第四章 第三十話 生まれ直す炎
夜半を過ぎても、火山の方角だけは完全な闇にならなかった。野営地の焚き火は小さく落とされ、六台の荷馬車の間では御者たちが交代で眠っていた。アレンはガレスから見張りを引き継いだあとも眠気を感じず、少し離れた岩へ腰を下ろしていた。腰の小袋には、厚い布で包んだあの羽根が入っていた。不死鳥が去ってから数時間が経ち、熱は今では手を当てなければ分からないほど弱まっていたが、それでも完全には冷えていなかった。
小袋の上から指先で温度を確かめていると、背後から足音が近づいた。振り返るより先に、聞き慣れた声が落ちてきた。
「まだ起きてたの?」
「そっちこそ」
「私は寝なくても平気な時があるの」
「便利だな」
「羨ましい?」
「少しだけ」
鈴葉はアレンの隣へ立ち、暗い山へ目を向けた。夕方より雲は薄くなっていたものの、火口のある方角では時折、その底が赤く瞬いていた。
「不死鳥のこと考えてる?」
「まあな。母さんの話だと、炎の中から何度でも蘇る鳥だった。でも、実際に見たら、何をどうやって蘇るのか分からなくなった」
「物語は間違ってないわ。ただ、短く言いすぎてるだけ」
「鈴葉は知ってるのか?」
「見たことはある」
アレンが横を向いた、その時だった。腰の小袋が突然熱を持ち、二人はほとんど同時に山側へ顔を向けた。
「……来る」
◇
赤い光が雲の底を走り、次の瞬間、闇の中から一つの影が落ちてきた。翼を広げていたのに、夕方に見た不死鳥ほど高くも速くもなかった。全身を包んでいた炎も弱く、赤金色だった羽根の一部は暗く沈み、翼の端では光が途切れかけていた。
「不死鳥?」
「ええ。でも、さっきとは違う」
不死鳥は野営地へ直接降りず、その先にある黒い岩の盆地へ着地した。羽ばたきに合わせて火の粉が散ったが、それすら途中で消えていく。騒ぎに気づいたガレスとニアが起き、少し遅れてバルドも荷馬車の陰から姿を現した。夕方の遭遇で少なくとも敵意がないことは分かっていたため、誰もすぐには武器を向けなかった。
アレンが目を凝らしているうちにも、不死鳥の身体を包む炎は少しずつ小さくなっていった。
「弱ってるのか?」
「違う」
鈴葉の声が低くなった。
「終わるのよ」
「何が?」
「今の炎が」
意味を聞き返す前に、不死鳥が翼を広げた。今度の羽ばたきに風はほとんど生まれず、代わりに身体の内側から白に近い炎が噴き出した。赤でも金でもなかった。目を細めなければ直視できないほど明るい火が、翼の付け根から胸、首、尾羽へ一気に走っていった。
「下がって!」
鈴葉の声に、アレンたちは数歩退いた。不死鳥は逃げるどころか、自らその炎の中心に立ち、白い光へ全身を預けるように翼を閉じた。
◇
火は一瞬で巨大になり、黒い盆地の中央に柱のような炎が立ち上がった。周囲の草や荷馬車へ燃え移る様子はなかった。それでも熱だけは凄まじく、アレンは腕で顔を覆いながら炎の中心を見続けた。
不死鳥の輪郭が崩れていく。翼の先から光の粒へ変わり、尾羽が火の粉となって散った。身体が焼け落ちるというより、形そのものが炎へ戻っていくようだった。最後に胸のあたりへ白い光が集まり、それさえも飲み込まれると、巨大な鳥の姿は完全に消えた。
「……死んだのか?」
アレンの問いに鈴葉は答えず、盆地の中央を見つめていた。そこには拳より少し大きいだけの白金色の炎が残り、風を受けても不自然なほど揺れていなかった。
「見てて」
小さな炎が脈打った。一度、二度。そして三度目に、光の中から細い嘴が現れた。白金色の火が左右へ伸びて翼の形を作り、最初は小鳥ほどだった輪郭が、周囲の炎を吸い上げるように急速に大きくなっていく。赤い羽根が生まれ、その縁を金色の光が走った。尾羽が伸び、翼が広がり、やがて夕方に見たものとほとんど変わらない大きさの不死鳥が、炎の中から再び立ち上がった。
新しく生まれた羽根には、先ほどまで見えていた暗い色も欠けもなかった。不死鳥が翼を一度打つと、今度は強い熱風が盆地を走り、アレンの外套を大きく揺らした。
「これが……再生?」
「そう。不死鳥は、傷を治して元の身体へ戻るだけじゃない。今ある炎が終わる時、自分自身を炎へ還して、そこからもう一度生まれる」
「じゃあ、死んでも必ず戻るのか?」
「そこまで単純じゃないわ。再生にも条件と限界がある。何をされても必ず戻れるって意味じゃないし、私もその全部を知ってるわけじゃない」
「七神獣だからって、何でも知ってるわけじゃない、か」
「覚えたじゃない」
「さすがにもうな」
蘇った、という言葉だけなら簡単だった。だが、目の前で起きたことはそれよりずっと異様だった。一つの身体を修復したのではない。終わったものを炎へ返し、その炎の中から同じ存在が新しい身体を得て現れたのだ。
幼い頃、母の話を聞いた時には、「蘇る」という言葉はもっと明るいものに思えた。燃えても終わらず、何度でも立ち上がれる奇跡のような力。けれど実際に目の前で見れば、その前には確かに一つの終わりがあった。翼も身体も炎へほどけ、一度は何も残らないほど消えてから、新しい姿が生まれてくる。再生という言葉だけでは、その不気味さも重さも足りない気がした。
「記憶も残るのか?」
「残る。少なくとも、私が知る限りはね」
その答えに、アレンはわずかに背筋が冷えた。身体が新しくなっても、積み重ねたものは消えない。それなら不死鳥がどれほど長く世界を見続けてきたのか、想像すらできなかった。
◇
再生を終えた不死鳥はすぐには飛び立たず、赤金色の瞳を鈴葉へ向け、それからアレンへ移した。それに呼応するように腰の小袋が再び温かくなった直後、不死鳥の胸元から一枚の羽根が外れ、ゆっくりと地面へ舞い落ちた。
炎に触れているのに、その羽根は燃えなかった。根元は淡い金色で、中央へ向かうほど赤みを帯び、先端だけが白に近い光沢を持っていた。アレンは腰の小袋へ手を当て、焼けた祠の近くで拾ったものを思い浮かべた。
「……同じだ」
「ええ。今度は見間違えない」
これで、拾った羽根が不死鳥のものだという推測には、目の前の証拠が加わった。アレンはすぐ拾いに行こうとはせず、不死鳥の反応を確かめる。不死鳥は落ちた羽根を守ろうとも隠そうともせず、代わりに翼を広げ、盆地の向こう側へ身体を向けた。
白金色の火が地面へ落ちた。ところが岩は焼けず、炎だけが細長く連なり、暗い地面の上を一本の線となって伸びていった。山側へ向かうその火は風にも消されず、まるで進む方向を示すように岩の間を縫っていった。
「……道?」
アレンの呟きに鈴葉は答えなかった。不死鳥は炎の線の先へ一度だけ視線を向けると、翼を広げて飛び上がった。今度の飛翔には先ほどまでの衰えがなく、赤金色の光が夜空を切り、山へ向かって一直線に遠ざかっていった。
「誰も近づくな。正体も分からねえ火だ」
バルドの声が背後から飛んだ。アレンも今すぐ追うつもりはなかった。ただ、不死鳥が残した線の先を見つめる。
暗い岩場の上では、一本の炎の道だけが風にも消えず、山へ向かって静かに燃え続けていた。
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