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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
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第四章 第三十六話 静かすぎる村

ガレスとニアが門の手前まで様子を見て戻ってきたのは、数分後だった。二人とも武器は抜いていなかったが、表情にははっきりと警戒が浮かんでいた。


「入口から見える範囲には誰もいない」


 ガレスが低い声で報告した。


「血も死体もない。争った跡も見当たらねえ。ただ、家の戸が開いたままのところがある」


「犬も家畜も?」


「見てない」


 バルドは村を見つめたまましばらく黙り、やがて短く息を吐いた。


「荷馬車はここに置く。ローデンとミックは御者たちと残れ。何かあったらすぐ外へ出せるようにしとけ。ガレス、ニア、アレン、鈴葉。四人で中を見る。家を片っ端から荒らすな。誰かいたらまず声をかけろ。勝手に奥へ行くな」


 アレンたちは頷き、開いた門をくぐった。外から見ていた時にはただ静かに見えただけの村が、内側へ一歩入った途端、生活の音だけを失った場所として、いっそう不自然に感じられた。


◇


 村へ入って最初に気づいたのは、静けさの質が街道の外とは違うことだった。風は吹き、木の葉も揺れ、軒先に吊られた布も動いていた。それでも、人が暮らしていれば自然に生まれるはずの細かな音だけが、きれいに抜け落ちていた。


「……本当に誰もいないみたいだな」


 アレンが声を落とすと、鈴葉は返事をせず、道の左右へ慎重に視線を巡らせた。


 中央へ続く道の脇にはパン屋らしい建物があり、窓の内側には焼き上がったままの丸いパンが三つ並んでいた。扉は半分開いていたため、ガレスがまず外から声をかけた。返事はなかった。もう一度呼びかけても反応がないことを確認してから中へ入り、店内を見回して手招きした。


 炉の火は消えていたが、灰の奥にはまだわずかな熱が残っていた。作業台の上にはこねかけの生地が置かれ、粉袋も開いたままだった。


「昨日から放置って感じじゃねえな」


 ニアが炉の縁へ手を近づけ、残った熱を確かめた。


「少なくとも、何日も前じゃない」


「でも人はいない」


 アレンが呟くと、鈴葉は床や作業台へ視線を移した。


「急いで外へ逃げた形跡も薄いわ。椅子も倒れてないし、棚も荒れてない」


 店の裏口も開いていた。外には小さな薪置き場と井戸へ続く細い道があったが、そこにも人影はなく、足元にも慌ただしく大勢が駆け出したような痕跡は見当たらなかった。


◇


 四人は通りをさらに進んだ。家々の前には洗濯物や水桶、荷車、子供用の木製玩具まで残されていた。ある家では、窓際の机に二人分の食器が並べられたままになっていた。椀の中身は冷えていたが、まだ腐ってはいなかった。


「食事の途中だったのか?」


 アレンが室内を見渡すと、ガレスは首を横へ振った。


「椅子はちゃんと戻されてる。慌てて逃げたなら、もっと散らかる」


「じゃあ、食べる前にどこかへ行った?」


「それにしては全員だぞ」


 ニアの言葉に、誰もすぐには言葉を継げなかった。村の中央に近づくほど違和感は強くなり、井戸には桶が置かれ、縄もまだ乾いていなかった。小さな鐘楼の鐘は無傷で、綱も切れていない。集会所らしい建物の扉も閉じていたが、鍵はかかっていなかった。


「鐘を鳴らしてみるか?」


 アレンが見上げると、ガレスは少し考えてから首を振った。


「何がいるか分からねえ場所で、大きな音を出すのは最後だ」


「賛成」


 鈴葉も短く答えた。


 代わりに四人は井戸の周囲を調べた。水は澄んでおり、異臭もなかった。地面には靴跡がいくつも重なっていたが、新しいものと古いものが混ざっていて、今の段階では誰がいつ通ったのかまでは判断できなかった。


◇


 昼を過ぎていたのに、村のどこからも煙は上がらず、鶏の声も牛や山羊の鳴き声も聞こえなかった。家畜小屋を確認しても柵は壊れておらず、餌桶にはまだ乾ききっていない草が残っていた。


「家畜まで全部いないのは変だな」


 ニアが眉をひそめた。


「人だけなら避難した可能性もある。でも、家畜を残さず移動するなら、もっと荷車の跡が増えるはず」


「外の道にはそんな跡なかった」


 ガレスが答えるのを聞きながら、アレンは隣の鈴葉へ目を向けた。


「何か匂いで分からない?」


「人の匂いは残ってる。家畜の匂いも。でも、今ここにいる気配はほとんどない」


「ほとんど?」


「ゼロとは言い切れないって意味」


 鈴葉はそれ以上説明せず、村の奥へ視線を向けた。しばらく何かを確かめるように目を細めてから、低く続けた。


「それと、変なの」


「何が?」


「みんな同じ方向を避けてたように見える」


 アレンは彼女の視線を追った。村の東側には家も畑も普通に続いていたが、西側へ近づくほど、道具が道端へ置かれたままになり、扉が閉じられた家も増えていた。さらにいくつかの窓には、内側から板を当てたような跡まで見えた。


◇


 四人は西側の通りへ入った。そこだけ空気が冷たいわけでも、暗いわけでもなかった。それでも、他の場所よりさらに静かに感じられた。


 最初の家は戸が閉じられていた。ガレスが扉の前で声を張った。


「旅の商隊だ。誰かいるなら返事をしてくれ」


 返事はなかった。二度、三度と呼びかけても反応はなく、ガレスが扉へ手をかけると、鍵はかかっていなかった。


 中へ入ってすぐ、アレンはそれまでの家との違いに気づいた。居間の椅子が一脚倒れ、机の上に残された食器の一つが床へ落ちて割れていた。床板には家具を引きずったような新しい擦り傷が何本も走り、その先は西側の窓へ続いていた。


「……こっちを見ろ」


 ガレスの低い声に呼ばれて近づくと、西向きの二つの窓には室内側から厚い板が何本も打ちつけられていた。釘の周囲には新しい木屑が残り、窓の前には重い机と棚まで寄せられていた。反対側の玄関や東向きの小窓には、同じような補強はなかった。


 ニアはしゃがみ込み、机を引きずった跡を指先でなぞった。


「かなり急いで動かしたみたい」


「外へ逃げるためじゃないな」


 アレンが言うと、鈴葉は西側の窓へ近づいた。板には触れず、その向こうの気配を探るように目を細めた。


「ええ。これは外から閉じ込められた跡じゃない」


「じゃあ……」


「中にいた誰かが、西側から来る何かを入れないようにしたんだと思う」


 その言葉のあと、誰もすぐには動かなかった。村人たちは、ただ理由もなく姿を消したわけではないのかもしれない。少なくともこの家では、誰かが西から来る何かを恐れ、逃げ出すより先に窓を塞ごうとしていた。


 アレンは板で閉ざされた窓を見つめた。村の静けさは、何も起きなかったあとの静けさではなかった。何かが来ると知った者たちが息を潜め、その痕跡だけを残して消えたあとの静けさなのかもしれなかった。

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