第四章 第四十五話 灰の中の印
朝の調査を終えて、まだ昼には間があった。バルドはガレスの手帳に記された家の配置を確かめ、御者のうち二人を呼んだ。男の遺体を運ぶため、荷車に積んであった予備の板と丈夫な布で担架を用意させた。村へ向かうのは前と同じ四人の護衛と、その御者二人だけだった。ローデンとミックは六台の荷車を守り、バルドも残る者たちをまとめることになった。
「家まで行って、遺体を運び戻す。それ以上は広げるな。人が足りなければ無理に運ぶなよ」
「分かっています。帰り道の警戒も崩しません」
ガレスの返答を聞き、バルドは二人の御者にも勝手に建物の奥へ入らないよう言い含めた。昨夜、あの家から助けを求める声が聞こえたのは事実だが、傷を負わせた原因は分かっていない。朝の調査で誰にも遭遇しなかったからといって、次も安全だとは限らなかった。
テオは荷車の陰で膝を抱えていた。鈴葉が出発することを伝えると、少年は村の入口を見てから、小さくうなずいた。アレンは母親が見つかったときだけでなく、何か分かったときにも知らせると告げた。昨夜の男について、知っている以上のことを話すつもりはなかった。
家へ戻る道には、朝よりも短い影が落ちていた。ニアは先を歩いて角と窓を確かめ、ガレスは槍を手に担架を運ぶ御者たちのそばについた。アレンと鈴葉は最後尾を警戒した。三つの小石が並ぶ戸口に着くまで、誰とも行き会わなかった。小石も動いていなかった。ただ、それだけで家に人が入っていないとは言い切れなかった。
「中を確かめる。二人は合図するまでここで待っていてくれ」
ガレスが御者たちに告げ、ニアを入口に残して、アレンと鈴葉を伴い室内へ入った。男は朝の調査を終えたときと同じ場所に横たわり、顔の布もそのままだった。ガレスは床の血の筋を避けて近づき、倒れた椅子と遺体の腰にある小袋の位置を再び確かめた。何かを運び出せば、そこにあった痕跡の一部は失われる。まず手帳の図と実際の部屋を照らし合わせ、それから御者を呼び入れた。
担架を床に下ろすと、アレンとガレスは遺体の肩と腰を支える位置についた。鈴葉が頭部を支え、御者たちは担架がずれないよう固定した。血の付いた当て布を外さず、腰の小袋も元の位置に残して、三人でゆっくり体を持ち上げた。そのとき、アレンは遺体の左手があった床板に、灰色の粉が残っているのに気づいた。
「待ってくれ。そこに何かある」
遺体を担架に収めてから、ガレスは御者たちに布を掛けてもらい、アレンの示した床を見た。壁際には火の消えた小さな炉があり、その縁から白っぽい灰が薄くこぼれていた。ところが、左手の下に隠れていた部分には、周囲より濃い灰色の粉が筋を作っていた。円に見える線は一か所だけ開き、その内側に三本の短い線が並んでいた。
鈴葉はしゃがんだが、粉には触れなかった。炉から灰がこぼれ、男が倒れた拍子に線ができた可能性もある。しかし、内側の三本は長さが近く、端もほぼ同じ向きにそろっている。持ち上げたとき、男の左手の指先にも灰が付いているのが見えた。ただ、もともと床にあった灰に触れただけかもしれない。偶然ではないと言い切るにも、描かれた印だと断言するにも、まだ根拠が足りなかった。
「朝は見えなかったわね」
「ああ。手の下だった。俺たちは遺体を動かさずに調べたからな」
ガレスは手帳を開き、円の切れ目の向きと三本の線の位置を描き写した。アレンが炉の内側をのぞくと、そこに残る灰は淡く細かい。一方、床の濃い粉には小さな黒い粒が混じっていた。薪の種類や燃え方による違いかもしれず、外から持ち込まれた灰だと決めることはできない。
「男の人が、これを描いたのかしら」
鈴葉の問いに、ガレスは首を振った。
「手が重なっていたことしか分からん。倒れる前からあったのかもしれないし、別の者が残したのかもしれない」
アレンは男が最後に口にした「まだ」という言葉を思い出した。何かを知らせようとしていたとすれば、この印も無関係ではないのだろうか。そう考えたところで、彼は自分の推測を止めた。言いかけた言葉の続きも、床の灰が示す意味も、誰にも分かっていない。
ガレスは図の横に発見場所と、遺体の手が重なっていた向きを書き込んだ。その後、戸口へ出てニアと見張りを交代した。室内に入ったニアにも粉の色の違いは見えたが、何を表す印かは知らないという。彼女は荷物にあった小さな空き瓶へ、線の端から濃い粉をほんの少量だけ収めた。残りを崩さないよう注意し、炉に溜まった白い灰とは混ぜなかった。見比べる材料が増えても、それだけで印の意味が分かるわけではない。
採取を終えたニアが戸口へ戻ると、ガレスが室内へ入り、瓶を受け取らずに中身と採取場所を確かめた。ニアはそのまま外の警戒を再開した。
「この印については、採取した粉と描き写した形を持ち帰る。似た印を知る者がいても、すぐ同じものだとは決められん」
ガレスは手帳を閉じ、御者たちに担架を持ち上げるよう合図した。二人の御者が前後を持ち、アレンと鈴葉はその左右に付いた。ガレスが先に出入口までの足元を確かめ、ニアは外から通りを見張った。血の筋を踏まないよう足場を選び、敷居を越えるときには合図を合わせた。遺体を揺らさずに運ぶため、狭い戸口では御者たちが一度足を止め、アレンが担架の端を支えて向きを変えた。残されたものをむやみに動かさず、六人は慎重に家を出た。
村を出るまで、六人は急がず歩き続けた。途中で窓が風に鳴ったが、ニアが周囲を確かめても人影は見当たらなかった。荷車の見えるところまで戻って初めて、アレンは肩の力を抜いた。バルドは御者に指示してテオを荷車の内側へ移し、担架が少年から見えない側を通るようにした。それから遺体を食料や馬から離れた日陰に安置させ、布で覆うよう命じた。身元が分かるまでは持ち物をそのまま保管し、次に人のいる土地へ着いたとき、村の異変とともに報告することになった。
御者の一人が、覆いの下の男に向かって小さく頭を下げた。この男にも帰りを待つ家族がいたのかもしれないと思うと、アレンは目を逸らせなかった。彼らが知るのは、男が最後まで息をつなごうとしていたことだけだった。名前すら知らない相手を、見つけた印のためだけに覚えておくことはしたくなかった。
ガレスはそれから、家で見つけた灰の筋をバルドに伝えた。手帳の図を見せ、小瓶に収めた粉と炉の灰では色や粒の粗さが違って見えたことも説明した。バルドは印の形をしばらく眺めたが、見覚えがあるとは言わなかった。
「この土地は山から灰が来る。炉にも灰は残る。それだけで出どころを決めるなよ」
「はい。男の死との関係も、まだ確かめられていません」
鈴葉は遺体を安置したあと、御者が付き添うテオのもとへ戻っていた。アレンは荷車の陰で話す二人を見た。遺体を運ぶところは少年に見せていない。少年の母親がどこにいるのかは、今も分からなかった。それでも、死んだ男の手が覆っていた場所から、新しい痕跡が見つかった。アレンは手帳に描かれた、途切れた円と三本の線をもう一度見た。何のためにそこに残った形なのか、答えはまだない。昨夜、男が言いかけた言葉の続きと同じように、その意味を確かめるには別の手掛かりが必要だった。
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