↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
131/143

第四章 第四十四話 誰が殺したのか

夜明けの光が草地を照らし始めても、六台の荷車は村の外から動かなかった。見張りを交代した護衛たちの目には疲れが残り、馬も普段より落ち着かない様子で鼻を鳴らしていた。アレンは浅い眠りから目を覚まし、昨夜、家の床に膝をついたときの感触を思い返していた。男の手が腕をつかんだ力は弱かった。それでも、あのときは確かに生きている人間の手だった。


 テオは御者の一人が用意した朝食を、鈴葉に付き添われながら食べていた。アレンは死んだ男の身元について何か知らないか尋ねかけたが、少年はようやく食事に手を伸ばせるようになったところだった。隣で見守る鈴葉と目が合い、アレンは問いを飲み込んだ。今、つらい記憶を無理に思い出させる必要はなかった。


「夜が明けた。あの男を、あのままにはしておけません」


 ガレスがバルドに告げると、商人は村の入口を見た。彼自身も十分には休めていないのだろう。目の下に疲れが浮かんでいたが、判断は慎重だった。


「家と、その周囲までだ。昨日の四人で行け。遺体の身元を調べ、運び出せるか見てこい。ただし、奥の家を捜し回るな。ローデンとミックは残す。危険があれば、調査を捨てて戻れ」


 四人は装備を整え、入口へ向かった。ガレスは槍を携え、ニアは弓を背に周囲の窓を確かめた。昨夜は足元しか見えなかった道にも、放置された籠や土に散った藁が見えた。戸口の脇には、ガレスが並べた三つの小石がそのまま残っている。ただし、それだけで夜のあいだ誰も家に近づかなかったとは言い切れない。


「ここだ。入る前に、足元を見ておこう」


 ニアが敷居の土を調べた。靴の跡がいくつも重なっているが、昨夜自分たちが踏んだ場所と重なるため、以前のものを選り分けられない。ガレスは戸口の位置を手帳に描き足し、扉を開けた。朝の光が差しても、部屋の空気は重く、消した油灯の匂いがわずかに残っていた。


 男の遺体は昨夜と同じ壁際にあった。顔を覆った布も、脇腹に当てた血染めの布も、そのままだった。アレンは入口で一度足を止めたが、ガレスとともに近づき、膝をついた。もう声を掛けても返事はないと分かっていても、手を伸ばす前にためらいが生まれた。


「傷を確かめる。何か分かっても、すぐに決めつけるな」


 ガレスは手袋をはめた。鈴葉が血の付いた当て布の端を慎重に持ち上げ、ガレスが衣服の裂け目を広げた。乾いた血で貼り付いた部分は無理に剥がさず、見える範囲だけを調べた。脇腹には深い傷が一つあり、その周囲にも浅い擦り傷が残っていた。出血が死に関わった可能性は高いものの、刃物で切られたのか、獣の爪なのか、別の鋭いものに当たったのかは分からなかった。鈴葉も傷の形を見つめ、答えを急がなかった。


「何か鋭いものが触れたようには見える。でも、何だったのかまでは言えないわ」


「……誰が、あの人を殺したんだろう」


 思わず口にしたアレンへ、ガレスが顔を向けた。責めるような目ではなかった。


「そう考えたくなるのは分かる。だが、誰かに襲われたと決まったわけじゃない。傷を負った場所も、相手がいたかどうかも調べる必要がある」


 アレンは息を整えた。昨夜は助けることで頭がいっぱいだった。朝になっても、男の死に理由を見つけたい気持ちだけが先に立っていた。鈴葉は持ち上げていた当て布を元の位置に戻し、ガレスと確かめてから手を離した。


 ニアは床に残る赤黒い筋を調べていた。筋は男のいた壁際から扉のほうへ続き、途中に手のひらほどの擦れた跡があった。男が這って入口を目指したとも考えられる。しかし、男がどこから移動してきたのかは、筋だけでは判断できなかった。


「椅子が倒れているのも、争った証拠とは限らない。立ち上がろうとしてつかんだのかもしれない」


 ニアはそう言って椅子の脚を指した。血の付いた床を踏まないよう気をつけながら壁の低い位置を見ていくと、指で押したような汚れが残っていた。近くの油灯の台にも似た汚れがあり、男が自分で灯りをつけた可能性はあった。ただ、誰がいつ触れたのかを確かめる手段はなかった。


 ガレスは奥へ通じる戸を調べた。戸は閉じておらず、その先には狭い土間と裏口があった。裏口のかんぬきは外されている。土には踏み跡らしいくぼみがあったが、乾燥して輪郭が崩れ、男の足なのか別人のものなのかも分からなかった。ガレスは外へ出ず、戸口から見える範囲だけを確かめた。


「入口は二つあった。だからといって、ここから誰かが逃げたとも言えん。男が自分で出入りしていたかもしれない」


 アレンは振り向き、台所に残る倒れた椅子と油灯を見た。昨夜、男が目を開き、扉のほうへ視線を動かしたことがよみがえる。助けを待っていたのか、それとも誰かを恐れていたのか。あの視線を思い出しても、答えは得られなかった。


「最後に『まだ』って言ったんだ。何を伝えようとしたのかな」


「続きを聞けなかった以上、私たちには分からないわ」


 鈴葉の声には、慰めで埋めようとしない静けさがあった。彼女自身も男の呼吸が止まるまでそばにいた。アレンは手のひらを握り、男が亡くなる前に何かできたのではないかという思いを、ひとまず胸の奥へ収めた。


 ガレスは遺体の腰に使い込まれた小袋を見つけ、その位置を記してから中を確かめた。数枚の銅貨と短い紐が入っていたが、名前を記した札や手紙はなかった。男がこの村に暮らしていたのかどうかも、今は確かめられない。ガレスは品物を小袋へ戻し、男の位置と傷の状態、見つけたものを手帳に記した。


「身元が分からなくても、このまま放ってはおけない。バルドに伝えて、運び方を決めよう」


 ニアが窓の外を確かめた。朝の通りは相変わらず静かだった。四人だけで遺体を運べば、帰路の警戒が手薄になる。ガレスは男の顔に掛けた布を整え、家の扉を閉めた。戸口の脇に並んだ三つの小石を確かめると、アレンは昨夜そこから聞こえた声を思い返した。もう、助けを求める声は聞こえなかった。


 荷車のところへ戻ると、バルドは報告を最後まで聞いた。遺体については明るいうちに周囲の安全と運搬の人手を確保してから迎えに行くこととし、それまでは誰も勝手に村へ入らないよう命じた。テオは少し離れたところで水を飲んでおり、こちらの話は聞こえていない。アレンは少年に目を向けたが、死んだ男が彼の知る誰かなのかを今確かめるつもりにはなれなかった。


「あの傷を見れば、誰かを疑いたくなる。だが、まずはあの人が誰だったのかを知ることだ」


 ガレスが手帳を閉じると、アレンは静かにうなずいた。昨夜、助けを求めた男の名前さえ、まだ知らない。どんな暮らしをして、なぜあの家にいたのか。傷を負った理由を探るにも、まず男自身のことを知る必要があった。アレンが村へ目を向けると、朝日に照らされた家々は何も答えず、昨日から変わらぬ静けさの中に並んでいた。

読んでくださり、ありがとうございます!

楽しんでいただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。