↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
111/143

第四章 第二十四話 赤い谷

旧道をさらに登ると、灰の向こうから崩落地点が姿を現した。道幅いっぱいに岩と土砂が折り重なり、斜面の一部そのものが崩れ落ちていた。一人ずつ越えるだけなら足場を探せるかもしれないが、まともな道として使える状態ではなかった。二週間前に北の旧道が使えなくなったという話を、アレンはようやく目の前の景色として理解した。


 ガレスは崩れた斜面へ近づき、足元を確かめながら首を振った。


「ここまでだ。バルドに言われた範囲はな」


 七人の土地の者たちも反論しなかった。だが先頭の男は、崩落の左手へ続く細い下り道を見ていた。赤茶けた岩壁の隙間へ吸い込まれるように、古い石段が谷底へ続いていた。


「赤い谷の入口だ」


 アレンは石段の手前へ近づいた。そこにも灰は積もっていたが、旧道ほど厚くない。下から吹き上がる暖かな空気が、細かな灰を絶えず舞い上げていた。


 その灰の上には、足跡が残っていた。


「昨日の連中か?」


 ガレスが膝を折る。


「たぶん。でも……」


 アレンは足跡の横へ視線を移した。石段の端に、小さな革紐が引っかかっている。土地の男の一人がそれを拾い上げた瞬間、顔色を変えた。


「これ、セドの水筒の紐だ」


「知り合い?」


「隣の集落の奴だ。昨日、先に山へ入ったって聞いてた」


 足跡は谷へ下り、そのまま赤い岩の間へ消えていた。戻ってきた跡は、少なくともここからは見つからなかった。アレンは谷へ目を向けたが、すぐに一歩下がった。


「戻ろう」


 七人の何人かが驚いた顔をした。


「行かないのか?」


「バルドとの約束はここまでだ。先へ行くなら、一度戻って話す」


 鈴葉が小さく頷き、ガレスも当然だというように槍を肩へ戻した。


「それでいい。証拠は見つけた。今度は報告して決める」


◇


 分岐へ戻る頃には、本道側の作業はまだ終わっていなかった。ローデンとミックが崩れた土を除き、御者たちが石を道の端へ運んでいた。ニアは商隊の上空を警戒しながら、アレンたちの姿を見つけるとすぐに近づいてきた。


「どうだった?」


 ガレスが崩落地点と赤い谷の入口、それから見つけた革紐について説明した。土地の男も、持ち主が昨日先行したセドという男だと証言した。バルドは最後まで黙って聞き、しばらく北の道を見上げた。


「谷へ入った足跡は確かなんだな?」


「ああ」


「戻った跡は?」


「見つけられなかった」


 バルドは短く息を吐いた。本道はまだ荷馬車を通せる状態ではなく、作業にはもうしばらく時間がかかる。一方で、先行した者たちが赤い谷へ入り、戻っていない可能性が高くなった。


「分かった。ただし目的を変えるな」


 アレンが顔を上げる。


「火口を見に行くんじゃねえ。行方の分からねえ連中の様子を確かめる。それだけだ。危険が増えたら戻れ。谷の先まで追い続けるな」


「分かった」


「ガレス、お前が引き際を決めろ」


「任せろ」


 バルドは七人の土地の者たちにも目を向けた。


「お前らが先へ行くのを俺は止められねえ。だが、こいつら三人を無理に付き合わせるな」


 先頭の男は真剣な顔で頷いた。


「分かってる」


 アレンは水袋と灰避けの布を確かめ直した。鈴葉も外套の袖を締め、ガレスは槍の石突きを地面へ一度打ちつけた。今度は許可を得た上で、三人は七人とともに北の旧道へ戻った。


◇


 赤い谷へ降りた瞬間、空気が変わった。


 外では冷たかった灰が、谷の中では生ぬるい風に巻かれていた。左右の岩壁は名前の通り赤く、ところどころ黒い筋が走っていた。昔の採掘跡らしい四角い穴や崩れた支柱も残っていたが、長く使われていないのか、木は乾ききって表面が割れていた。


「暑い……」


 アレンが口元の布を少し浮かせた。


「まだ入口よ」


 鈴葉は冗談を言う様子もなく、耳を澄ませながら周囲を見ていた。


 谷底の道は広くなかった。片側には赤い岩壁、もう片側には湯気のような白い気体を吐き出す亀裂が点在していた。亀裂へ近づけば肌を刺すような熱気が伝わり、時折、地面の下から小さく石が弾ける音がした。


「亀裂のそばを歩くな」


 先頭の男が振り返った。


「急に熱気が噴くことがある。白いのが出てなくても油断するな」


 全員が進路を岩壁側へ寄せた。灰は谷底にも積もっていたが、外より薄かった。そのため先行者の足跡はかえって追いやすく、七、八人分ほどの跡が同じ方向へ続き、ときどき一つだけ大きく横へ逸れていた。


「誰か足を取られたみたい」


 鈴葉が低く言った。


 少し先には、手をついたような跡もあった。血は見えない。アレンはそこで余計な結論を出さず、足跡の続きを確認した。


 谷は奥へ進むほど狭くなり、赤い岩壁が頭上へ迫ってきた。空は細い帯のようにしか見えず、外で降っていた灰もほとんど届かなかった。その代わり熱が逃げにくくなり、呼吸をするたび乾いた空気が喉へまとわりついた。


「この先に昔の採掘場がある」


 土地の老人が杖で前を示した。


「広くなってる場所だ。昨日の連中が休むなら、そこだと思う」


 ガレスが歩調を落とした。


「全員、間を空けすぎるな。何かあったらすぐ声を出せ」


 返事が重なった。


◇


 やがて岩壁が左右へ開き、谷の中に小さな盆地のような空間が現れた。崩れた木組みと古い採掘道具が半ば灰に埋もれ、奥には黒く口を開けた坑道跡がいくつも並んでいた。


 人の姿はなかった。だが、足跡はそこで終わっていなかった。アレンたちが近づくと、先行者の跡は盆地を横切り、さらに奥の細い谷道へ続いていた。その途中で、鈴葉が不意に手を上げた。


「待って」


 全員が止まった。鈴葉は地面ではなく、右手の岩壁を見ていた。


「何かいる?」


 アレンが声を落とした。


「分からない。でも……匂いが変」


 アレンも口元の布を少しずらし、すぐに眉を寄せた。硫黄や熱い岩とは違う、焦げたような臭いが混じっていた。ガレスが槍を構え、岩壁へ近づいた。


 赤い岩の表面には、黒く焼けた跡が残っていた。焚き火をしたような丸い焦げ方ではない。地面から岩壁へ向かって斜めに伸び、何本もの細い筋が爪痕のように重なっていた。


「昨日の連中がやったのか?」


 土地の男が尋ねる。


「分からない」


 アレンは答えた。


 その時、盆地の奥から乾いた音がした。石を踏み割ったような、小さな破裂音だった。続いて熱い風が一度だけ谷の奥から吹き抜け、全員の視線が同じ方向へ向いた。赤い岩の向こうで、何かが動いたように見えた。


 ただ、それが人なのか獣なのかまでは、まだ分からなかった。

読んでくださり、ありがとうございます!

楽しんでいただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。