第四章 第二十話 語られない理由
グリフィンの問いが、夕暮れの野営地に重く残った。
「――その羽根を、どこで手に入れた」
アレンは掌の上の金属の羽根を見下ろした。七つの刻みと、その外側に残る消去の痕跡。王都で何度見ても答えの出なかったそれを、目の前の神獣は確かに知っているらしい。
「母さんから渡された」
グリフィンの金色の瞳がわずかに細くなった。
「母さんが持ってたものだ。どうして持ってたのかまでは知らない。意味も、誰が作ったのかも聞いてない」
「……そうか」
返った声は低かった。アレンは思わず一歩踏み出しかけ、鈴葉の横顔が視界に入って足を止めた。焦って距離を詰めても答えが増えるわけではない。分かっている。それでも、長く手元にありながら何も分からなかった物を知る存在が、今は目の前にいる。
「グリフィン。これが何なのか知ってるんだろ?」
グリフィンは答えなかった。
「七つの刻みのことも、この消された跡のことも?」
今度は、金色の瞳が羽根からアレンへ戻った。
「知っていることはある」
その答えに、アレンの胸の奥が強く鳴った。知らないのではない。その事実だけで、長く止まっていたものが急に動き出したように感じた。
「なら――」
「だが、語れない」
短い言葉に、アレンは続きを飲み込んだ。答えへ近づいたはずなのに、その先を塞ぐ壁だけが急に形を持ったようだった。
◇
「どうして?」
アレンの声には、自分でも隠しきれない苛立ちが混じった。
「知らないなら仕方ない。でも、知ってるのに言えないって、それじゃ……」
「アレン」
鈴葉に静かに名を呼ばれ、アレンは口を閉じた。怒鳴ったわけではない。だが、答えを求める気持ちが先に立っていたことには気づいた。
グリフィンは逃げることも、翼を広げることもなかった。しばらくアレンを見つめたあと、低く言った。
「知ることと、語ることは同じではない」
アレンは眉を寄せた。
「昔、私は一つの責任を引き受けた。ある過去について、それに関わる者が自ら答えへ辿り着くより先に、私の言葉で答えを与えぬことだ」
「……約束?」
「そう呼んでもよい」
「誰との?」
グリフィンは沈黙した。
その沈黙だけで、答えられないのだと分かった。アレンはグリフィンから目を逸らさず、もう一度尋ねた。
「それも言えないのか」
「言えば、今語れぬものの輪郭までお前に与える」
アレンは反射的に言葉を返しかけたが、止めた。誰と交わした約束なのかを知れば、その相手と羽根の関係まで絞れてしまう。グリフィンは単に秘密を抱えているのではない。何を言えば、どこまで先の答えが見えてしまうのかを考えながら言葉を選んでいる。
「私が黙るのは、お前を試すためではない」
グリフィンが続けた。
「知らぬまま苦しめたいからでもない。私が引き受けたものを、私自身の都合で破らぬためだ」
その声には迷いがなかった。鈴葉は少し離れた場所からグリフィンを見ていたが、口を挟まなかった。彼女にも、この約束の中身までは分からないのだろう。アレンは掌の羽根へ目を落とした。
「じゃあ、何も聞けない?」
「何を問うかによる」
意外な返事に、アレンは顔を上げた。
◇
風が岩壁の間を抜け、地面の灰を薄くさらった。野営地の向こうではバルドたちが距離を保っている。誰もこちらへ近づかない。
アレンはすぐに質問を重ねなかった。今のグリフィンが答えられる問いは何かを考えた。
「この羽根を、見たことはある?」
「ああ」
今度は迷いのない答えだった。
アレンの指がわずかに動いた。
「同じものを?」
「そこまでは答えられない」
「……分かった」
少なくとも、この形に見覚えがある。それ以上へ踏み込めば、約束に触れるらしい。
「じゃあ、この羽根は俺と無関係じゃない?」
グリフィンはしばらくアレンを見た。
「お前がそれを持っていることを、偶然とは思っていない」
それ以上の言葉は続かなかった。
アレンはその答えを頭の中で何度か確かめた。自分が持っていることには何らかの意味がある。だが、それが何を意味するのかはまだ分からず、そこから自分の過去について何かを断定できる材料もなかった。
「この消された跡は?」
羽根を少し傾け、七つの刻みの外側を示す。
グリフィンの瞳がそこへ向いた。
「それについては、今の私から語れることはない」
「そこに消された跡があることは、分かってるんだよな?」
「お前が見ているものを、私も見ている」
答えはそれだけだった。肯定にも否定にも余計な意味を加えない言い方だった。アレンは息を吐き、羽根を掌へ戻した。もどかしさは消えない。それでも、最初よりは分かったことがある。グリフィンは羽根について何も知らないわけではない。そして、黙っているのも気まぐれではない。
「その約束は、いつか終わるのか?」
最後にそう尋ねると、グリフィンはわずかに頭を上げた。
「終わる時を、私が選ぶものではない」
「じゃあ、何が決める?」
「それを語れば、また一歩先の答えを与えることになる」
アレンはしばらくグリフィンを見つめ、それ以上は尋ねなかった。
◇
グリフィンはしばらくその場に留まったあと、ゆっくりと翼を広げた。灰が舞い上がり、夕暮れの光の中で薄い幕となる。
「待って」
アレンが呼ぶと、グリフィンは一度だけこちらを見た。
「答えてくれたことは……ありがとう」
すべてを教えてもらえたわけではない。それでも、語らない理由まで隠されたままよりはずっとよかった。
グリフィンは何も返さず、地面を蹴った。巨大な翼が空気を打ち、岩場から巨体が浮かび上がる。数度の羽ばたきで野営地を離れると、やがて山の方角へ高度を上げていった。
姿が遠ざかったあと、鈴葉がアレンの隣へ来た。
「納得した?」
「全部は無理」
「でしょうね」
「でも、ただ黙られたわけじゃないってことは分かった」
アレンは掌の上に残る金属の羽根を見た。
「知ってることを言わないんじゃなくて、言えば約束を破ることになる。少なくとも、グリフィンはそう考えてる」
「なら、その先を勝手に決めないことね」
「分かってる」
今度は迷わず答えた。
アレンは羽根を小袋へ戻し、外套の内側から自分の荷物へ移した。荷の奥に縫い付けた小袋へ収め直し、口が閉じていることを指で確かめる。羽根の正体も、七つの刻みの意味も、消された痕跡の向こうに何があるのかも、まだ分からない。ただ、それらを知る者が存在し、なお語らないだけの理由があることは確かになった。
答えが遠ざかったわけではない。まだ自分がそこまで辿り着いていないだけなのだと、アレンはそう受け止めた。
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