第四章 第十三話 残された足跡
翌朝、村には新たな騒ぎは起きていなかった。夜通し見張りを増やした家畜小屋では、山羊も羊も牛も、昨夜と同じ数がそろっている。村人たちはひとまず胸を撫で下ろしていたが、それで問題が消えたわけではない。昨日の朝にいなくなった三頭の山羊は戻らず、その前に消えた羊や山羊も見つかっていなかった。
商隊は日の出とともに出発の準備を始めていた。バルドは車輪と幌の最終点検に少し時間がかかると判断し、出発を少し遅らせている。その間、アレンと鈴葉は村人の許可を得て、これまで家畜が消えた三か所を見せてもらうことになった。ニアも同行したが、ガレス、ローデン、ミックは商隊側に残っている。護衛全員が調査へ出れば、本来守るべき荷馬車を無防備にしてしまうためだ。
「まずは、昨日の朝に三頭がいなくなっていた山羊小屋からだ」
昨日の老人が先に立ち、山羊小屋へ案内した。柵は昨夜のうちに補強され、新しい板と縄が追加されている。ただ、老人は修理前の状態を覚えており、手を加えていない西側の柵へ三人を連れていった。
「ここは昨日から触ってない。壊れてもいなかった場所だ」
地面には薄く灰が積もっている。村人が行き来した場所はすでに踏み荒らされていたが、柵から少し離れたところには、まだ手つかずの灰が残っていた。アレンがしゃがんで目を凝らすと、小さなくぼみが断続的に続いている。四つ脚の獣が残したものらしいが、輪郭は風で崩れ、種類までは分からない。しかも足跡は家畜小屋へ真っ直ぐ向かわず、途中で横へ逸れ、石の多い地面に入ったところで途切れていた。
「これだけじゃ、山羊をさらった痕跡とは言えないわね」
ニアも隣へしゃがみ、足跡の大きさと間隔を見比べた。
「野生の獣が通っただけかもしれない。大きさも山羊より小さいし、少なくとも三頭を一度に運べるようなものには見えない」
鈴葉は柵の内外をゆっくり見回し、空気の匂いを確かめるようにわずかに顔を上げた。
「人と山羊と犬の匂いが重なってる。それ以外もあるけど、古いし薄い。これだけで追うのは無理ね」
アレンは足跡をもう一度見た。小さな獣がここを通ったことまでは分かる。しかし、それが家畜を消した存在だと結びつける根拠はない。見つけたものを手がかりにすることと、都合よく答えへ変えることは別だった。
◇
二つ目は、四日前に羊が二頭消えた家だった。こちらの柵は山羊小屋より低く、外側には乾いた草地が広がっている。持ち主の女性は、羊を最後に確認した夜の状態を説明しながら柵の端を指した。
「朝になったら二頭だけいなくなってた。扉は閉じたまま。下に穴が開いてたわけでもない」
四日前の痕跡はほとんど残っていなかった。風と人の足で灰の表面は崩れ、何が起きたのかを地面だけから読み取るのは難しい。それでも鈴葉は柵の角で足を止め、内側の板に残る浅い擦れ跡へ目を向けた。
「ここ、少し削れてる」
「羊が自分で擦っただけじゃない?」
女性がそう言うと、鈴葉はすぐに頷いた。
「その可能性はあるわ」
アレンも柵の下へ視線を落とした。土がわずかにえぐれ、細長い溝が外側へ続いているが、数歩も行かないうちに消えている。何かを引きずった跡にも見えるし、羊が蹄で削っただけにも見えた。
「もし空から持っていかれたなら、この跡は関係ないかもしれない」
「逆に地面を通ったなら、手がかりかもしれない。でも、どちらの説明にも使える痕跡は、まだ証拠とは呼べないわね」
ニアの言葉に、アレンは小さく頷いた。答えが欲しい時ほど、曖昧なものを確かなものとして扱いたくなる。だからこそ、今は無理に意味を決めない方がいい。
◇
三つ目は、二日前に山羊が一頭消えた家だった。村の外れに近く、柵の向こうには灰をかぶった低木と黒い岩が続いている。持ち主の男は、朝になって山羊がいなくなっていることに気づき、周囲を探した時に妙な跡を見つけたという。
「昨日まではもっとはっきり残ってた。風で薄くなったかもしれんが、まだ見えるはずだ」
男が案内したのは、柵から十数歩離れた、灰の積もった地面だった。そこには確かに、先ほどとは比べものにならないほど大きな足跡が残っていた。一つ一つが深く沈み込み、先端には指のように分かれた跡が三つか四つ見える。ただし、灰が崩れているため正確な形までは判断できない。
「これを見て、みんな空の獣だって言い始めた」
「大きいから?」
「それもある。村の連中が見たっていう影もあるしな」
ニアは足跡の横へ手を置いて大きさを測り、それから周囲へ視線を移した。
「でも、これ……少なくとも、ここで飛び立った跡には見えない」
「どういうこと?」
「同じ深さの跡が向こうへ続いてる。ここでは地面を歩いてるわ」
アレンも視線を追った。大きな足跡は数歩分だけ残り、その先で岩場に入って途切れている。向きは家畜小屋から離れる方向だった。
「じゃあ、これが山羊を連れていった?」
「まだ分からない」
ニアは即答した。
「山羊の血も毛もないし、この足跡が山羊の消えた夜についたものかも確定できない。大きいからって、それだけで原因だとは言えないわ」
鈴葉も周囲の匂いを探ったが、やがてわずかに眉を寄せた。
「匂いはほとんど残ってない。灰が多いうえ、風も強くて、ここから追うのは難しい」
「同じものが全部さらったって考えるのは?」
アレンが尋ねると、鈴葉は三つの現場を思い返すように少し間を置いた。
「今まで見たものだけなら、そう決める理由はないと思う。最初の小さな足跡も、二つ目の擦れ跡も、ここの大きな足跡も、全部が同じ原因で残ったとは限らないもの」
今朝の小さな四足の跡、四日前の擦れた柵と曖昧な溝、そしてここに残された大きな足跡。どれも単独では家畜消失の原因を示しておらず、三つの現場に共通する決定的な痕跡もない。一つの巨大な空の生き物ですべてを説明しようとすれば、むしろ合わない部分の方が目についた。
「村の人が空を疑う気持ちは分かる。でも、空に大きなものがいることと、家畜が消えたことを一緒にしすぎてたのかもしれないな」
「可能性から外す必要もないけどね」
「うん。残す。でも、それだけに決めない」
鈴葉が小さく頷いた。その反応を見て、アレンもようやく自分の中で考えを整理できた気がした。分からないものを無理に一つへまとめるより、答えが出るまでは保留しておく方がいい。
◇
村へ戻ると、バルドたちはすでに荷を固定し終えていた。六台の荷馬車には馬が繋がれ、御者たちも最後の水分補給を済ませている。アレンはバルドに呼ばれると、見たものを順番に説明した。小さな四足の跡、古い擦れ跡、大きな足跡。そのどれも決定的ではなく、三つの現場に同じ痕跡が残っているわけでもないことまで伝える。
「なら、『分からない』が今の答えだな」
「はい」
「それでいい。分からんことを分かったふりする奴より、よほど信用できる」
村人たちは話を聞いても安心した様子ではなかったが、巨大な空の獣だけを恐れていた時より、注意を向けるべき場所が一つではないと理解したようだった。老人は今夜から空だけでなく柵の外側や地面も見張ると言い、灰の表面を不用意に踏み荒らさないよう、家畜小屋の周りを整え始めた。
アレンはそれ以上、調査を続けようとはしなかった。自分たちはこの村の住人ではなく、商隊の護衛としてここにいる。できることと、引き受けるべきことは同じではない。その線を越えれば、今度は守るはずの商隊を危険にさらすことになる。
昼前、六台の荷馬車が再び動き始めた。村の出口を通る時、アレンは一度だけ後ろを振り返る。家畜小屋の柵には昨日より多くの板が打ちつけられ、その外では村人たちが灰の地面を平らにならしていた。次に何かが近づけば、今までより痕跡を残しやすくするためだという。
空には何も飛んでいなかったが、アレンの意識に残っていたのは、灰の上に深く刻まれていた大きな足跡だった。あれが何のものなのか、家畜の消失と本当に関係しているのかは、まだ分からない。ただ、空を飛ぶ巨大な影だけに原因を求めるには、三つの現場に残された痕跡は食い違いすぎていた。商隊が火山の山並みを正面に見ながら再び西へ進み始めても、アレンはその違和感を無理に答えへ変えず、確かめるべきものとして胸の内に残していた。
読んでくださり、ありがとうございます!
楽しんでいただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。




