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セイクリッドボーン  神獣と忘れられた血  作者: 鈴木 明
第四章 灰の大地と二つの翼
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第四章 第二十三話 火口へ向かう者たち

灰の雨は、翌朝になっても完全には止まなかった。


 前日ほど激しくはない。それでも空は白く濁り、風が吹くたびに細かな灰が斜めに流れてくる。商隊は夜明けと同時には動かず、まず道と馬の状態を確かめた。幌の上に積もった灰を払い、車軸へ入り込んだ粉を拭き取り、馬の目や鼻の周りを濡れた布で何度も洗う。足を痛めた旅人の足首は昨夜より腫れが引いていたが、まだ自力で長く歩ける状態ではなかった。


 バルドは空を見上げ、次に西へ延びる街道へ目を向けた。


「昨日よりは見える。だが、急がねえ。北の旧道との分岐までは進む。そこでまた決める」


 その言葉に全員が頷いた。アレンも口元へ灰避けの布を巻き直し、荷馬車の中央へ戻った。昨日会った旅人たちの話では、少なくとも七、八人が北の旧道を通って火口側へ向かったという。二週間前に崩落した道だと分かっていて、それでも先へ進んだ者たちがいる。


「まだ気にしてる?」


 鈴葉が隣から聞いた。


「そりゃな」


「追いかけたい?」


「今すぐ勝手に、とは思ってない」


「それならいいわ」


 鈴葉はそれ以上何も言わなかった。


◇


 昼前、街道は灰色の岩壁の間で二つに分かれた。


 西へ続く本道は緩やかに下り、北へ折れる古い道は山の斜面へ向かって上っている。木製の古い標識にはかろうじて文字が残っていたが、北側を示す板は途中から割れ、根元には新しい灰が厚く積もっていた。


「ここだ」


 昨日の旅人の一人が言った。


 バルドは商隊を分岐の手前で止め、ガレスとニアを北の旧道へ数十歩だけ先行させた。二人は地面と斜面を確かめてから戻ってくる。


「足跡がある」


 ニアが言った。


「新しいのか?」


「灰の上についてる。昨日か今朝かまでは分からないけど、何人か通ってる」


「戻ってきた跡は?」


「少ない。少なくとも、入っていった数と同じには見えない」


 アレンは北の道を見上げた。灰に覆われた斜面の向こうで道は曲がっており、その先までは見えない。その時、上の方から人の声が聞こえた。


「誰かいる!」


 ミックが叫ぶ。


 しばらくすると、灰の中から四人の姿が現れた。全員が顔を布で覆い、背には水や道具を入れた小さな荷を背負っている。先頭を歩くのは五十歳ほどの男で、その後ろに若い男女が二人、最後に杖をついた痩せた老人が続いていた。彼らは商隊を見ると足を止めた。


「下へ戻るのか?」


 バルドが尋ねる。


 先頭の男は首を振った。


「違う。仲間を待ってた。あと三人来る」


「上へ行くつもりか?」


「ああ」


「二週間前に崩れた道だぞ」


「知ってる」


 男の返事に迷いはなかった。


◇


 四人は火山麓の別々の集落から来た者たちだった。


 大きな揺れが増え、灰が急に濃くなり、昨夜から家畜まで落ち着きを失っている。原因が分からないまま待つことに耐えられず、火口に近い場所まで状況を見に行こうとしているらしい。


「見てどうする?」


 バルドが聞いた。


「火口の南側に、昔の見張り場がある。そこまで行けば煙の出方と斜面の割れ方が見える」


「崩落地点の先だろ」


「旧道をそのまま進めばそうだ。だが、崩れた場所の手前から赤い谷へ降りれば迂回できる」


 その言葉に、昨日の旅人が顔をしかめた。


「赤い谷を使うのか?」


「他に近い道がない」


「今の灰で入る場所じゃないだろ」


「だから人数を集めてる」


 アレンは初めて聞く地名に視線を上げた。


「赤い谷?」


 男がアレンを見る。


「火山の古い裂け目だ。岩が赤い。熱の抜ける穴が多くて、昔は採掘にも使われた。今はほとんど誰も入らない」


「危ないから?」


「足場も悪いし、熱気が急に噴く場所がある。魔獣もいる」


 鈴葉がわずかに眉を寄せた。


「それでも行くの?」


「麓の集落には、山から離れられない人間もいる。家畜も畑も井戸も全部ここにある。噴火するのか、しないのか。少しでも分かるなら見ておきたい」


 アレンは返す言葉を失った。無謀だとは思う。だが、彼らにとって山の異変は遠くから眺めていればいいものではない。バルドもすぐには否定しなかった。


「人数は?」


「俺たち四人と、あと三人。昨日先に入った連中とも途中で合流する予定だ」


「昨日の連中は戻ってない」


 その言葉に男の表情が変わった。


「一人も?」


「少なくとも、俺たちは見てない」


 男は一度だけ北の道へ目を向け、黙り込んだ。


◇


 ほどなくして、約束していた三人も分岐へ到着した。


 これで火口側へ向かう者は七人になった。全員が土地の人間で、道具や水、簡単な応急手当の道具を持っている。無計画に山へ入る者たちではなかったが、それでも灰の中の崩れた旧道へ進む危険が消えるわけではない。


 バルドは腕を組み、しばらく七人を見ていた。


「俺は商隊を置いて行けねえ」


「分かってる」


「こっちは荷を届ける仕事だ。護衛も六人しかいない」


 アレンは黙って聞いていた。


 やがてバルドがこちらを見る。


「ただ、この灰じゃ本道もすぐには進めねえ。さっきローデンとミックに西側を少し見に行かせたが、小さな崩れがある。荷馬車を通すには手を入れた方がいい」


「どれくらい?」


「少なくとも数時間だ」


 ガレスが北の旧道へ目を向けた。


「その間に、入口から崩落地点の手前まで確認する手はあるな」


 バルドは頷いたが、すぐに続けた。


「深くは入るな。商隊を守る人数は残す。崩落地点の手前までだ」


 ニアが北の道を見る。


「誰が行く?」


 バルドの視線がアレンと鈴葉へ向いた。


「お前ら二人と、ガレス。土地勘のある連中と一緒に崩落地点の手前まで行け。昨日入った連中が戻れなくなってるなら、そこで何か分かるかもしれねえ」


「ニアは?」


「こっちに残す。空から来られた時、弓がいないと困る」


 ニアは不満そうにはしなかった。


「妥当ね」


 アレンは北の旧道を見上げた。


「崩落地点まででいいんだな」


「それより先へ行くなら、一度戻って話せ」


「分かった」


 鈴葉も短く頷いた。


◇


 商隊を離れる前に、アレンは荷物から必要なものだけを取り出した。水袋、灰避けの布、短い縄、簡単な応急手当の道具。金属の羽根は荷の奥へ縫い付けた小袋に残したままにした。


 北の旧道へ入る七人の後ろに、アレン、鈴葉、ガレスが続く。道は最初こそ広かったが、数百歩も進まないうちに灰が深くなった。ところどころで赤茶けた岩が地面から覗き、斜面の裂け目から暖かい空気が吹き上がっている。


「もう熱いな」


 アレンが言うと、先頭の男が振り返った。


「ここはまだましだ。赤い谷へ下りると、もっと熱がこもる」


「谷へ入る前に崩落地点があるんだよな?」


「ああ。そこまでは旧道を使う」


 風が吹き、灰が一斉に舞い上がった。視界が白く霞み、前を歩く人間の背中さえ一瞬ぼやける。アレンは口元の布を押さえながら足元へ視線を落とした。灰の上には、北へ向かういくつもの足跡が残っていた。昨日から続くものの上へ、さらに新しい足跡が重なっている。だが、その中に、途中から歩幅が大きく乱れているものがあった。


「待って」


 アレンが声をかけると、全員が止まった。ガレスが隣へ来て足跡を覗き込み、眉を寄せる。


「走った跡か?」


「分からない。でも、歩幅が急に変わってる」


 鈴葉もその先へ視線を向けた。旧道は少し先で右へ曲がり、その向こうは灰に隠れて見えない。ちょうどその時、風が一度途切れ、静けさの中で山の奥から低い音が響いた。地鳴りではない。何かが遠くで吠えたような声に、七人のうち一人が顔を上げる。


「……今のは」


 誰もすぐには答えられなかった。アレンも断定せず、耳に残る音を二日前に火口の方角から聞いた咆哮と比べた。似ているとは思えない。それでも、少なくとも山側から届いたようには聞こえた。


 先頭の男が灰の向こうを見据えた。


「崩落地点は、もうすぐだ。その先に赤い谷がある」


 アレンは鈴葉と視線を交わした。まだ引き返す理由はない。だが、何も起きていないとも言えなくなっていた。二人は言葉を交わさず、ガレスや七人の土地の者たちとともに足跡を追いながら、灰に覆われた旧道をさらに山側へ進んでいった。

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