↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
112/142

第四章 第二十五話 炎に棲む獣

赤い岩の向こうで動いた影は、すぐには姿を現さなかった。盆地にいる全員が息を潜める中、鈴葉は右手の岩壁へ視線を固定したまま、ゆっくりと足を引いた。ガレスも槍を構え、七人の土地の者たちは互いに距離を詰めた。焦げた臭いは先ほどより濃くなり、熱い風が谷の奥から断続的に流れてきていた。


「人じゃない」


 鈴葉が低く言った。


「分かるのか?」


「歩き方が違う。重いのに、足音が短い」


 アレンは剣の柄へ手をかけた。岩陰の奥で、もう一度乾いた破裂音が鳴った。次の瞬間、赤い岩の裏から何かが這い出した。


 四つ脚だった。大型の狼より一回り大きいが、体つきは狼のような獣というより、太い蜥蜴に近い。背から尾にかけて黒い鱗が重なり、その隙間には赤い光が細く走っていた。口を開くたび、喉の奥で橙色の火が脈打ち、吐息と一緒に火の粉が散った。


「灼岩獣……」


 土地の老人が掠れた声で呟いた。


「知ってるのか?」


「もっと深い熱穴にいる魔獣だ。こんな採掘場まで上がってくる奴じゃない」


 その言葉が終わる前に、灼岩獣が低く身を沈めた。


◇


「散れ!」


 ガレスの声と同時に、全員が左右へ動いた。灼岩獣は前脚で地面を蹴り、先ほどまで人が集まっていた場所へ飛び込んだ。鉤のような爪が赤い岩を削り、火の粉が弾けた。


 アレンは横へ回り込み、剣を抜いた。灼岩獣が首を振ると、口元から短い炎が走った。長く吐き続ける火ではない。それでも熱気は強く、アレンは正面へ踏み込まず、岩壁を背にしないよう距離を取った。


「アレン、左!」


 鈴葉の声で視線を動かす。灼岩獣の尾が横薙ぎに振られ、灰と小石が跳ね上がった。アレンは一歩下がってかわし、その隙にガレスが側面から槍を突き出した。穂先は肩口の鱗へ当たったが、硬い音を立てて弾かれた。


「固いな!」


「赤く光ってる隙間を狙える?」


 鈴葉が言った。


「動きが止まればな!」


 土地の者たちは負傷者が出ないよう盆地の外縁へ下がった。だが、その一人が突然、奥の坑道を指差した。


「待ってくれ! あそこ!」


 黒い坑道の入口から、人の腕が見えた。灰と煤に汚れた男が岩壁へ身体を預けながら出てくる。


「セド!」


 革紐を拾った男が叫んだ。


「来るな!」


 セドと呼ばれた男は片脚を引きずりながら、必死に手を振った。


「奥に二人いる! こいつが入口から離れねえ!」


 灼岩獣が声へ反応し、首を坑道側へ向けた。アレンは考えるより先に走り、剣の腹で岩を強く叩いた。


「こっちだ!」


 甲高い音に灼岩獣の頭が戻り、音のした方へ火の粉混じりの息を吐いた。注意がアレンへ向いた瞬間、鈴葉が反対側から石を蹴り飛ばし、さらに視線を散らした。


「ガレス、今!」


「分かってる!」


 ガレスの槍が前脚の付け根へ滑り込み、鱗の薄い部分を浅く裂いた。灼岩獣が甲高い声を上げ、身体を大きく捻った。尾がガレスを狙ったが、アレンが横から剣を入れ、尾の軌道をわずかに逸らした。その際に地面へ散った火の粉が、乾いた木片へ燃え移った。


◇


 火は古い木組みを舐めるように広がった。谷の熱と乾燥のせいで、燃え移るのが早かった。


「坑道から出せ!」


 ガレスが叫んだ。


 七人のうち三人がセドへ駆け寄り、残りの四人は坑道の奥へ入った。アレンとガレスが灼岩獣を引きつけ、鈴葉は燃え始めた木組みと救助する者たちの間を行き来しながら退路を確保した。


 灼岩獣は傷ついた前脚を庇いながらも退かなかった。むしろ火が広がるほど動きが速くなり、燃える木片の間へ平然と踏み込んできた。鱗の隙間を走る赤い光も、先ほどより強くなっていた。


「炎を怖がってない……」


「むしろ近づいてるわ」


 鈴葉の言葉に、アレンは灼岩獣の足元を見た。燃えた木片を踏んでも速度は落ちず、炎の中にいる方が落ち着いているようにさえ見えた。


 その時、坑道から二人が運び出された。一人は肩を負傷し、もう一人は熱気を吸い込んだのか激しく咳き込んでいた。それでも意識はあった。


「全員か!」


 ガレスが叫ぶ。


 セドが苦しそうに首を振った。


「俺たちは三人だ! 残りは……もっと奥へ行った!」


「何人?」


「四人! 昨日、赤い光を見たって……それを確かめるって谷の先へ!」


 アレンは一瞬だけ奥の道へ目を向けた。だが、今はそちらへ行けなかった。灼岩獣が再び身を低くし、燃える木組みの向こうから飛び出した。


「まずこいつだ!」


 アレンは真正面ではなく、左へ踏み込んだ。灼岩獣もそれを追うように首を振り、その動きに合わせてガレスが傷ついた前脚の側へ回り込んだ。鈴葉も反対側から声を上げ、三方向へ注意を散らした。


 灼岩獣が苛立ったように口を開いた。炎が来ると判断した瞬間、アレンは近くの崩れた木枠を蹴った。半ば炭化した木材が倒れ、灼岩獣の前へ落ちる。魔獣が反射的に頭を上げた一瞬、ガレスの槍が傷口へ深く突き刺さった。


 灼岩獣は激しく暴れて槍を振り払ったが、傷ついた前脚に体重をかけられなくなり、数歩よろめいた。そのままアレンたちへ向かってくるかと思われたが、突然身を翻し、盆地の端にある岩の裂け目へ走った。


「追うな!」


 ガレスの声に、アレンは足を止めた。灼岩獣は裂け目の前で一度だけ振り返り、低い唸り声を上げると、その奥へ身体を滑り込ませた。赤い光が闇の中へ沈み、ほどなく姿が見えなくなった。


◇


 アレンたちは灼岩獣を追わず、まず火を消して救助した三人の状態を確かめた。幸い、すぐに命へ関わる傷はなかった。セドの脚には捻挫と思われる腫れと裂傷があり、肩を傷めた男も骨までは折れていないようだった。もう一人は水を少しずつ飲ませると、次第に咳が落ち着いた。


「灼岩獣は、いつからここに?」


 鈴葉が尋ねると、セドは首を振った。


「昨日ここへ着いた時はいなかった。夜になって谷の奥から出てきた。俺たちが坑道へ逃げ込んだら、ずっと入口の近くをうろついてた」


「追いかけてきたの?」


「分からない。ただ……あいつも何かから逃げてきたみたいだった」


 アレンはその言葉に反応した。


「何かから?」


「谷の奥を何度も振り返ってた。最初に見た時も、俺たちじゃなく後ろを気にしてた」


 セド自身も理由は分からないらしい。アレンはそこで意味を決めつけず、燃え跡へ視線を戻した。


 古い木組みは黒く炭化し、地面にはまだ小さな炎が残っていた。土地の者たちが灰をかけて消していく中、鈴葉が一か所で足を止めた。


「アレン」


「どうした?」


 彼女の視線の先には、さっきまで強く燃えていた場所があった。周囲の木片は炭になり、布の切れ端も黒く縮れていた。それなのに、その中央には一つだけ焼けずに残ったものがあった。細長く、羽根のようにも見える何かが、まだ熱を持つ灰の上に横たわっていた。

読んでくださり、ありがとうございます!

楽しんでいただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。