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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
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第四章 第三十八話 生き残った子供

鈴葉の視線を追って、アレンたちも西の村境の門へ向き直った。風は畑の枯れ草をかすかに揺らしていたが、門の向こうの通りには人影がなく、先ほどと同じ静けさが沈んでいる。鈴葉は村の内側を見据えたまま片手を上げた。声を出すなという合図だと気づき、ガレスもその場で動きを止めた。


「何かいたのか」


 ガレスが低く尋ねると、鈴葉はすぐには答えなかった。耳を澄まし、家並みの奥へ視線を移してから、ようやく口を開いた。


「木が触れ合うみたいな音がしたの。そのあと、小さく息を吸う音。人かどうかまでは分からないけど、風だけじゃない気がする」


 ニアが弓を持ち直し、門から続く路地を確かめた。


「私には聞こえなかった。でも、あそこなら見通しは利く。西側の家を一軒ずつ調べる?」


「闇雲に入るな。俺とニアが前、アレンと鈴葉が後ろだ。音のした辺りだけを確かめ、反応がなければ引き返す」


 ガレスの判断に従い、四人は先ほど通った門をくぐった。西へ延びる足跡を追うのは、バルドへの報告を済ませてからだ。建物の陰に注意しながら、静まり返った通りを戻っていった。


 西端の家々には、窓を内側から塞いだ跡が残っている。家具を引きずった傷も、敷居に散った新しい木屑も、誰かが外から来るものを拒もうとしていたことを物語っていた。その家並みの間を抜けかけたとき、鈴葉が再び立ち止まった。今度はアレンにも聞こえた。乾いたものが板に当たる、かすかな音が二度続き、同じ方向から押し殺したような咳が漏れた。


 音は通りに面した小さな貯蔵小屋からしていた。扉は閉まっているものの錠は掛かっておらず、脇の窓には内側から布が詰められている。ニアが窓と屋根を見張る間に、ガレスは扉の横へ立ち、アレンに目配せした。アレンは剣の柄から手を離し、小屋へ聞こえるよう、落ち着いた声を掛けた。


「中に誰かいるのか。俺たちは街道を通る商隊の護衛だ。怪我をさせに来たわけじゃない。返事ができるなら、声を聞かせてくれ」


 返ってきたのは沈黙だった。アレンはすぐに扉を開けず、室内から聞こえる物音を待った。やがて何か硬いものが床を転がり、奥のほうで短い息遣いがした。鈴葉がアレンの脇へ寄り、扉に向かって静かに言った。


「隠れていてもいいわ。無理に出てこなくていい。ただ、苦しかったり、痛いところがあったりするなら教えて。外には四人いるけど、誰も急に近づかないから」


 長い間、返事はなかった。小屋の薄暗がりで何かが擦れる音がし、ようやくかすれた声が扉の奥から届いた。


「……大きな声、出さないで」


 その声は幼かった。アレンは息をのんだが、驚きを声には出さなかった。


「分かった。ここからは静かに話す。扉を少し開けてもいいか?」


「少しだけ」


 ガレスが扉を手の幅ほど押し開けて中を確かめた。薄暗い奥までは見通せない。アレンは隙間から声を掛けた。


「暗くて姿が見えない。中に入ってもいいか?」


 少し迷うような沈黙のあと、幼い声が返ってきた。


「……ゆっくりなら」


 ガレスは扉を一人ずつ通れる幅まで静かに広げ、アレンと鈴葉を中へ通すと、再び細く閉じた。ニアは外で周囲を見張り、ガレスは入口を守った。


 小屋には穀物袋と空の瓶、農具が整然と収められていた。床の一角だけ、積まれた木箱が不自然にずれている。アレンがしゃがむと、箱の奥、床下の貯蔵穴へ通じる狭い開口部から、泥のついた小さな指が見えた。身を潜めていたのは、十歳にも満たないように見える少年だった。上着の袖は擦り切れ、唇は乾いている。怯えた目はアレンの顔よりも、閉じかけた扉のほうを気にしていた。


「もう閉めて。見つかるから」


 アレンはガレスに頼み、扉を完全には閉めず、外のニアと合図できるだけの隙間を残してもらった。少年がどれほど長くそこにいたのか分からなかったが、床下の狭い空間には水も食べ物も見当たらない。アレンは自分の水筒を取り出し、少年の手が届くところへ置いた。


「水がある。すぐに全部飲まなくていい。俺はアレン、こっちは鈴葉だ。君の名前を聞いてもいいか?」


 少年はすぐには水に触れなかった。鈴葉が一歩後ろへ下がり、逃げ道を塞がない位置で膝を折ると、ようやく指先が水筒へ伸びた。ふたを支える手が震え、ひと口飲むまでに何度もためらった。喉を潤してから、少年はか細い声で名乗った。


「……テオ」


「テオ。ここへ隠れたのは自分で?」


 鈴葉が尋ねると、少年は首を横に振り、床板を見つめた。


「母さんが……ここにいなさいって。誰が呼んでも、知らない声なら出るなって」


「お母さんは、今どこにいるか分かる?」


 問い掛けた鈴葉に、テオは再び首を振った。泣こうとすると息が詰まるのか、しばらく口を閉じたまま肩を上下させていた。アレンは質問を重ねず、小屋の薄暗い床に腰を下ろして待った。急がせれば、少年はまた隙間の奥へ戻ってしまうだろう。ようやく落ち着いたころ、テオは小さくつぶやいた。


「母さん、戻ってこない」


 アレンは少年の目線に合わせて姿勢を低くし、知っていることだけを伝えた。


「村の人たちを捜している。見つかった人は、今のところ君が最初だ。でも、ほかのみんながどうなったかは、まだ俺たちにも分からない」


 助かるとも、誰かが死んだとも言えない状況で、安易な約束だけはしたくなかった。ほどなく、扉の外からニアが低く声を掛けた。


「通りに動きはない。けれど、ここに長居はしないほうがいい」


 ガレスがうなずき、少年のほうへ向き直った。


「テオ、村の外に仲間がいる。荷車も水もある。歩けなければ運ぶが、一緒に来られるか?」


 テオは答えかけて、扉を見たまま身を固くした。


「あっちから、また来るかもしれない」


「『あっち』というのは西か?」


 ガレスが確かめると、テオは小さく首をすくめた。


「大人たちが、西の窓を閉めろって言ってた。外で何かが、ずっと擦れてて……でも、僕は見てない」


 ガレスはそれ以上、外にいたものの姿や数を決めつけるような質問はしなかった。村の外で見つけた痕跡と結びつけるには、少年の言葉はまだあまりに少ない。彼はアレンと視線を合わせ、今は保護を優先することを確認した。アレンが手を差し出すと、テオは長く迷った末に握り返し、床下の開口部から慎重に身を引き上げた。アレンは少年が木箱の角に体をぶつけないよう支え、立ち上がるのを助けた。足元はふらついていたが、目立つ出血はなく、呼び掛けへの反応もはっきりしていた。


 小屋を出る前に、ニアが周囲をもう一度確かめた。帰りはガレスが先頭に立ち、アレンがテオに歩幅を合わせた。鈴葉は少年のすぐそばに付き、ニアは後方を警戒した。通りの途中で風にあおられた雨戸が鳴ると、テオはその場にしゃがみ込み、両手で頭を覆った。鈴葉は雨戸が揺れているだけだと確かめてから声を掛けたが、少年はすぐには立てなかった。アレンは急かさず待ち、再び歩き出せたところで、村の入口へ向かった。


 外に停めた六台の荷車が見えたとき、テオの表情がわずかに緩んだ。バルドは戻ってきた四人と見知らぬ少年を見比べ、すぐにローデンへ周囲の警戒を任せた。ミックも持ち場を離れず、御者たちは馬を落ち着かせていた。アレンと鈴葉がテオを荷車の陰に座らせている間に、ガレスは少し離れた場所で、西の家々の内側からの補強、村境の傷、狐に似た大きな足跡、そして九筋に数えられた尾のような掃き跡について順を追って説明した。木に残された傷と色の判別できない獣毛、足跡がさらに西へ続いていたことも伝えた。


「九尾の狐だと確認できたわけではありません。痕跡が全部同じものの仕業かどうかも不明です」


 ガレスの報告を聞き、バルドは険しい顔でうなずいた。


「なら、荷車を軽々しく村に入れるわけにはいかんな。まず人と馬を守る。子供の手当ても必要だ。行方不明の村人を捜すにしても、準備なしでは動かせない」


 ニアが水と乾いた食べ物を少し持ってきたが、テオは食べ物に手を伸ばす前に、鈴葉の袖をつかんだ。村を離れたことがようやく分かったのか、落ち着いたかと思われた瞳にまた恐怖が戻っていた。鈴葉が身をかがめると、少年は周囲の大人に聞かれないように声を潜めた。


「……あの女の人、まだ村にいるの?」


 鈴葉は袖をつかむ小さな指を無理にほどかず、アレンと短く視線を交わした。西の草地に残された九筋の掃き跡と、テオが初めて口にした「女の人」。その二つが同じ出来事につながっているかどうかは、まだ判断できない。鈴葉は問いを急がず、怯える少年の手にそっと自分の手を重ねた。

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