202年 乱世の梟雄04
後頭部で固く結ばれていた粗悪な革紐を乱暴に解き、顔に張り付いていた不気味な仮面をむしり取るように外した魏延の顔は、じっとりと汗にまみれながらも、まるでとてつもない大怪魚を釣り上げて手柄を誇る子供のような、ひどく得意げで無邪気なものであった。
「ふう、この獣の毛皮、ひどく蒸れて顔中が痒くてかなわん。益州の湿気は洛陽とは比べ物にならんほどねっとりしていて、この一月ばかりで背中にひどい汗疹ができてしまったぞ!」
「それは災難だったな、文長。後で吉本先生のところへ行って、あの匂いのきつい薬草の軟膏をもらってくるといい。ただ、あれを塗ると三日は寝具に青臭い匂いが染み付いて取れないがな」
劉憲が少しばかり同情を含んだ声で応じると、魏延は鼻を鳴らし、分厚い漆塗りの卓の上に、妖獣の仮面をごとりと無造作に放り出した。
獣の脂と古い血、それに山奥の腐葉土のすえた匂いが、室内に立ち込める白檀の香りと混ざり合い、異様な空気を醸し出す。卓の表面に落ちた斜光が、仮面に塗られたどぎつい朱色の顔料を不気味に反射し、歪んだ影を落としていた。
「それで、話の続きだがな。劉州牧は、一昨年から起きていた益州の趙韙の反乱をずっと気に留めておられただろう。
そこへ、まるで計ったかのように降って湧いたのが、あの耳長の男よ。我らは益州の反乱という燻る火種と、玄徳のあの傍迷惑で陰湿な徘徊行為を一挙に解決すべく、奴の大きな耳元で『大義』という言葉をこれでもかと甘く煽り立ててやったのだ。
あの気の弱い劉璋よりはマシそうに見える玄徳に、いっそ益州を治めさせてしまえとな。
どうせ、この洛陽で与えられた退屈極まる名ばかりの祭祀職など、あの男の性に合ってずっと務まるわけなど無かろうからな」
身振り手振りを交えて熱弁を振るう魏延の荒々しい声を聴きながら、劉憲は手にした茶碗の縁を冷たくなった指先でなぞり、内心でひっそりと深く長いため息をついた。
魏延の言う通り、劉備という男が、いつまでも用意された贅沢な鳥籠の中に大人しく収まる器でないことなど、劉憲自身が誰よりも重々承知していた。
だからこそ、関羽や張飛といった手に負えない猛将たちを、各地の国防の要所へと遠く分散させ、数年という長い時間をかけて彼らを荊州の体制内に取り込むことで、劉備という抜き身の牙をじわじわと血を流さずに無害化しようと緻密な盤面を描いていたのだ。
その大局的な企図を、目の前で胸を張るこの極めて優秀で長期的な思慮に欠ける自称策士二人は、自分たちの力技で根底から見事に引っ掻き回してくれたのである。
「しかし、喉が渇いたな。州牧、その冷めた茶でもいいから一杯くれないか?益州の山道は水が泥臭くて、ろくなものが飲めなかったのだ」
「ああ、構わんよ。正方、すまないが興覇にも茶を淹れてやってくれ。……君も、少し顔色が悪いぞ。胃が痛むのか」
「ええ……少し。先程から胃の腑のあたりが重く、キリキリと……。すぐに茶をお持ちします」
青白い顔をした李厳がよろよろと立ち上がるのを横目に、話を引き継いだ甘寧が、腰に下げた真鍮の鈴をチリンと鳴らして胸を張り、ニヤリと肉食獣のような笑みを浮かべた。
「しかしな、いくら我らの策略が優れていようと、少々兵糧の綿密な管理や、策の成功に不安があってな。
そこで、洛陽の片隅の酒場で暇そうに酒をあおっていた郭嘉のところへ酒樽を手土産に持ち込み、相談して知恵を拝借したのだ。
……いやはや、あの青白い顔をした男の知恵を借りた劉璋の配下どもは、まるで糸に操られる人形のように、面白いように落石や偽報、そして離間の餌食になってくれたぞ」
「……待て、今、落石や偽報と言ったか?」
劉憲は、胃の奥底に冷たい石が落ちたような酷く嫌な予感がして、思わず身を乗り出して口を挟んだ。
「おう、 これぞ智謀の戦よ。
……まあ、我らだけで計画した火計だけは、少々谷間の風向きを読み違えてな。延焼が早すぎて消火が全く間に合わず、西の山が一つ丸ごと真っ黒な灰になっちまったがな。
だが、そこに伏せていた敵軍も一緒に綺麗に灰になったのだから、戦としては大成功だろう!」
甘寧が、まるでちょっとした焚き火の失敗を語るように事も無げに言い放つ横で、新しい茶器を運んできた李厳が「山一つを更地に……」と小さな声でうわ言のように繰り返し、こめかみを強く押さえてその場に絶句して立ち尽くしていた。
盆の上で、茶碗がカチャカチャと悲鳴のような音を立てて震えている。
「あとは成都の城門を内応で開けさせ、劉玄徳が劉璋をあっさりと切り捨てたところまでは、万事あの郭嘉の描いた絵図通りで、恐ろしいほど極めて順調だったのだ。
……だがな、州牧」
魏延が、急に思い出したように忌々しそうな顔をして、床に向かって大きな舌を打った。
「まさか、あの豊かなはずの成都の巨大な蔵の中に、あれほどまでに財貨というものがスッカラカンに無いとは、我らも完全に想定外だった。
劉璋の阿呆が、大金を一体何に蕩尽していたのだろうな。腐れ外道な益州の豪族どもに協力の対価としてくれてやる約束だった報酬は、大半が支払えない空手形になっちまった。
当然、欲に目の眩んだ奴らは怒り狂って一斉に反旗を翻した。
我らはこれ以上、あんな一銭の得にもならない泥沼の戦に付き合っていられんと、戦後処理で混乱を極める成都の街を夜陰に乗じてこっそりと脱出し、北部の豪族どもと適当に誼を通じながら、こうして悠々と帰還したというわけだ」
その一部始終を聞き、すべての惨状を正確に察した劉憲は、もはや怒りを通り越して、顔の筋肉を引きつらせながら乾いた苦笑を浮かべるしかなかった。
窓の外では、雨がいつの間にか激しさを増し、屋根瓦を叩く音が室内にまで重く響いている。
「……なるほど。あちらの地獄のような状況はよく分かった。しかし、一つだけどうしても聞いておきたいのだが。
お前たちは、劉玄徳に『軍師』として自らを売り込み、仕えたのではなかったのか。事もあろうに主君であるはずの男を、燃え盛る火事場に置き去りにして帰ってくるとは何事だ!」
その静かな問いに、魏延と甘寧は同時に、虫酸が走ると言わんばかりの心底嫌そうな顔をして、大きな声を揃えた。
「馬鹿を言え!」
甘寧が、軽蔑しきったように鼻で笑い飛ばす。
「なぜ我らが、あのような実の伴わぬ『漢室の夢』や『天下の大義』ばかりを、夜通したれ流し語るような気味の悪い男に、本気で付き従わねばならんのだ。
あ奴の側に三日もいると、耳が腐り落ちるかと思ったぞ。それに、奴の淹れる薬茶はひどく薄くて不味い」
「そうだ。兵に腹一杯の飯も食わせず、ただ理想ばかりを熱く語る主など、こちらから願い下げて御免被るわ。いくら立派な大義名分があろうと、空きっ腹では槍一本振れんのだからな」
魏延も深く同意して、呆れたように首を振った。
劉憲は、肺の中の空気をすべて吐き出すような大きなため息をつき、李厳が取り落としそうになっていた木簡の束を視線で示しながら言った。
「……いいだろう。今回、勝手な軍事行動を起こした件については、結果として、あの最も厄介な劉備という火種を、我が領内から完全に益州へと追い出したという大きな功績と相殺し、ひとまずは不問に処す。
……だが、念のために確認させてくれ。その『妖獣の仮面』を使った悪戯、曹操や袁紹の陣営には、まさかやっていないだろうな」
劉憲の、いささか怯えと微かな震えの混じった視線に、魏延は天井を仰いで「ふははは」と豪快に笑い飛ばした。
「州牧、我らとて物の道理と損得勘定くらいは弁えているつもりだ。
あのような巨大な化物どもの巣を棒で突っついてみろ、また数万、いや数十万の飢えた流民が、怒濤のようにこの洛陽や江夏に押し寄せてくるではないか。
そんなことになれば、それこそ我らの明日の飯までなくなってしまうわ」
「そうだ。あいつらの密偵を騙すのはひどく骨が折れるし、何より割に合わん。俺は厄介事はごめんだ」
甘寧も肩をすくめ、腰の帯を締め直しながら言った。
二人のあまりにもあけすけな言葉を聞き、劉憲の胸中にひどく複雑な感情が渦巻いた。
この破天荒な二人が、為政者にとって最も重要な最低限の「利害」と「規模の損得」というものを、感覚的にせよ正確に理解していたことへの深い安堵と、それを十二分に理解していながら、結果として他国の山一つを物理的に灰にし、益州の中枢を修復不可能なまでに壊滅させて平然と帰ってきたという、底知れぬ暴力性への戦慄であった。
「……そうか。ならば、よしとしよう」
劉憲は絞り出すようにそう呟くと、再び深く、重い紫檀の椅子に身を沈めた。
西方の広大な益州は、完全に劉備の執念と豪族たちの欲望の手で泥沼化し、当面の間、彼が中原の情勢へ影響を及ぼすことはなくなった。
曹操と袁紹の遺児が北方の冷たい風の中で血みどろの睨み合いを続ける中、荊州とこの洛陽の地は、ひとまずの薄氷の上のような静寂を手に入れたのである。
「正方、すまないが……あの張魯殿への救援要請の返書の件、少し内容を書き換えてくれ。
周倉を主将に据えるという人事は変えないが、副将の二人には『漢中の地をこれ以上荒らさぬよう、すみやかに戦火を鎮火させることに専念せよ』と、釘を刺すように強く付け加えておいてくれ。
……正方、大丈夫か? 本当に顔が真っ青だぞ?」
「りょう、了解しました……。すぐに書き直します。私のことはお気になさらず……」
李厳が冷や汗を拭いながら、震える手で力なく筆を走らせる横で、魏延と甘寧は、自分たちの引き起こした「大戦果」にすっかりご満悦な様子で、濡れた髪をかき上げながら、再び卓の上の奇妙な仮面を面白そうにいじり始めるのだった。
重苦しい雨雲に覆われた洛陽の空の下、部屋の中だけが異様な熱気に包まれていた。




