192年 群雄割拠03
五月半ば、初夏の白茶けた陽光が、地を這うように陝県の荒野を灼いていた。李傕と郭汜が率いる涼州軍が巻き上げる砂塵は、黄色く濁った霧となって視界を塞ぎ、兵たちの喉を乾いた粘土のように干からびさせていく。
彼らを突き動かしているのは、大義でも冷徹な野心でもなく、長安で王允に誅殺されるという底なしの恐怖であった。馬の腹から飛び散る酸っぱい脂汗の匂いと、錆びた甲冑が擦れ合う不快な金属音が、狂犬の群れさながらの暗雲となって大気を震わせていた。
劉憲はこの西からの凶報に対し、即座に動いた。軍の指揮を託したのは、大樹のように剛健でありながら、その実務の足取りが決して揺るがぬ莫逆の友、文聘である。影のように不気味に広がる西の軍勢に対し、その副将には、まだ若く、獣のような膂力を誇る牛金を据えた。陣幕の隙間から差し込む細い光の束の中で、劉憲は卓上の古い布地図を指先でなぞった。
「仲業、牛金。今回の狙いは李傕らの背後を突き、長安を包囲する逆賊を挟撃することだ。だが、何よりも優先すべきは天子様の御身の保護である。軍を分けるが、互いの連絡を絶やすな」
文聘は、革手袋の擦れる鈍い音を立てて一礼した。その横で、牛金が大きな体を揺らし、甲冑の隙間から覗く首筋をぼりぼりと掻いた。
「劉憲様、長安への道は、この時期になると妙に生温かい西風が吹くらしいんでさ。昔、親父と長安の市場へ干し肉を売りに行った時も、こんな風が吹いた後に大雨が来ました。戦の前に足元が泥沼にならなきゃいいんですがね」
「心配性だな、牛金。お前は戦場に出れば、雨など忘れて突撃するくせに」
文聘が少しだけ口元を緩め、劉憲に向き直った。
「孝子、洛陽での不眠不休の指揮で、ずいぶんと目が充血しているみたいだ。荊州から届いた古い桑の葉の煎じ薬をここに置いていく。夜、少しでも摂ってくれ。体が資本だからな」
「ああ、すまないな。仲業も、腰を労われよ。長旅になる」
劉憲の言葉を背に受け、一軍は砂埃の彼方へと進軍を開始した。
しかし、進軍の途上、彼らの目に飛び込んできた弘農郡の光景は、初夏の華やかさとはあまりにかけ離れた地獄の色彩を帯びていた。
かつて瑞々しい稲穂を揺らし、豊かな水を湛えていた穀倉地帯の村々は、ことごとく仄黒い炭の山と化していた。略奪し尽くされ、死体が投げ込まれたであろう井戸からは、どろりとした腐敗臭を伴う生温かい風が吹き出し、周囲には野生化した草が不気味に茂っている。人の気配が完全に絶えた廃墟を、乾いた風だけが虚しく通り抜けていた。
「これが、董卓という男がこの世に残した政治の足跡か。民をただの土くれのように扱い、四百年の都を灰にした報いが、この荒野の惨状だ」
劉憲は、馬の手綱を握る手のひらに、じっとりと滲む不快な汗を感じながら呟いた。爪が掌の硬い皮膚に食い込む。それでも、彼は歩みを止めることは許されなかった。
戦略上の最重要拠点である潼関に到達した際、劉憲は目を細めた。城壁に立つ守兵の影があまりにまばらだったからである。不審を抱きつつも、文聘の鋭い一撃と牛金の怒号によって、軍は瞬く間にこの関門を奪還した。
だが、城内に漂う黒煙の臭いと、勝利の興奮が冷めやらぬうちに、最悪の知らせを携えた伝令が飛び込んできた。伝令の衣服は破れ、息を吐き出すたびに喉の奥からひゅうひゅうと乾いた音が漏れていた。
「長安、落城! 李傕・郭汜の軍勢が城内に乱入いたしました! 王允公と天子様は宣平門の楼上へと逃れられたものの、すでに四方を完全に包囲され、捕らわれた模様にございます!」
「長安が落城だと!? 包囲が始まってから、わずか八日だぞ! なぜあれほど堅牢な城壁が、それほど脆く崩れ去るのだ!」
文聘の怒号が、潼関の石造りの低い天井に反響し、微かな砂埃を降らせた。長安の城壁は分厚く、兵の数も十分にあるはずだった。何より、徐栄や呂布といった天下無双の武力が防衛の任に就いていたはずである。
まともに戦えば、数ヶ月、あるいは半年は持ち堪えるはずの巨大な要塞が、瞬く間に陥落したという冷酷な事実に、陣内にいた将兵たちの間に、目に見えない動揺の波が伝播していくのが分かった。
劉憲は、静かに目を閉じた。視界を閉ざすと、瓦礫の中から立ち上る熱気と、兵たちの荒い息遣いがいっそう鮮明に伝わってくる。かつて自分が荊州で、そしてこの洛陽で作り上げようとした、法と信頼に基づく揺るぎない組織。それに対し、目の前で砂の城のように崩壊した中央政権の、あまりに哀れな対比が脳裏をよぎった。
「おおかた、王允殿の独善に耐えかねた者が、内側から門を開いたのだろう。董卓という目に見える巨大な悪を排除しても、その後にやって来たのが、己の正義を疑わぬ傲慢な文人であれば、民も兵も決してついてはいかん。
逆賊を排して、その結果としてさらに質の悪い別の逆賊を招き入れるとは、なんとも皮肉なことだ」
劉憲は目を開くと、机の上に広げられた、四隅の擦り切れた布地図を拳で強く叩いた。
「進軍停止! これ以上、西へ突き進むのはあまりに危険だ。相手はかつての董卓の飼い犬ども、主君と同じく、天子様を己の盾として使うことに一寸の躊躇いも持たぬ連中だ。
ここで我らが不用意に攻め立てれば、かえって天子様の御命を危険に晒すことになる。悔しいが、我が軍の刃は、今はここまでだ。この潼関を徹底的に要塞化し、長安の喉元を常に射程に収めつつ、敵が身内で食い合い、自壊するのを待つ」
それから半月が流れた。劉憲の予想を裏付けるように、長安から届いたのは、王允とその一族が一人残らず皆殺しにされたという血生臭い報せであった。長安を支配したのは、新たな正義でも秩序でもなく、ただ今日を生き延びるために、他者の肉を貪り、略奪を繰り返すだけの獣たちの群れであった。
夕暮れ時、劉憲は潼関の、まだ補修の終わっていないざらついた城壁に立ち、西の地平線へと沈んでいく朱色の夕日を見つめていた。大気には、夜の訪れを告げる急激な冷え込みと、遠くの調理場から漂う麦飯の焦げた匂いが混じり合っている。
その隣には、長安の炎から救い出された、古い竹簡の山を整理していた蔡琰が、静かに寄り添っていた。彼女の指先は、墨と、古い防虫香の香りが染み込んで微かに黒ずんでいる。
「昭姫殿、歴史は繰り返すと、亡き父君は言っておられたか。だが、私はこの不毛な繰り返しを、私の代のどこかで必ず断ち切らねばならん。天子が囚われ、賢者がただの紙切れのように殺されるこの狂った時代に、誰かが正道という名の灯火を遺さねばならんのだ」
劉憲の呟きは、衣服の裾を激しく揺らす冷たい西風に浚われ、暗雲が立ち込める長安の空へと、静かに吸い込まれていった。蔡琰は何も言わず、ただ手の中の、父の遺稿である一本の竹簡を、壊れ物を慈しむように強く握りしめていた。その表面の滑らかな竹の冷たさだけが、二人の間に流れる重い沈黙の中で、確かに生きている証のように存在していた。
史実メモ:5月、元董卓配下を赦免しようとしない王允に、李傕・郭汜らが反乱を起こす。呂布が敗北し、長安が包囲されると早々に落城。王允とその一族は殺害され、李傕・郭汜らが権力を握る。




