明け前に冷え込んだ空気は、日が昇ってもなかなか緩まなかった。村の外に停めた六台の荷車には、新しい灰が薄く積もっていた。御者たちは馬に水を与え、車輪の隙間に詰まった灰や砂をかき出していた。バルドは西へ抜ける道を地図で確かめていたが、出発の時刻はまだ決めていない。昨夜、村の石塀の上に現れた黒い九尾の狐も、その後は姿を見せていなかった。


 アレンは中央の荷車の陰でテオの様子を確かめた。少年は温めた粥を少し食べ、鈴葉に器を返していた。母親のことを尋ねたいのか、何度も口を開きかけては黙り込んでいた。鈴葉は答えを急がせず、器を受け取ると少年のそばに腰を下ろした。身元の分からない男の遺体は、荷と馬から離れた場所に布を掛けて安置され、灰の小瓶もニアが預かっていた。遺体を今後どう扱うかについて、バルドはまだ結論を出していなかった。


 街道脇で一夜を過ごした若者は、渡された毛布を畳んで膝に置いていた。右腕の灰色の布は巻いたままだ。東の道を見まいとしていたが、風が草を揺らすたび肩を震わせた。ガレスは若者にも目を配りつつ、槍を手に街道を見張っていた。


 やがて南西の畑道から、硬いものが触れ合う音が聞こえた。ニアの合図でアレンが振り向くと、五人の旅人が細い坂を上がってきた。五人のうち二人は右腕に灰色の布を巻き、全員が厚手の上着を身につけていた。背負った荷は大きく、縄の束や長い鉄の鉤が袋の口からのぞいていた。先頭の女は歩きながら古びた地図を広げ、街道と山並みを何度も見比べていた。


「また東へ向かうのか」


 ガレスがつぶやくと、バルドは御者たちに荷車から離れないよう言い渡した。五人は商隊を見つけると歩調を緩め、村へ入る道と火山へ続く街道の分岐で足を止めた。女は地図の端を押さえ、背後の男に何かを指示した。男が肩から下ろしたのは、幾つもの鉄の環を取り付けた太い縄だった。岩場で使う道具にも見えたが、用途までは分からない。


「北の旧道は崩れている」


 女の声が風に乗って届いた。地図をのぞき込んでいた男が答えた。


「なら南の岩棚を回る。火口の縁へ出るには、それしかない」


 アレンは思わず山へ目を向けた。火山は薄い雲をまとい、頂の形さえはっきりしない。登るだけでも危険な場所へ、あれほどの荷を抱えて進むつもりなのか。何をするためかは聞こえなかったが、少なくとも一人は火口の縁を目指しているらしい。


 そのとき、街道脇の若者が毛布を落とした。五人のうち灰色の布を巻いた男が顔を上げ、若者の右腕に目を留めた。若者は慌てて袖を引いたが、結び目を隠す前に男が歩み寄ってきた。


「お前も印をつけているな。どこの組だ」


「……違います。俺は、もう行きません」


「何を言っている。山の下で待つよう伝わっているはずだ」


 若者は答えず、毛布を拾い上げようとしたまま固まった。アレンが二人の間へ入ると、男は眉をひそめた。手は空いていたが、腰には短い刃物の鞘が下がっていた。アレンは剣を抜かず、男が若者へ近づけない位置に立った。


「話があるなら、その場で言ってくれ。これ以上は近づかないでほしい」


「信徒に声を掛けただけだ。お前には関係ない」


「この人はここで休んでいる。行くかどうかは本人が決めることだ」


 男の目が細くなった。背後でガレスが槍を持ち直す気配がしたが、アレンは相手から視線を外さなかった。男がさらに一歩進もうとしたところで、地図を持った女が呼び止めた。


「そこまでにして。道を急ぐわ」


 男は舌打ちし、若者を一度だけ振り返ってから仲間のもとへ戻った。女はバルドたちに向き直り、軽く頭を下げた。その態度は落ち着いていたが、謝罪なのか、先へ進むための挨拶なのかは分からなかった。


「火口へ登るつもりか」


 ガレスが問い掛けると、女は地図を畳まずに答えた。


「縁まで行く人間がいる。それだけよ。あなたたちの荷車には用はない」


「危険を冒してまで、何をする」


「知る必要のないことまで聞かないほうがいいわ」


 女はそれ以上話さず、仲間の四人を連れて東へ歩き出した。誰も追わなかった。アレンは彼らの荷の形を覚えようとした。太い縄、鉄の鉤、布で覆われた細長い箱。祈りのための品なのか、岩場を越えるための道具なのか、判断はつかない。しかし、山の麓で待つよう伝えられた若者とは違い、五人の中には火口の縁まで進もうとしている者がいた。


 若者はようやく毛布を拾い、膝の上で握りしめた。アレンが声を掛ける前に、彼のほうから小さく言った。


「今の男は、昨日俺を止めた人じゃありません。でも、印を見ただけで、山へ来ると思ったみたいで……」


「名前は知っている?」


「いいえ。会ったのも初めてです」


 アレンはうなずいた。同じ布を巻いていても、互いを知っているとは限らない。昨日若者を引き留めた男と、今の五人が同じ指示を受けているかどうかも分からなかった。ただ、山麓で待つよう告げられた者がいる一方、火口の縁まで行く者もいるらしい。その違いは、昨夜までの証言にはなかったものだった。


 五人が東の坂を登り始めたころ、先頭の女が立ち止まった。彼女は道端の石柱に手を置き、地図の一点を仲間に示した。女を含む二人がそのまま街道を進み、残る三人は南側の細い山道へ入った。木々に遮られるまで、アレンとニアはその動きを見届けた。五人が先で再び合流するのか、それぞれどこまで進むのかは分からなかった。


「分かれたな」


 ニアが言い、ガレスは道の分岐と人数を手帳に記した。先ほど聞こえた南の岩棚という言葉も書き添え、その道の安全は確かめていないと明記した。バルドは記録を見ても追跡を命じなかった。荷車にはテオも、家族の名前を求められて逃げてきた若者もいる。死者の身元さえ分からないまま、護衛を山へ向かわせるわけにはいかなかった。


「商隊を危険にさらす気はない。ただ、火口へ行く者がいるなら、山の様子も気にはなる」


 バルドはそう言うと、まず西へ進める道を確かめるべきだとガレスに念を押した。アレンも反対しなかったが、東へ向かった五人の背中が頭をよぎった。彼らが山で何かを起こそうとしていると決まったわけではない。それでも、道を選び、荷を運び、途中で人数を分けたことには、明確な目的が感じられた。


 鈴葉がテオのそばから歩いてきた。少年の世話は御者に任せてあるという。アレンが今見たことを伝えると、鈴葉は雲に隠れた山頂を見上げた。火口へ向かう者たちの目的について、彼女も確かなことは言えなかった。


「何をするのか分からないまま追えば、私たちも危険を増やすことになるわね」


「うん。でも、火口を目指す人がいることは分かった。あとで誰かに伝える必要があるかもしれない」


「だったら、見たことを残しましょう。確かめられたことだけを」


 ガレスの手帳には、五人が東へ向かった時刻と、二手に分かれた道が書き加えられた。アレンは火山をもう一度見上げた。雲が切れた一瞬、灰色の岩肌の上を細い白煙が流れているのが見えた。山が再び荒れ始めたのか、残った熱が噴き出しているだけなのかは分からない。だが、あの山の火口を目指す者がいることだけは、もう推測ではなかった。

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