第四章 第三十二話 不死鳥の問い
不死鳥は岩壁の上から動かなかった。赤金色の瞳だけが、窪地の中央に立つアレンを真っ直ぐ見下ろしていた。腰の小袋では、別々の布に包んだ二枚の羽根がまだ熱を帯びていた。
ガレスは槍へ手を掛けたまま、不死鳥とアレンの間を見比べた。
「……何か待ってるように見えるな」
「ええ」
鈴葉の返事は短かった。彼女も不死鳥から目を離さず、けれど前へ出ようとはしなかった。
「アレン。たぶん、あなたに用がある」
「俺に?」
「炎の道がここへ連れてきた。それに、さっきから私じゃなくてあなたを見てる」
アレンは喉の奥で息を整えた。グリフィンと向き合った時とは違う緊張があった。目の前の存在は数時間前、自らの身体を炎へ還し、そこから新しい姿で生まれ直したばかりだった。その光景を見たあとでは、ただ視線を向けられているだけでも重く感じられた。
やがて不死鳥が翼をわずかに開いた。羽根の隙間を白金色の光が走り、窪地の空気が一段温かくなった。
「――人の子よ」
低く澄んだ声が響いた。嘴が大きく動いたわけではない。それでも言葉は確かに耳へ届き、岩壁の内側へ静かに反響した。
◇
アレンは一瞬、返事を忘れた。
「……俺のことか?」
「他に誰がいる」
思っていたより容赦のない返しに、鈴葉がほんの少しだけ口元を緩めた。アレンはそれを横目で見てから、不死鳥へ向き直った。
「だったら、こっちからも聞く。俺たちをここへ呼んだのは、あんたか?」
「そうだ」
「なぜ?」
「確かめるためだ」
「何を?」
不死鳥の瞳が細くなった。その視線が一度だけ鈴葉へ向かい、再びアレンへ戻った。
「お前は、我ら七神獣を求めている」
アレンの胸がわずかに強く鳴った。
「どうしてそう思う?」
「銀の狐と歩き、私の名を知り、私が残した炎を追ってここまで来た。それだけでも、ただの旅人ではないと分かる」
断定できることだけを並べた答えだった。アレンは腰の小袋へ触れかけた手を止めた。不死鳥が自分についてどこまで知っているのかは、まだ分からなかった。
「一つ、問う」
不死鳥の声が窪地へ落ちた。
「お前は、我ら七神獣に何を望む」
アレンはすぐには答えず、幼い頃の自分を思い返した。あの頃なら、きっと迷わなかった。母が語ってくれた七つの物語をそのまま信じ、いつか本当にそのすべてに会ってみたいと願っていた。炎の中から蘇る鳥。空を駆ける翼ある王。森を巡る狐。水の底を進む蛇。大地を支える巨獣。麒麟。そして最後の存在。子供の頃の願いは、それだけで十分だった。
「最初は……会いたかった」
アレンが答えると、不死鳥は何も言わなかった。
「母さんが七神獣の話をよくしてくれた。だから、いつか全部に会えたらって、それだけだった」
「今は違うのか」
「少しは」
アレンは隣の鈴葉を見た。彼女は黙ったまま、答えを任せていた。
「鈴葉に会うまでは、七神獣ってもっと遠いものだと思ってた。物語の中にいて、見つけられたらそれだけですごいっていうか……たぶん、俺の中では七つ並んだ特別な存在だった」
「今も特別ではあるわよ」
「分かってるって」
鈴葉の小さな横槍に、張り詰めていた気持ちが少しだけほどけた。アレンはもう一度、不死鳥へ視線を戻した。
「でも、鈴葉と旅して、グリフィンに会って、あんたにも会った。昨日、鈴葉から七神獣はみんな同じじゃないって聞いた。役目も、考え方も、守るものも違うって」
「それで?」
「だったら、七体全部に同じものを望むのは違うと思う」
不死鳥の瞳の奥で、炎がわずかに揺れた。
「俺は、力を貸してほしくて探してるわけじゃない。何かを命令したいわけでもない。会って、知りたい。母さんが話してくれた存在が、本当はどういう相手なのか、自分の目で確かめたい」
「知って、どうする」
アレンはすぐには答えず、これまでの旅を思い返した。会うことそのものが夢だった頃なら、その先など考えたこともなかった。だが、鈴葉と出会ってからは違った。七神獣を知るたび、自分の周囲にあった謎も増えていった。母の物語、金属の羽根、グリフィンが口を閉ざした過去。どれもまだ一本にはつながっていなかった。
「分からない」
アレンは正直に答えた。
「でも、知らないまま決めつけるよりはいい。七神獣のことも、自分のことも。何か答えがあるなら知りたい。でも、七体に会えば全部教えてもらえるなんて思ってない」
「なぜだ」
「グリフィンは知ってても話せないことがあった。鈴葉にも知らないことがある。昨日それをちゃんと聞いた。だったら、全員に会えば全部分かるって考える方がおかしいだろ」
鈴葉がわずかに目を見開いた。アレンはその反応に気づいたが、今は不死鳥から目を逸らさなかった。
「ただ、会ってもいない相手を一つの名前だけで決めたくない。俺が知りたいのは、七神獣っていう一つの答えじゃなくて、その中にいる一体一体なんだと思う」
言葉にしてみると、それまで曖昧だった考えがようやく形になった。アレン自身、旅を始めた時にはここまで考えていなかった。それでも今なら、この答えが一番自分に近いと思えた。
◇
風が窪地の上を通り抜け、岩壁の縁に積もった灰が少しだけ舞った。不死鳥の炎はほとんど揺れなかった。
「人は、名を並べる」
やがて不死鳥が言った。
「七つと呼べば、七つを一つの形に収めたがる。力を数え、役目を並べ、そこに自分たちの都合のよい意味を作る」
アレンは黙って聞いた。
「だが、名は器にすぎぬ。器が同じでも、その内にある意思まで同じにはならない」
昨日、鈴葉から聞いた話と重なる言葉だった。けれど、不死鳥自身の口から告げられると、その意味はさらに重く感じられた。
「お前がそれを忘れぬなら、道はまだ閉じぬ」
「道?」
「我らへ至る道だ」
「じゃあ、他の七神獣がどこにいるか――」
「知らぬ」
即答だった。
「……知らないのか?」
「知る必要のないものまで追わぬ」
アレンは思わず鈴葉を見た。鈴葉は肩をすくめた。
「言ったでしょ。同じ七神獣だからって、互いの全部を知ってるわけじゃないって」
「ここまで徹底してるとは思わなかった」
「私に言わないで」
不死鳥は二人のやり取りを止めることもなく見ていた。その赤金色の瞳から何を考えているのかは読み取れなかった。
「もう一つ聞いていいか?」
「今度は私が答えるとは言っていない」
「そこもグリフィンに似てるな……」
アレンが思わずこぼすと、不死鳥の瞳が一瞬だけ細くなった。笑ったのか、それとも気に障ったのかは分からなかった。
その時、不死鳥の視線がアレンから外れ、鈴葉へ向けられた。それに気づいた鈴葉の表情から、わずかに笑みが消えた。
「何?」
不死鳥はすぐには答えなかった。赤金色の翼を閉じたまま、銀の狐を静かに見つめていた。
「人の子への問いは終わった」
低い声が再び窪地へ響いた。
そして不死鳥は、今度は鈴葉だけを見た。
「次は、お前だ。銀の狐」
アレンは二体の神獣を交互に見た。昨日、七神獣は同じではないと知ったばかりだった。その違いを、今度は言葉ではなく、二体自身の間で見ることになるのだと直感した。
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