第四章 第十九話 羽根を見る眼
あの日の影がグリフィンだったと確かめたあと、商隊は尾根を下り、夕暮れまで西へ進み続けた。黒灰色の岩肌は次第に近くなり、街道の両側には背の低い草さえほとんど見えなくなっている。風が弱まれば灰は地面へ沈み、強く吹けば薄い幕となって道を横切った。
日が山の向こうへ傾き始めた頃、バルドは岩壁に囲まれた窪地をその日の野営地に選んだ。御者たちは六台の荷馬車を風上側へ寄せて並べ、その内側に馬を集めた。飛行魔獣に襲われた記憶がまだ新しいため、ガレスとニアは上空を、ローデンとミックは周囲の岩場を重点的に警戒していた。
アレンも荷を下ろす作業を手伝いながら、自分の荷物を開いた。水袋と補修道具を確認し、布の隙間へ灰が入り込んでいないかを確かめる。その途中で、荷の内側に縫い付けた小袋へ指が触れた。
金属の羽根だった。
王都を出る前、落とさないよう荷のさらに内側へ移したものだ。アレンはしばらく手を止めた。七つの位置を示す刻みと、その外側に残された不自然な消去の痕跡。王都で調べても答えは得られず、むしろ誰かが意図的に一つの位置を消した可能性だけが強く残った。
「どうしたの?」
鈴葉が荷馬車の反対側から覗き込んだ。
「これ」
アレンは小袋を指先で示した。
「金属の羽根?」
「うん。グリフィンなら、何か知ってるのかなって思って」
鈴葉はすぐには答えなかった。
「七神獣だから?」
「七つの位置がある。俺たちが知ってる七神獣も七体だ。前から関係があるかもしれないとは思ってた。でも、今までは確かめられそうな相手が鈴葉しかいなかっただろ」
「私は知らなかったものね」
「だから、もしまたグリフィンが来たら……見せてみてもいいかなって」
鈴葉は羽根そのものではなく、アレンの顔を見た。
「答えてくれるとは限らないわよ」
「分かってる。ただ、反応するかどうかだけでも知りたい」
「なら、勝手に近づけないこと。向こうが嫌がったら、すぐに下げる」
「分かった」
アレンは小袋を元の場所へ戻さず、外套の内側へしまった。
◇
夕食の支度が始まってしばらくした頃、馬たちが一斉に西の空へ顔を向けた。
今度は誰かが声を上げるより早く、アレンも気づいた。低い羽ばたきの音が岩壁の向こうから届き、灰の上を大きな影が流れる。ガレスとニアが立ち上がったが、武器を構える前にバルドが片手を上げた。
「待て。グリフィンだ」
岩壁の向こうから巨大な翼が現れた。グリフィンは野営地の上を一度旋回すると、そのまま少し離れた平らな岩場へ降りてきた。大きな翼が灰を巻き上げ、前脚と後脚が順に地面を捉えた。
これまでにもグリフィンの姿を見ていたためか、馬たちは怯えながらも暴れなかった。グリフィンも商隊へ近づかず、十数歩ほど離れた場所で翼を畳んだ。
「来たな」
アレンが小さく言うと、鈴葉が隣へ立った。
「見せるなら、ゆっくり」
「うん」
アレンは外套の内側へ手を入れ、小袋を取り出した。まだ中身は見せない。グリフィンの金色の瞳がこちらへ向いていることを確かめてから、数歩だけ前へ進んだ。
「飛行魔獣の時は、助けてくれたと思ってる。違うかもしれないけど」
グリフィンは動かなかった。
「聞きたいことがあるんだ」
返事はなかった。アレンはそこで立ち止まり、小袋の口を開いた。
金属の羽根を取り出した瞬間、グリフィンの姿勢が変わった。
ほんのわずかな変化だった。それでも、これまでの静かな観察とは明らかに違う。首が上がり、金色の瞳が細くなる。折り畳まれていた翼が途中まで開き、巨大な前脚が岩を踏みしめた。
「アレン、そこで止まって」
鈴葉の声に、アレンは足を止めた。
グリフィンの視線は、アレンではなく、掌の上にある金属の羽根へ向けられていた。
◇
野営地の空気が張り詰めた。ガレスが槍へ手を伸ばしかけたが、ニアが小さく首を振る。バルドも御者たちを荷馬車の陰へ下がらせただけで、誰にも攻撃を命じなかった。
グリフィンが一歩進んだ。
鉤爪が岩へ触れ、硬い音が響く。アレンは金属の羽根を握り込まず、掌の上に載せたまま待った。七つの位置を示す刻みと、その外側に残された消去の痕跡が、夕暮れの光を受けて鈍く浮かんでいる。
もう一歩、グリフィンが距離を詰める。
金色の瞳は羽根の表面から離れなかった。視線が刻みを追っているようにも見えたが、アレンには、それ以上のことまでは分からない。ただ、羽根を取り出す前と後で反応が明らかに変わったことだけは確かだった。
「これを……知ってるのか?」
アレンが尋ねると、グリフィンの足が止まった。
鈴葉も何も言わなかった。
しばらくの沈黙のあと、グリフィンは頭を低くし、嘴の先を羽根へ近づけた。触れる寸前で止まり、そのまま金色の瞳がアレンへ移る。
その視線には、これまでとは違う緊張があった。驚いているようにも見えた。だが、それが本当に驚きなのか、別の感情なのかまでは読み取れなかった。
やがてグリフィンは再び羽根へ目を落とした。その視線が、七つの刻みの外側に残る消去の痕跡で止まったように見えた。
アレンの指先に力が入りかけ、すぐに緩んだ。
「そこも……気になるのか?」
返事はなかった。
この羽根は何なのか。七つの刻みは七神獣と関係しているのか。消された位置には何があったのか。聞きたいことが一気に胸へ押し寄せる。それでも、目の動きだけでグリフィンが何を知っているのかまで決めつけることはできなかった。
アレンが次の言葉を探すより先に、グリフィンがゆっくりと頭を上げた。金色の瞳が、今度はまっすぐアレンを捉える。
そして初めて、グリフィンが人の言葉を口にした。
「――その羽根を、どこで手に入れた」
低く重い声が、夕暮れの野営地に響いた。
アレンは息を止めた。これまで一度も人の言葉を口にしなかった神獣が、金属の羽根を見た途端、はっきりと問いかけてきた。その事実だけで、羽根がグリフィンにとって無関係な物ではないことは分かった。
アレンは掌の上の金属の羽根と、自分を見据える金色の瞳を交互に見た。長く答えのなかった謎を前にして、初めて相手の方から問いが返ってきた。
けれど、その問いの奥に何があるのかは、まだ何一つ語られていなかった。
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