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192年 群雄割拠04

十月。秋の冷気が、洛陽の盆地に張り付くように沈み込み、崩れた石畳の隙間に生えた枯れ草を微かに揺らしていた。朝露が瓦礫の表面で鈍い光を乱反射させ、湿った土と、どこかで焚かれている枯枝の煙の匂いが、復興の足音と共に街並みを包み込んでいる。


屯田兵たちが鋤を振るう畑では、霜除けの筵が丁寧に被せられ、冬越しの準備が整いつつあった。その活気を帯びた喧騒の中に、長安からたどり着いた馬日磾の使節団が、ひどく重々しい空気を引き連れて現れた。彼らの馬は痩せこけ、蹄の音には泥を引きずるような疲労が混じっている。


泥にまみれた作業服のまま水路の石組みを指示していた劉憲は、慌てて仮の政庁へと駆け込んだ。


「我が君、急ぎお召し替えを。いくら仮の政庁とはいえ、泥だらけの衣では勅使の前に出られませぬ。ああ、また袖口がほつれておいでだ」


老齢の従者が小言をこぼしながら、煤の染み付いた衣を剥ぎ取り、防虫の香が微かに薫る官服を劉憲の肩に掛けた。


「すまんな。まさか長安から使節が来るとは思っていなくてな。このところ、水路の泥上げばかりで、腰の筋が固まってしまっている」


「ご無理をなされるからです。……さあ、帯をお締めしますぞ。息を吸って」


急ごしらえの威儀を整えた劉憲は、政庁の薄暗い広間で馬日磾を迎えた。


「劉州牧、鎮南将軍を加えて成武侯に封じ、節を与えるとの勅が下った。……謹んで、拝命なされよ」


形式通りの勅命を読み上げた馬日磾の声音は、乾いた秋風のように掠れていた。その深い皺が刻まれた双眸には、長旅の疲れだけでなく、隠しきれない絶望の暗がりが広がっている。手にする竹簡は立派な絹糸で編まれていたが、それを持つ彼の手は枯れ枝のように震えていた。


儀式が終わり、周囲の兵が遠巻きに下がり、茶の湯気が二人の間を漂う隙を見計らうと、馬日磾は劉憲の耳元に身を寄せ、血を吐くような声を絞り出した。


「……長安は地獄だ、劉州牧。飢えた民は犬の屍を奪い合い、ついに互いの肉を食らい始めた。李傕・郭汜らは互いを疑い、夜ごとに猜疑心に駆られて兵を動かし、ただ略奪のみが法となっている。朱儁将軍が朝廷に身を投じ、決死の覚悟で連中の調停にあたっているが……あれもいつまで持つか。彼の髪は、この数ヶ月ですっかり白くなってしまった」


劉憲は袖口のほつれを隠すように両手を膝の上で固く握りしめ、平静を装いながらも、鋭い視線で馬日磾の濁った瞳を射抜いた。


「天子と、そして苦しむ民を……こちらへ逃がせませぬか? 洛陽はまだ貧しく、粗食しか出せませぬが、それでも汚泥を啜らせるような真似はさせませぬ」


馬日磾は力なく首を振った。


「民は……隙を見ては野に放ち、東へ向かうよう密かに促してはいる。だが天子は、奴らの息のかかった涼州兵に幾重にも囲まれ、宮中から一歩も外へ出られぬ。

……私はこれから、この空虚な勅書を携え、各地の諸侯を巡らねばならぬ。奴らが己の保身のために、ただの布切れとなった官位をばら撒き、味方を募ろうとしているのだ。だが……」


馬日磾の冷え切った手が、劉憲の腕を強く掴んだ。その手の骨ばった感触と震えが、朝廷の命運がいかに細く脆い蜘蛛の糸で繋がっているかを物語っていた。


「この任を終え、長安に戻った暁には、必ずや天子をお救いする隙を見つける。その時、真っ直ぐに受け止められるのは、この洛陽で地を這いながら根を張ろうとしている貴殿しかおらぬ。劉州牧、頼んだぞ……」


その切実な託宣を、劉憲は真正面から受け止めた。彼は一歩下がり、控えていた諸将や使節団の従者たちにもはっきりと聞こえるよう、腹の底から響く朗々たる声で応じた。


「この劉憲、州牧の任および鎮南将軍の任、臣命を賭して拝受いたします! 陛下のご期待に応え、この荊州と洛陽を、漢室復興の揺るぎなき礎として守り抜く所存!」


馬日磾は満足げに、そしてどこか自身の命の懸け場所を見つけたかのように悲しげに頷くと、再び東へと旅立っていった。袁術の治める寿春、そしてその先の各地へ向けて。


劉憲は、木枯らしに吹かれて遠ざかる使節団の背中を見つめながら、拳を白くなるまで握りしめた。


「仲業、牛金。いるか」


「はっ。ここにおります」


「馬日磾殿が長安へ戻る時こそ、我らの反撃の時だ。仲業、潼関の備えをさらに厳重にせよ。西風が吹く視界の悪い日には警戒を倍にしろ。牛金、お前は兵糧の管理だ。食料も、衣類も、天子をお迎えするための最上の品を、倉の奥に確保しておけ」


「合点承知しました。ですが殿、天子様をお迎えするなら、せめて上等な絹の敷物くらいは商人から買い上げておきやしょう。俺たちみたいな汗臭い兵の毛布じゃ、御風邪を召されちまう」


牛金の言葉に、文聘が小さく頷く。


「そうだな。冬に向けて、兵たちの防寒具の破れも縫い直さねばならん。女衆に声をかけておこう」


しかし。

高潔な宿老・馬日磾が、寿春にて袁術の傲慢な野心と蜜のように甘く腐った自尊心に直面し、その誇りを無惨に踏みにじられ、二度と長安の土を踏むことなく憤死することになるのを劉憲はまだ、知る由もなかった。


その夜、洛陽に降った初雪は、掌に落ちたそばから凍りつくほど、かつてないほど冷たく感じられた。


初平四年。

年が明けても、天下の動乱は収まるどころか、雪解けのぬかるみのように醜悪な形へと変貌を遂げていた。


東方では、名族の双璧である袁紹と袁術が、それぞれに巨大な派閥を形成して天下を二分する勢いを見せていた。袁紹は北の劉虞と公孫瓚を争わせることで北方の疲弊を誘い、曹操という稀代の才を懐刀として手なずけつつある。対する袁術は、公孫瓚や陶謙と結んで袁紹の包囲網を敷き、自らの版図を広げることにのみ汲々としていた。


李傕・郭汜らが己の保身のために乱発する、ただの木札と化した「官位」という名の免罪符は、諸侯に他者を踏みにじる「正当性」を与え、かつて存在した漢という巨大な秩序は、もはや見る影もなく引き裂かれている。


劉憲は、各地から届いた絶望的な報告書が山積みになった机に、重い息を吐きながら竹簡を置いた。墨の乾ききった饐えた匂いと、冷え切った室内に籠る炭の匂いが混ざり合う。

復興の陣頭指揮による過酷な日々で、自らの手は節くれ立ち、手の甲の肉は削げ落ちて血管が青く浮き出ている。その荒れた手を見つめ、劉憲は静かに目を閉じた。


「……彼らは、この国を救おうとしているのではない。ただ、死にゆく巨獣の肉を、誰がより多く、より早く食らうかを競っているに過ぎんか」


独りごちる劉憲の耳に、二つの音が届く。

外から響く、都を再建せんとする民たちの力強い槌音。凍てつく空気を震わせ、新しい材木が組み上げられる乾いた音。

そしてすぐ隣で響く、歴史を次代へ繋ごうとする蔡琰の筆の音。竹簡の上を、小気味よく墨が滑っていく微かな摩擦音。


この二つの音だけが、劉憲を己の利益のみを追求するただの軍閥へと堕ちることから、きりぎりのところで踏みとどまらせていた。


「我らは群狼ではない。奪うのではなく守り、壊すのではなく再編し、この暗黒の時代の後に来るべき者たちへ、確かな秩序という名の種を繋ぐ。そのために、この身の肉を削るのだ」


自らに言い聞かせるように呟いたとき、劉憲の骨ばった手に、柔らかく温かい感触が触れた。


蔡琰がいつの間にか筆を置き、黙ったまま、劉憲の酷使された手を両手で包み込んでいた。彼女の指先には微かに墨の跡が残り、袖口からは防寒のために重ね着した古い絹の匂いがする。彼女の瞳には、かつて蔡邕が劉憲に向けたものと同じ、底知れぬ深い信頼と、静かだが決して揺るがない決意が宿っていた。


「……少し、火鉢の火が弱くなっておりましたね。炭を足しましょう」


蔡琰はそう言って微笑むだけで、報告書の内容には一切触れなかった。だが、その掌から伝わる血の通った温もりは、どんな壮麗な装飾が施された勅書よりも雄弁に劉憲の凍りついた心を癒やし、再びこの混沌に立ち向かう力を与えていた。


「……すまない、昭姫殿。弱音を吐いている暇はなかったな。従僕に、熱い湯を沸かしてもらおう。少し、薬湯が飲みたくなった」


劉憲は、彼女の手に自分の手を重ね、その柔らかさに感謝するようにわずかに微笑んだ。

外の槌音が、より一層高く響き渡る。


混沌の極みに達しようとする天下において、洛陽という小さな秩序の苗床は、容赦なく吹き付ける冬の寒風に耐えながら、凍土の下で着実にその根を張ろうとしていた。

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