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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
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第四章 第二十九話 不死鳥

山側の雲の奥で赤い光が消えてからも、アレンはしばらくそちらを見ていた。商隊は止まらず西へ進んでいたが、腰の小袋に入れた羽根の温かさだけは、歩くたびにはっきり感じられた。さっきまで残り火のようだった熱が、今は布越しでも分かるほど強くなっていた。


「鈴葉」


「分かってる」


 隣を歩く鈴葉も山側を見ていた。彼女の表情から、いつもの軽さは消えていた。


「羽根、熱くなってる」


「取り出さないで。今はまだ」


「でも――」


「もし同じものに反応してるなら、向こうから来るかもしれない」


 その言葉に、アレンは小袋へ伸ばしかけた手を止めた。何が来るのかは聞かなかった。鈴葉も、まだ名前を口にしていない。


 やがてバルドが、少し先にある岩場で商隊を止めた。日が落ちる前に野営へ入るためだった。六台の荷馬車を風から守れる位置へ寄せ、御者たちは馬を落ち着かせた。灰は朝より薄くなっていたが、山の上空だけは赤黒い雲が重く残っていた。


 アレンが荷を下ろしていると、腰の小袋が急に熱を持った。思わず手を離す。布越しでもはっきり分かる熱だったが、火傷するほどではなかった。


 鈴葉がすぐに振り返った。


「来る」


◇


 最初に変わったのは空の色だった。山側の雲が内側から赤く照らされ、夕暮れとは違う光が岩肌へ広がっていった。御者の一人が息を呑み、ニアが弓へ手を伸ばした。ガレスも槍を構えたが、鈴葉がすぐに声を飛ばした。


「まだ撃たないで!」


 次の瞬間、雲の中から炎が落ちてきた。だが、落ちてきたのは炎だけではなかった。巨大な翼が赤い光を押し広げるように現れ、その中心には鳥の輪郭があった。翼を一度打つたび、赤金色の火の粉が空へ散った。長い尾羽は炎そのもののように揺らめき、身体を覆う羽根は深い赤から金へ色を変えながら光っていた。


 馬たちが一斉にいななき、御者たちが手綱を押さえる中、バルドの指示が飛んだ。


「全員、荷馬車の内側へ!」


 巨大な鳥は商隊へ突っ込まず、少し離れた岩の上へ降りた。翼が閉じると炎も小さくなったが、完全には消えなかった。羽根の隙間をなぞるように赤い光が残り、周囲の空気が揺らいで見えた。


 アレンは息を詰めた。焼けた祠で聞いた証言、谷で拾った燃えなかった羽根、そして揺れない赤い光。そのすべてが、目の前の存在へつながり始めていた。


「鈴葉……」


 彼女はすぐには答えなかった。巨大な鳥を見つめ、翼、尾羽、頭部、そして全身を包む炎を一つずつ確かめているようだった。やがて静かに息を吐いた。


「……間違いない」


 アレンが彼女を見る。


「知ってるのか?」


「ええ」


 鈴葉は前を向いたまま言った。


「不死鳥よ」


◇


「不死鳥……」


 その名を口にした瞬間、アレンの中で母の物語が蘇った。炎の中から蘇る鳥。何度焼かれても終わらず、死と再生の境を越える存在。


「七神獣の一体」


 鈴葉が続けた。


「炎と再生に結びつく神獣、不死鳥」


 アレンは岩の上に立つ巨大な鳥を見た。グリフィンを初めて見た時とは違う。あちらには空そのものを支配するような静かな圧力があった。目の前の不死鳥から感じるのは、近づけば何も残らないのではないかと思わせる熱だった。それでも不死鳥は襲ってこず、赤金色の瞳をまず鈴葉へ向けた。鈴葉も動かなかった。二体の神獣の間に、長い沈黙が落ちた。


「知り合い?」


 アレンが小声で聞くと、鈴葉はほんの少し眉を寄せた。


「知ってる。でも、仲がいいかって聞かれたら別」


「さっきの話そのままだな」


「そういうこと」


 不死鳥の視線が鈴葉から外れ、今度はアレンへ向いた。その瞬間、腰の小袋がまた熱を増した。


「羽根……」


 アレンが小さく呟くと、不死鳥の瞳がわずかに細くなった。


「やっぱり、これに反応してる?」


「可能性は高い。でも、まだ決めないで」


 鈴葉の声は冷静だった。アレンは頷き、小袋から羽根を取り出さなかった。不死鳥も近づいてこず、ただこちらを見ていた。


◇


 しばらくして、不死鳥はゆっくりと翼を広げた。その動きだけで熱い風が野営地へ流れ、灰が低く舞い上がった。ニアは弓を下げず、ガレスも槍を構えたままだったが、誰も攻撃しなかった。


 不死鳥は一度だけ空を見上げ、それから山の方角へ顔を向けた。


「行くのか?」


 アレンが思わず声をかけたが、不死鳥は答えなかった。飛び立つ直前、もう一度だけアレンへ視線を向けた。その眼差しには敵意とは違う何かがあった。警戒だけでもない。確かめるような、測るような、それでいてどこか遠いものを見るような眼差しだった。


 巨大な翼が空気を打ち、赤金色の炎が一気に広がった。不死鳥は岩場を離れ、火の粉を引きながら上空へ昇っていく。雲の近くまで達すると、その身体は再び赤い光へ溶けるように小さくなり、やがて山側へ消えた。熱が遠ざかるにつれ、野営地には冷たい風が戻ってきた。


 バルドがゆっくり息を吐いた。


「ここ数日で、何体の神獣を見るつもりだ」


「俺に聞かれても……」


 アレンが返すと、鈴葉が横から言った。


「少なくとも、追いかけるのはやめておきなさい」


「言われなくても分かってる」


「本当に?」


「今度こそ本当に」


 鈴葉は少しだけ笑ったが、その目はまだ不死鳥が消えた山側を見ていた。


◇


 夜になっても、アレンの頭から不死鳥の姿は離れなかった。夕食を終え、見張りの準備をしながら、彼は厚い布に包んだ羽根を一度だけ取り出した。さっきより熱は落ち着いていたが、冷たくはなっていなかった。


 火に焼かれず、山の赤い光に反応し、不死鳥が現れた時に熱を増した。そこまでは事実だった。だからといって、この羽根が不死鳥のものだと断定するには、まだ一つ足りない気がした。似ている。反応もしている。それでも、自分の推測だけで最後の一歩を埋めるつもりはなかった。


「慎重になったわね」


 いつの間にか隣へ来ていた鈴葉が言った。


「誰かさんに何回も言われたからな」


「いいことじゃない」


 アレンは羽根を布へ戻した。


「これで、母さんの話に出てきた神獣と実際に会ったのは三体目か」


「私を数えるならね」


「数えるだろ」


 鈴葉は小さく笑った。


 遠くの山では、赤い光がもう見えなくなっていた。けれど、アレンの頭にはあの眼差しが残っていた。不死鳥は現れ、こちらを見て、何も語らずに去った。何を見定めようとしていたのか。なぜ谷の奥にいたのか。なぜ焼けない羽根が残っていたのか。答えはまだない。ただ一つ、物語の中にしかいなかったはずの神獣が、また現実の中へ姿を現した。それだけは、もう疑いようがなかった。

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