第四章 第二十七話 焼けた祠
赤い谷の奥にあった祠は、遠目で見た以上にひどく焼けていた。石造りの土台だけは形を残していたが、屋根を支えていた木材はほとんど炭になり、正面の柱も途中から折れていた。何年も使われていないという話の通り、周囲には崩れた供物台や割れた石鉢が残っていた。それでも焼け跡だけは古く見えなかった。黒く焦げた木の表面にはまだ新しい煤が付き、近づくほど乾いた焦げ臭さが強くなった。
「最近焼けたのは間違いなさそうだな」
ガレスが槍を構えたまま言った。
「でも、火はもう消えてる」
鈴葉は祠の周囲を見回し、耳を澄ませた。アレンも谷の奥へ続く道と、祠の裏へ回り込む細い隙間を確認した。先行した四人の足跡は祠の正面まで続いていたが、そこでいくつかに分かれていた。
「四人ともここまでは来てる」
アレンが言うと、土地の男が灰の上へしゃがみ込んだ。
「こっちは裏へ回ってる。二人……いや、三人か」
「残り一人は?」
「正面に近い」
足跡は焼けた柱の前で何度も乱れ、何かを避けるように左右へ散っていた。血は見えない。だが、地面には靴底で急に踏み込んだような深い跡が残り、祠の壁際には人が手をついた形の灰の乱れもあった。
「何かあったのは確かだな」
ガレスが低く言った。
「でも、何があったかまでは分からない」
アレンはそう答え、祠の正面へ慎重に近づいた。
◇
入口だった場所には扉が残っていなかった。焼け落ちた木材を避けて中を覗くと、祠の内部は外より狭かった。奥には祭壇らしい石台があり、その背後の壁には大きな石板がはめ込まれていた。木製の飾りや布はほとんど焼けていたが、石そのものは崩れていなかった。
「誰かいる?」
鈴葉が声をかけた。
返事はなかった。ガレスが先に入り、床の安全を確かめた。アレンと鈴葉も続いた。土地の者四人は入口と外側を見張り、逃げ道を塞がないよう距離を取っていた。
中には人の足跡が二種類あった。古い灰の上へ新しい靴跡が重なり、一つは祭壇の近くまで続いていた。もう一つは奥の壁際へ向かい、そこで急に途切れていた。
「ここ」
鈴葉が指差した。
壁際の灰が不自然に盛り上がっていた。アレンが近づくと、その向こうに焼けた板が斜めに倒れ、その下から布の端が見えていた。
「人だ!」
ガレスがすぐに槍を置き、板へ手をかけた。
三人で慎重に持ち上げると、その下に若い男がうずくまっていた。意識はあり、顔と腕を煤で汚していたが、大きな出血はなかった。
「大丈夫か?」
アレンが肩へ手を添えると、男は激しく咳き込みながら頷いた。
「……生きてる。ほかの三人は、裏へ……」
「何があった?」
「光が……急に近くなった。祠の上を通ったと思ったら、火が走って……」
男はそこで咳き込み、言葉を止めた。鈴葉が水袋を差し出し、少しずつ飲ませた。
「鳥だった?」
土地の者の一人が入口から尋ねた。
男はすぐには答えなかった。
「分からない。大きかった。でも、赤すぎて形が見えなかった」
アレンはその言葉を頭に留めた。大きいことも、赤いことも、それだけでは正体を決める材料にはならなかった。
◇
男を祠の外へ連れ出し、土地の者二人に預けたあと、アレンたちは裏へ回った。
祠の背後は岩壁との間が狭く、熱気がこもっていた。三人分の足跡はそこからさらに奥へ続いていた。十数歩進んだところで、低い石垣の陰から声がした。
「誰か……いるのか?」
土地の男が先に駆け寄った。
そこには残りの三人が身を寄せていた。一人は左手を布で巻き、もう一人は額に浅い傷を負っていたが、全員が意識を保っていた。最後の一人はほとんど傷がなく、岩陰から祠の方を警戒するように見ていた。
「全員いるな」
ガレスが息を吐いた。
「何があった?」
額を傷めた女が祠を見た。
「昨日の夜、赤い光を見た。最初は火口の方にあったのに、急に谷へ降りてきたの。追ったわけじゃない。祠まで来た時には、もう上にいた」
「上?」
「空。たぶん」
女は自信がないように言葉を弱めた。
「熱くなって、祠の屋根が燃えた。私たちは裏へ逃げた。あの人だけ中に取り残されて……戻ろうとしたけど、火が強くて近づけなかった」
「姿は見た?」
鈴葉が尋ねた。
「はっきりとは。翼みたいなものは見えた。でも、炎なのか身体なのか分からなかった」
また一つ、断定できない証言が増えた。アレンは腰の小袋へ入れた羽根のことを思い出したが、その場で取り出さなかった。焼けない羽根と、赤い光と、翼らしきもの。それらが同じ出来事に関係している可能性はあった。それでも、まだ確かめられていなかった。
◇
四人を祠の前へ集め、傷の状態を確認した。左手を巻いていた男は熱い石に触れて軽く火傷しただけで、額の傷も転倒した際に岩へ擦ってできたものだった。歩けない者はいない。ガレスは全員が自力で戻れることを確認してから、祠をもう一度調べることにした。
「長居はしないぞ」
「分かってる」
アレンと鈴葉は焼けた内部へ戻った。
祭壇の前では、先ほど救助した男の足跡の脇から、古い煤に隠れていた模様の一部が覗いていた。アレンが灰を払うと、床石に円形の刻みが現れ、その周囲を囲むように七つの小さな印が彫られていた。
「七つ……」
思わず声が漏れた。
鈴葉も隣へしゃがみ込んだが、すぐには何も言わなかった。
アレンはさらに祭壇の背後へ目を向けた。壁の石板には、焼け残った線刻がいくつも残っていた。中央部分は熱で黒く変色していたものの、上部には翼を広げた鳥のようにも見える輪郭があり、その周囲には形の異なる印が並んでいた。
「これ、七神獣に関係あるのか?」
アレンが尋ねても、鈴葉は答えなかった。
「分からない?」
「……分からないわけじゃない」
鈴葉の声は、さっきまでより少し低かった。
「でも、今ここで一つだけ見て決める話じゃない」
アレンは彼女の横顔を見た。
「何か知ってるんだな」
鈴葉は石板から視線を外さなかった。
「知ってることはある。でも、アレンが思ってるほど単純じゃない」
その言葉に、アレンはそれ以上追及しなかった。
代わりに祭壇の端へ目を向けると、そこにも赤い羽枝の小さな欠片が挟まっていた。これまで谷で見つけたものとよく似ていた。だが、祠の中にあったからといって、この祠が何を祀っていたのかも、昨夜の赤い光の正体も決められるわけではなかった。アレンは触れずに、その位置だけを覚えておいた。
◇
祠を出る頃には、谷の上を流れる灰が少し薄くなっていた。傷のある者は土地の者たちに支えられ、四人とも分岐へ戻る準備を始めた。ガレスは人数を確認し、誰も残っていないことを確かめた。
「これで探しに来た目的は終わりだ。戻るぞ」
「うん」
アレンは最後に一度だけ焼けた祠を振り返った。昨夜、何かがここを通り、火を残した。焼けない羽根の欠片も、翼らしき影の証言も、七つの印が刻まれた古い石板もある。それでも、まだ一つの答えにまとめるには足りなかった。
歩き出してしばらくすると、鈴葉が隣へ並んだ。
「さっきのこと、気になる?」
「そりゃ気になるよ。七つの印も、あの石板も」
「そうよね」
「鈴葉は何を知ってる?」
彼女はすぐには答えず、赤い谷の奥を一度だけ振り返った。
「戻りながら話すわ」
その声は静かだったが、いつもの軽さはなかった。アレンはそれ以上急かさず、焼けた祠を背にして谷を戻り始めた。
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