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188年 霊渠と交州04

数か月がたち、中原の騒乱が嘘のように、南方の山々は目に眩しいほどに鮮烈な新緑の季節を迎えていた。長く続いた麦と稲の作付けという、泥にまみれる農事の大きな節目をようやく終えた劉憲は、書類仕事の疲れが腰に残る李厳を引き連れ、いまだ見ぬ未知の富が深く眠るという遙か南の地、交州へと足を踏み入れていた。


頭上からはねっとりとした南国の湿気を含んだ陽光が降り注ぎ、生い茂る羊歯植物の葉に当たっては鈍く乱反射している。肌にまとわりつく空気は、饐えた腐葉土と、見たこともない巨大な熱帯の木々が放つ特有の青臭い匂いに満ちていた。

彼らの案内役を務めるのは、山の長である覃尞が自ら選りすぐった、筋骨逞しい零陵蛮の戦士たちである。彼らは衣服とも呼べぬ粗末な鹿皮を腰に巻き、漢族なら一歩進むのすら躊躇うような、苔の蒸した険しい山道を、まるでしなやかな獣そのものの足取りで音もなく進んでいく。

そして、かつて秦の始皇帝が穿ったという、霊渠の驚くほど穏やかで深い緑色をした水面を、底の浅い竹の筏を滑らせるようにして静かに渡っていった。筏が水面を掻くたびに、川底の泥と冷たい水の匂いが鼻腔を突く。


「孝子、このあたりの水は、南陽のそれとは全く違って酷く濁っていますね。いや、濁っているというよりは、底に溜まった古い木の葉のせいで、まるで濃い茶を煎じたかのような色がしている。

おまけに、先ほどから妙な羽虫に刺されて、腕の痒みが一向に止まりません。新野の湿気も大概だと思ったが、ここはそれ以上です」


馬に乗り換えた李厳は、汗でじっとりと濡れた麻衣の袖を捲り上げ、赤く腫れた手首を恨めしそうに爪で掻き毟りながら、馬の揺れに身を任せていた。劉憲は、手綱を握る指先で首の硬い毛並みを軽く撫でながら、可笑しそうに笑った。


「正方、あまり爪を立てて掻き毟るな。傷になればこの暑さだ、すぐに膿んでしまうぞ。この地の山の民の教えでは、その街道の脇に生えている名前も知らぬ青い薬草の葉を指で揉み潰し、その苦い汁を直接肌に擦り付けるのが一番よく効くそうだ。

私の古い屋敷の裏手にも、似たような効能を持つ雑草が生えていたのを、子供の頃にばあ様がよく摘んでくれたのを思い出すよ」


「……それにしても、交州は、清廉と名高い賈琮殿が刺史を務め、その後を士燮殿が継ぐべく朝廷に推挙されたと聞いています。さぞや、この地は中央の混乱とは無縁に、穏やかに安定しているのでしょうね」


李厳の期待の表れであるその言葉を聞いた瞬間、それまで無言で先頭を歩いていた、背中に見事な刺青を入れた零陵の戦士が、歩みを緩めることなく、苦々しくその分厚い顔を曇らせた。


「……官吏殿、それについては、我らの口から軽々しく語ることはできません。直接、龍編の士燮殿にお会いいただき、その目でご覧になるのがよろしいかと。我らの口からは、何とも申し上げられんのです」


戦士の背中から漂う張り詰めた空気に、劉憲と李厳は無言で見合わせ、手綱を握る手にわずかに力を込めた。


やがて一行が蒼梧郡の境界へと入ると、劉憲はその違和感の正体を、自身の肌を通じて生々しく感じるようになった。

赤土の乾いた埃が舞う街道を進むうち、すれ違う浅黒い肌をした地元の若者たちは、馬に乗った漢族の官吏である劉憲の姿を見るなり、役人に捕らえられて過酷な労役に就かされるのを恐れる小動物のように、びくりと貧弱な肩を震わせて道端の草むらへ逃げ込もうとする。

だが、その劉憲が、周囲を固める零陵蛮の戦士たちと親しげに笑い合い、何事かを現地語で語り合っている奇妙な様子に気づくと、彼らは信じられぬものを見るように大きな目を丸くし、土埃に汚れた胸をなでおろすように、わずかに安堵の表情を浮かべるのであった。


劉憲は、強い日差しを避けるように細く目を細めた。豊かな山林がどこまでも広がり、木々の合間を極彩色の鮮やかな鳥が鋭い鳴き声を上げて舞う、一見すれば地上の楽園のような美しい南国。しかし、その奥底に潜む、おぞましい情勢の歪みを冷ややかに透かし見ていた。


一行はそれから数日をかけて鬱林郡の鬱蒼とした密林を抜け、ついに交阯郡の郡治所である龍編県へと至った。

出迎えられた館は、南方の高級な材木である沈香の香りが薄く漂い、風通しを良くするために壁が取り払われた、独特の構造をしていた。広間の奥で彼らを迎えたのは、漢族の格式高い上質な衣を寸分の乱れもなく端正に纏った、地元の烏滸蛮の若者たちを何人も恭しく従える、圧倒的な気品と知性を漂わせた壮年の男であった。


「お初にお目にかかる、遠路遥々よくおいでくださった。私は士燮、字を威彦と申す。新しき零陵太守・劉憲殿のお噂は、山を越えてくる零陵蛮の者や、霊渠を行き交う商人たちを通じ、かねがね私の耳にも聞き及んでおりますぞ。南陽や零陵での鮮やかな治政、実に見事であられたと」


「このような若輩者の根も葉もない噂など、士燮殿の耳を汚すに足りる大したものではありますまい。こちらこそ、この遙か南の交阯の地に深く根を下ろし、数代にわたって民を慈しんできた士一族の並外れた徳を、かねてより高く、深い敬意を持って聞き及んでおりました。

本日は今後、我が零陵とこの交州との間で大規模な交易を興すにあたり、この地の真の主である士燮殿に、是非とも直接お会いして話を通すべきと心得、こうして足を運んだ次第にございます」


劉憲は、長旅の汚れを微塵も感じさせない懃懃な態度で、非の打ち所のない完璧な漢族の礼儀を以て言葉を返した。


「それはありがたい申し出だ。先の黄巾の乱以来、海の道は不届きな海賊どもが激しく跳梁跋扈しており、洛陽への輸送も、近隣との商いも全くままならぬ有様でな。

劉太守が仰るように、あの古い河川と陸路を使った確実な物流の経路が新しく増えれば、行き詰まっている交州の民もさぞや豊かになり、救われることでしょう」


士燮は、卓の上に置かれた冷たい果実酒の杯を勧めながら、至って柔和に微笑んだ。だが、その完璧な聖人の微笑みの裏側にある真実を探るように、劉憲が纏う空気が、一瞬にして刺すような鋭い冷気を帯び始めた。広間の薄暗い隅に控える李厳もまた、息を詰めて二人の対峙を見守る。


「士燮殿、商いの話の前に、一つお聞きしたい。私はこの龍編に至る道中、この目で確かに交州の有り様を目にいたしました。

街道ですれ違う民はみな骨が浮き出るほどに酷く痩せ衰え、漢人の役人の影を見ただけで、まるで白刃を突きつけられたかのように身体を震わせて怯え上がっていた。

……一体、賈琮殿が去られた後のこの美しい土地に、何が起きたというのですか?」


静かだが重い劉憲の問いかけに対し、士燮はそれまでの柔和な笑みを消し去り、悲痛な面持ちで深く目を伏せた。彼は小さくため息をつくと、烏滸蛮の従者たちを下がらせ、誰も聞き耳を立てていないことを確認してから、蚊の鳴くような低い声で言葉を絞り出した。


「……1年ほど前、民に慕われていた賈琮様が都へ去り、あの朱儁将軍の息子である朱符様が新たなる刺史として洛陽から着任されてから、すべてが暗転いたしました。

朱符様は、この土地の事情を何も知らぬ同郷の者たちばかりを要職に就けて重用し、あろうことか『川で獲れる黄魚一匹につき、米一石を差し出せ』という、およそ正気とは思えぬ法外な税を全土に課したのです。

当然、そのような米を支払えるはずもなく、少しでも不満を漏らし、逆らう者は、役人の棒によって見せしめとして容赦なく打ち殺されました。

今では過酷な取り立てから逃れるために、零陵や武陵の山へ逃れる者、深い森に隠れ住む者、あるいは自暴自棄となり、生きるために自ら得物を持って賊に身を落とす者が、一日として後を絶ちませぬのだ……」


士燮の口から語られた凄惨な現実に、広間には肺が潰れそうなほどの重苦しい沈黙が広がった。李厳は、同族である漢の官吏が犯したあまりの暴政への怒りに、衣服の袖の中で白くなるほど強く拳を握りしめていた。

そんな傍らで、劉憲は静かに瞑目したまま、その交州の無惨な惨状と朱符という男の器量を、自らの脳内にある巨大な盤面へと冷徹に整理し、駒を配置し直していた。そして、しばらくして、沈黙を破るように自身の膝をポンと軽い音を立てて叩いた。


「なるほど、事情は実によく分かりました。ならば士燮殿、私が今年の年内か、遅くとも来年の始め頃までに、その朱符殿の一件をすべて綺麗に解決できるよう、裏で動いてみましょう」


「……な、何と仰いましたか? 太守殿」


士燮は我が耳を疑い、手にした杯を落としそうになりながら劉憲の顔を凝視した。劉憲は、まるでお気に入りの飯店の酒でも勧めるかのような、何でもない日常の軽い挨拶を交わすような軽やかさで、再び言葉を告げた。


「確約まではできませぬが、まあ、私の見立てでは大丈夫でしょう。それほど時間はかかりません」


あまりにも事もなげに言い切る劉憲の態度に、士燮は呆気に取られたように開いた口が塞がらなくなり、言葉を完全に失ってしまった。朝廷の重鎮を父に持ち、一州の全権を握る絶対的な権力者である刺史が引き起こしている巨大な窮状を、隣国の一郡の太守に過ぎない、まだ二十代の若者が「解決できる」と断言したのだ。


「劉太守、それは……一体いかなる軍略、いかなる奇策をもって成されるおつもりか。朱符様の後ろ盾はあの……」


「ふふ、士燮殿。私のような若輩者に、そのような大仰な策などあるはずがありませんよ。ただ、貴殿のような深く徳ある方が、陰ながら私を信じて支えてくだされば、閉ざされた道は自ずと開けましょう」


劉憲はそこで言葉を止め、満足げに微笑むと、卓を挟んで士燮の手を親愛の情を込めてしっかりと握りしめた。その劉憲の漆黒の瞳の奥にある「信用」の光は、完璧に磨き上げられた鏡のように士燮の困惑した顔をただ静かに映し出していたが、その鏡の裏側に広がる、全てを飲み込むような深い深淵の底までは、決して誰にも見せようとはしなかった。

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